千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『恋する神父』

2005-08-17 22:18:50 | Movie
韓流ブームは、どうやら本物のようだ。
一過性の流行もので終わらず、ひとつのポピューラーなジャンルとして定着しそうだ。何しろ女性が集まれば、必ず話題になるのが韓国ドラマと韓国俳優。なかでもペ・ヨンジュンをおさえて、第2コーナーを快走しているのが、クォン・サンウ。その魅力を問うと、カラダがいい!と即答され、思わずのけぞってしまうではないか。身長183センチの長身に、童顔甘めなルックスを裏切るほどよいマッチョさが、どうやら大和撫子のハートをわしづかみしているらしい・・・。韓国旅行で買った、クォン・サンウの顔がプリントされた靴下を、宝物のようにしているファンもいる。

そんなクォン・サンウが、品行方正、真面目で純粋、女性にオクテな主人公を演じた。電車男ではない。彼は神学生なのだ。
カトリックの神学生ギシュク(クォン・サンウ)は、厳粛なるミサの最中に学友のソンダルのおかげで、大失敗をやらかしてしまう。もうじき正式な神父になれるはずなのに、あわや退学かとあせるが、田舎の教会でふたりは修行することになった。どこまでも続くのどかな田舎の夏の田園地帯。ここで神父になるべく奉仕と勉学に励むはずだったのだが、アメリカから恋人を追いかけてきた帰国した自由奔放な神父の姪、ボンヒ(ハ・ジウォン)のおかげで受難の日々。なんたることか。これも神が与えたもうた試練であろうか。顔をあわせれば、喧嘩し、ボンヒにふりまわされるギシュクなのだが。

生真面目で優柔不断、けれども清流のようなこころをもった男の子と、奔放で短気、気が強いけれど実は繊細な感受性の女の子とのラブ・コメディ。これはもはや「水戸黄門」のように古今東西に定番化している。そんな食べあきたような定食を、新鮮な味付けでフルコース満足できるのは、やはり韓流映画が流行でなく本物だからだろう。日本では、あまりにも類型化している主人公のキャラクターも、神学生という衣装をまとえば、その純粋さと生真面目さを納得でき、滑稽なふるまいも素直に笑える。そして、あの黒い神父の服をまとっているのが、なんといってもクォン・サンウだ。確かに、支持率を伸ばしていることに納得。女の子と夜遊びして門限やぶりが日常の学友を諌め、せまるミサの時間に神父服をスカートのようにつまんで長い脚で走る姿が、、、か、可愛いじゃん!恋に悩み、迷い涙ぐむ姿がいじらしい。。。
(思わず、Gacktさん、浮気してごめんなさいと言ってしまいそうだ)
また次々と笑えるシーンが、バッティングセンターの球出しのように小気味よく続く。

そして、妻帯を禁じられた神父になる儀式になる日がやってくる。
神父になるということ。神に生涯を尽くすということ。自分の愛する人は、親よりも女性よりも神であるということ。神学生の煩悩と静粛な精神とのゆらぎが、この映画に若い清々しさを与えている。私が最も気に入ったのが、女遊びはするし、自堕落で軽くて神父として最も遠いところにいた友人のソンダルの変化だ。彼はギシュクがボンヒとのどたばた喜劇を繰り返している時に、実は神父とアルバイトをして、その賃金で村に電灯をつけた。その灯りを見て、彼は言う。
「俺、自分で自分のことを怖いとはじめて思った。本当に神父になるかもしれない」
この自分を怖いと感じる感覚、まさに鳥肌がたつような名セリフだ。

デオ・グラシアス。。。
私だってクォン・サンウと一緒に食べたい綿菓子の味。