千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

野中広務の居場所

2005-08-06 18:04:33 | Nonsense
「私、野中広務は今期をもって政界を引退することを決意しました」
2003年9月9日、あっというまに政界の中枢、自民党幹事長にまでのぼりつめながらも、この日鮮やかに引退表明して第一線からしりぞいたこの男、野中広務のことを何も知らなかった。
被差別出身でその事実を隠さずに政治活動を行い、登る龍の如く権力の頂点に近づいた人間は、この国では野中しかいない。
何故知らなかったのか、出自は隠さないが受けた差別を語る男ではなかったということもあるかもしれない。

作家の魚住昭が、そんな野中の評伝を書いた。取材は難航をきわめ、野中自身に会うこともなかなか叶わなかった。ようやく会えたとき、野中は魚住に何度も問うた。
「君がのことを書いたことで、私の家族がどれほど辛い思いを知っているのか。そうなることが分かっていて、書いたのか」
「・・・これは私の業なのです」
そうやっとかろうじて答えた作家に、老政治家はそれ以上聞こうとしなかったが、その厳しい表情には、うっすらと涙がうかんでいた。

野中のこれまでの人生は、成功の光とともに影のようにつきまとったのが、被差別出身からくる屈辱の歴史といっても過言でない。
大阪鉄道局業務部審査課主査、優秀ゆえに特進につぐ特進で25歳という異例の若さで到達した。しかし或る日更衣室から、日頃から面倒を見ていた中学の後輩のひと言が聞こえてきた。
「野中さんは、大阪におれば飛ぶ鳥を落とす勢いだが、園部へ帰ればの人だ。」
この発言があっというまに広がり、昇進ぶりをねたむ者たちの抗議と、信頼していた人の態度の豹変ぶりが、野中を「ここはおれのいるべきところではない」と決心させた。そしているべき場所、園部へ帰り、町議を振り出しに地方政界、国政に参与するやあっというまに頭角をあらわした。そして金丸信をして「あと10歳若かったら天下を狙えた」といわせた野中の最後の自民党総務会。2003年9月21日、淡々とはじまり円滑に終了する予定だった会議の最後の最後に、野中は「総務会長!」と声をあげたちあがった。

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような出身者を日本の総理大臣にはできないわな』とおっしゃった。・・・君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣のポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。かって労働者の酷使で知られた”名門”麻生セメントの御曹司、宮家に嫁いだ妹もいる世襲議員、麻生はなにも答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

「人権擁護法案は参議院で真剣に議論すれば一日で議決します。速やかに議決をお願いします」
この人権擁護法の制定は野中が最後に取り組んだ仕事である。しかし人権委員会の所管官庁をめぐって与野党の意見が対立して、審議が行われないまま廃案になったが、現在自民党法務部会で議論されている。

魚住昭著「野中広務 差別と権力」読み終えたら、改めて感想を述べたい。