千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「さまよう刃」東野圭吾著

2005-08-05 22:18:07 | Book
今夜もどこかでにぎやかに花火を打ち上げている音が、遠雷のように聞こえてくる。浴衣を着て、夏休み中の花火を友人と楽しんだ夜の経験は、誰にでもあろう。そんな15歳の少女が、或る晩浴衣を着て花火を見に行ったまま帰らなくなる。たったひとりの娘を待ちながら憔悴した父のもとに、或る日少女をさらった犯人の居場所をつげる密告が入った。

そのだらしなく散らかったアパートの一室で、父である長峰はそこで行われた残虐な犯行を知るのである。捨てられた娘の浴衣、犯行の模様をおさめた吐き気をもよおす暴行を証言するビデオ・テープ。怒りの炎が爆発しそうになるところへ、犯人の一人がやってくる。長峰のその時の状況は、まさに狂気の嵐だったのであろう。そして逃走中のもう一人の犯人を裁くために銃を手にして、行方を追うのである。法の裁きを待たずに何故、長峰に復讐のために銃をとらせたのか。
犯人たちは、未成年だったこれほど残虐な事件を犯しても、。「少年法」に守られて、殺意を立証できなければ罰は比較的軽い。学校へも行かず、ろくに働きもせず、親からはとうに見離されて遊びに明け暮れ、次々と少女たちを襲っては楽しんでいる。この人間性の欠落したけだもののような少年たち。彼らをこの小説の世界よりも、現実の社会で多く生息しているのを、私たちは、さまざまな事件で知っている。

そして法律が、常に完全に機能しているわけではない。逃げる少年に銃をもって追いかける長峰は、もはやすでに一人殺した殺人犯として警察から追われている。復讐されて当然な行為を繰り返した少年を、今度は法律が守っている。被害者と加害者が一転して、なにが正しいのかを考えたいと長峰を助ける和佳子の言葉を、一発の銃声が消していく。そこに残ったのは、法が解決できない虚しさとありふれた悲劇である。

この著書を読んで思い出したのが、映画化された宮部みゆきの「理由」である。無軌道で、だらしない若者が”軽やかに”重い犯罪をくりかえし、残された被害者である遺族の慟哭と、ピースと呼ばれる頭がさえていて冷静な若者の対象が読むものを圧倒した。それに比較する本著は、量にわりには薄い印象がしなくもない。それはそれで、多くの読者をえるだろう。法律が時には冷たいと感じるのは、まさに検察審査員の経験をとおした実感である。ただ、私自身は現行の「少年法」を支持する。