千の天使がバスケットボールする

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不老不死の薬が届く日

2005-08-24 23:17:07 | Nonsense
私たちは、ひとりひとり60兆個という天文学的な数字に及ぶ”あるもの”をもっている。それは何か?

この解答を柳田充弘 氏が岩波新書「細胞から生命が見える」で、わかりやすく、 しかも浪漫チックに解説されているのだが、 それは細胞である。たった一個の受精卵からはじまり、気の遠くなるような細胞分裂をくりかえし、しかも間違いなく正確にプログラミングにそって分裂を繰り返し、成人に達すると40兆もの数の細胞になるのである。これはもはや神秘的な奇跡ともいえそうな軌跡である。

ところで、その細胞の中には、「未来の遺伝子」でも語ったのだが、細胞死のメカニズムとしての再生できる「アポトーシス」と再生できない「アポビオーシス」という2種類の「死の遺伝子」がプログラミングされている。ところが、再生できるといっても、このアポトーシスには、分裂寿命があって、分裂できる回数が決まっている。人間の細胞だと約60回細胞分裂とアポトーシスが繰り返されて、寿命が尽きる。これはチケットの回数券のもののようだ。その一方アポビオーシスのスイッチがはいると個体としての死を迎える。このように、私たちは確実に老化と死へ向かう列車に乗っているようなものだ。

それでは、この死の遺伝子のプログラムを変更して、永遠の生を可能とできるだろうか。アポトーシスのチケットを無制限に使えるようにできないのだろうか。私は、それは人類の叡智をもってしても不可能ではないかと考える。もしも可能な日がきたとしたら、それは地球がこの銀河系に存在する役割の終焉の日であろう。それでは、古今東西、伝説、映画に描かれる”不老不死”は、人類の見果てぬ夢なのだろうか。

現在、心臓移植はこの日本でも、術例は少ないが行われている。1968年札幌医大胸部外科チーム和田教授が世界で30例め、日本初の心臓移植を行った時、日本人の国民性を考慮すると、心臓移植はドナーからの提供でなく、人工心臓の開発に力をいれた方がよいという意見もあった。現在は補助型の人工心臓の植え込みであるが、いつの日か全置換用人工心臓が登場する日もそう遠くなさそうだ。だったらカラダの一部が故障したら、次々とこのような人工臓器を移植することが、可能にすればいいではないかっ。老化した皮膚は、人工皮膚を植え込み、松田聖子さん並に永遠のツルツルお肌。けれど気がついたら200歳だけれど、カラダはサイボーグになっていた。。。そんな妄想を人は荒唐無稽と笑うだろう。ところが米国の発明家カーツワイル氏は、大真面目に長生きの発明を考えている。血球サイズのロボット(ナノボットくん)が何100万と体内をかけめぐり、骨や筋肉、脳細胞までメンテしてくれるので、永遠の若さを保てるようになるという自説を、「夢の旅:永遠に生きられるまで長生きしよう」で披露しているそうだ。
まるで映画「ミクロの決死戦」のようではないか。カーツワイル氏の発想は奇想天外ではあるが、1999年には「米国技術栄誉賞」、2002年には発明家の殿堂入りを果たしている実績のある科学者なのだ。

私の夢想は、科学的根拠のないただの楽観論だが、カーツワイル氏のような著名人が考える不老不死の願望は、少し違う。それは昔からある権力をもつ者、富をもつ者の命と若さへの常人をこえた執着心に近い。すべてを手中におさめた者が最後に求めるものが、不老不死という発想に似ている。そこにあるのは、傲慢な自己への執着だ。このような不老不死への願望を「究極の延命に関する会議」を主宰するマイケル・リスキン副会長は、次のようにジョークで飛ばしている。

1.死を恐れるあまり、何でもためしたい
2. ナルシストで、宇宙は自分が存在しなければ意味を成さないと信じている
3. 死を理解する答えを見つけられない
4. 嘲笑される少数派の一員になることを楽しんでいる

不老不死。それはまさに肉食動物の欧米人の発想だろう。春夏秋冬の季節の移ろいを愛で、儚さと滅びの美学をもつ日本人の気質から、不老不死を望む声はない。
死の遺伝子があるからこそ、生命は進化して繁栄を遂げた。結局、こういう結論で16歳への若返りをあきらめることにした。