千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『キャロル』

2016-09-25 16:59:24 | Movie
人類はいつから恋愛感情を知ったのか。
そんな素朴な疑問から、つい最近知ったのだが、変形菌に詳しい方によると、変形菌は雌雄が明確にわかれていないためにプラスとマイナスという表現を使うそうだが、プラスどうしでつながっていく同性愛のような行動をとる変形菌が必ず出現するとのこと。えっっ!あの単純な変形菌で、とかなり驚いたのだった。

1952年のニューヨーク。
クリスマスシーズンを迎えたハイクラスなデパートで働くテレーズ(ルーニー・マーラ)は、美しい女性に目を奪われる。ミンクのコートをはおった女性(ケイト・ブラシェット)、透明な肌に鮮やかな真紅の口紅、そして輝く金髪が映えるその人はキャロル。そのキャロルの娘へのクリスマスプレゼントとして鉄道の模型をすすめるテレーズは、写真家を夢見る平凡で貧しい娘。そんなテレーズの人生を変えたのは、キャロルが売り場に忘れていったまだぬくもりが残っているようなグレーの皮の手袋だった。。。

アメリカという国の代名詞は、いつの頃か「自由な国」というキャッチフレーズである。
しかし、1950年当時は同性愛者は、社会的に許されない存在だった。そんな社会で出会ったキャロルとテレーズ。一目でキャロルに心を奪われたテレーズが、その心の動きが初恋であり、又、忘れ物の手袋を自宅まで届ける情熱が、まぎれもない激しい恋なのだということすら気がついていない。しかし、社会に居場所を許されないふたりは、心を自ら葬るしかないのだろうか。

キャロルとテレーズ。すべてが対照的なふたりが、対極の軸となり物語が進行していく。それぞれの衣装や暮らしぶり、たたずまい、ふるまい、それらがお互いの魅力をひきたて美しく物語りはすすんでいく。しかも、車でふたりが逃避行のように南に向かって旅にでる場面は、まるでレトロな絵画のような美しさに少しずつ緊張感がはらんでいく。脚本、衣装、背景を含めてまぎれもなく名作であることを確信してくれる場面の数々は、『エデンの彼方に』を彷彿させて、同じ監督だったということを後で知った。そして何よりも主演を演じるケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの素晴らしい演技がいつまでも余韻を残す。


「やっぱり、ある一定の確率で同性愛者って現れるのよねぇ~。」
そう微笑んで彼女は、変形菌の観察を続ける。そして、キャロルとテレーズの最後の決断は、映画を観る私たちに、自分の人生を歩むことの大切さを思い出させてくれた。

原作:キャロル『(CAROL)』
監督:トッド・ヘインズ
出演:ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ
原作:パトリシア・ハイスミス

■こんなアーカイブも
・『ブルージャスミン』

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気がつけば・・・今年も年末

2015-12-12 09:35:18 | Nonsense
2004年12月にブログを開設して、はや11年。
日記は3日坊主の私だが、これだけは続けられると思っていたのに、今年はたった4本の掲載のみ。諸々の事情があり、日々仕事、家事、勉強に追われ、まだレポート提出もやっていない!と焦りまくる年末である。
こんな本、あんな本、ただいまマット・リドレーの「フランシス・クリック」を読書中、映画『黄金のアデーレ名画の帰還』もとてもおもしろかったが、考えること多々あり、、、と来年こそはもう少しブログを更新したい。

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「十三億分の一の男」峰村健司著

2015-06-27 16:02:47 | Nonsense
世界最高峰のオーケストラのひとつであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の次期音楽監督が決まった。
音楽ファンにとっては一大事件の人事であるが、その栄誉あるポジションを獲得したのは、若いバイエルン州立歌劇場音楽総監督でロシア出身のキリル・ペトレンコ氏。予想外の結果に少し拍子抜けを感じたのは、私だけだろうか。

この感覚は、私の中では大本命だったできる李克強を超えて、ただの太子党のひとりだった習近平が2013年に中国の国家主席に選任された意外感を思い起こした。けれども、私の意外感が、そもそも中国や権力闘争や”力”に縁のない者の浅い感想だったことを知らせてくれたのが本書だ。朝日新聞の気鋭のシャーナリストが、ペンでなく足と汗でたどりついた、たった1回、日本人指揮者がベルリン・フィルを振る舞台にたっただけで大騒ぎしてくれる日本のマスコミには想像もつかないような、権力闘争の果てに13億分の1の中国皇帝になった男と、その闘争が描かれている。

愛人たちが暮らす村でのカーチェース、ハーバードに留学している習近平の一人娘の姿を卒業式でとらえ、といった出だしこそ、テレビの企画ものとさして変わらない印象であるが、後半になっていくとすさまじい中国の権力闘争に第一級のクライムサスペンスを見ているような勢いとおそろしさがある。

エリート中のエリートのオーラを放っていた李克強を追い落とし浮上したのも、長い長い院政で胡錦濤を支配して縛り付けてきた老獪な江沢民の壮絶な権力闘争の妥協の産物だったのだろうか。それも確かにある。しかし、国務院副総裁まで勤めた父の習仲勲が、文化大革命中に失脚し16年間も獄中で迫害され、自身も16歳であまりにも貧しい寒村の下放されて洞窟暮らし。辛苦をなめながらも村人たちと交流し、その後清華大学に進学し、指導者になるには軍人の関係も必要と教わり、人民解放軍専属に人気歌手と見合い結婚。

一方、李克強は北京大学時代から優等生ぶりを発揮し、猛勉強で常にトップ、留学を夢見て英語の辞書を手離さなかった彼が、最難関校の切符を手にした頃に、共青団の幹部に1万人をまとめられるのはあなただけとくどかれれて、迷った末に政治家となった。その後、次々と最年少で昇格し、胡錦濤とは兄弟のような関係だった。1997年の党大会では、李克強が中央委員会の候補となっていたにも関わらず、習近平は、151人の最下位の候補者だったという。

しかし、遅れてきたダークホースにもならなかった習近平が頂点にたったのも、虎視眈々と用意周到に地盤を固めていったこともあるが、やはりそれもすさまじき権力闘争が”妥協ではなく”、生まれるべくして生まれた第7代国家主席だったことが、本書から伝わってくる。市民、政界、権力者に近づいて生々しい中国ルポをものにした著者の「現場主義」には、私はやはり敬意を表したいと思う。

「李克強が優秀なのは確かだが、同じくらい頭脳明晰な党員は、我が党にはいくらでもいる。そのたくさんの優秀な党員をまとめる”団結力”が最高指導者にとって重要。」という党関係者の見方は、説得力がある。しかし、それにしてもこんな中国と中国人を相手にする日本の総理大臣のひ弱さと自己中心的な幼さには不安と情けなさを感じる。

さて、ベルリンフィルの音楽監督の選任は、実は5月に開催された123人の選挙資格を有する団員による選挙と長い議論では結果がでなかった。ドイツ出身のクリスティアン・ティーレマン、バイエルン放送交響楽団首席指揮者を務めるマリス・ヤンソンス、若手のアンドリス・ネルソンス、まさかのベネズエラ出身のグスターボ・ドゥダメルといった名だたる候補者が浮上したが、年齢、保守的、他の楽団との契約等、さまざまな理由や事情から決定打がなかったそうだ。政治には、時の女神もいるのかも。
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「ピアニストはおもしろい」仲道郁代著

2015-06-13 15:04:27 | Book
「なかみちいくよだが、まだまだ、わがみちいくよには到達できない」

ピアニスト・仲道郁代さんの、日本的な謙虚という美徳のオブラートに包まれたこんな言葉をうのみにしてはいけない。わが道を行くタフさと鍵盤の数ほど(←ちと大げさか)のバリエーションのある強さがなければ、音楽界というシビアな世界、需要も多いが層も厚いピアニストの世界では生き残れないのだから。

先日、テレビの対談番組で仲道郁代さん、川井郁子さん、吉田都さんの3人が登場して、芸術家の日常や娘のことなどたわいないお話をしていた。ゴージャスでお金をかけたつややかな川井さんの美貌に比較して、仲道さんの上品な変わらない可愛らしさは、人柄の良さが感じられた。そんな仲道さんの本を、気楽に、リラックスするため、と手に取ったのだが、これが実におもしろくって読み始めたらやめられないではないか。

私の中での仲道さんは、日本音楽コンクール優勝をきっかけに、誰からも”好感のもてる可愛らしさ”の魅力と運で生き残ってきたピアニストだった。確かに、日本で最も権威のあるコンクールの優勝歴は素晴らしいと思うが、グローバル化の昨今、その威光と輝きもうすれてきているのも事実。本書も、仲道さんの見た目どおりのプチ可愛らしく、誰にでも入りやすい、たわいないお話が綴られているかと予想したが、その語り口のうまさにどんどんひきこまれていってしまった。

ピアノやクラシック音楽にさして興味がなくても、彼女の専門的な話しも入りやすくてわかりやすい。しかし、これは実は難しい芸だと思う。専門用語を使用せずに、演奏家としての立場で、たわいないような語り口でショパンやベートヴェンの真髄にせまるような内容が、身近な単語で時にユーモラスに語られているのである。これは、お見事な芸と言ってもよいのではないだろうか。彼女のご自宅には、コンサート用のスタインウェイのフルサイズのピアノ、生徒用にヤマハ「S6」の合計2台がある。長年の友であり商売道具でもあるピアノが2台、はピアニストにとってはごく普通。しかし、その後なんと4台のピアノが次々とやってきて部屋を占拠してしまった、という顛末記はピアノの発達と作曲家の関係がよくわかり、目が開かれるようだ。

日頃の音楽観、こどもの頃やコンサートなどの思い出、予想外に多彩なお仕事、家族など、思いつくまま感じるまま続いていく。例えて言えば、テレビのゲストコメンターが大衆の胸の内を巧みに言葉で表現しているとすれば、仲道さんは、音楽好きの一般聴衆がなんとなく感じている領域から、実にセンスよく、ぴったりの単語を組み込んで、誰もが共感して楽しめる文章にしている。

ともすれば、プロフェッショナルなプライドや練習量などの努力を誇りがちなピアニストという職業だけれど、彼女の独白はもっと身近で親しめる。以前、ファッション雑誌で、ご自宅の靴の収納を公開していたけれど、同じ高さ、同じような太めのヒールの靴がずらっと後ろ向きにきちんと並んでいるのを拝見した時、いさぎよさと合理的な考え方をされる方という印象をもったが、本書でも大きなスーツケース4つを使いまわす技を披露していて、そうそう音楽家にはタフさも必要だったと納得した。

「真の美は、際立って孤独なものだと思う」

こう語る仲道さんは、上品でおっとりした佇まいな中に、美しくもタフな精神を持っている方なのだ。

ちなみにamazonの商品説明には、「ゴーイング・マイウエイ=「わがみちいくよ」、多事多端のピアノ人生」と紹介されているが、的をえていないと思う。”わがみちいくよ”は、協奏曲を演奏する際に強さがないと、時々舞台でへし折られるという背景からきた言葉であって、他人と我との違い、自分の信じる道をすすむという単純な話しではない。

■アンコール

「パリ左岸のピアノ工房」T.E.カーハート著
映画『ピアノマニア』
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背信の科学者たち 

2015-04-26 09:53:43 | Nonsense
諸般の事情により、というよりもお勉強?に時間をとられてブログを更新できない状況が続いています。
その間、あんな本、こんな映画、そして素敵な音楽と過ごした時間。
言葉や感情が溢れていますが、その前に60日間更新していなかったための広告がとうとう出没。
えっっ、、、化粧品や不動産など、それほど関心がないのに。

・・・というわけで以前のブログを再掲載。
続編として村松秀氏の「論文捏造」がお薦め!

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1981年、下院議員の若きアルバート・ゴア・ジュニアは、深い怒りをこめて「この種の問題が絶えないひとつの原因は、科学界において指導的地位にある人々が、これらの問題を深刻に受け止めない態度にある。」とざわめく法廷を制した。通称、ジョン・ロング事件でのできことだった。 論文の盗用、データーの捏造、改ざんをしていたのは、あのOさんだけではなかった。

「それでも地球が回っている」
あまりにも有名なこのセリフを後世に残し、科学者という肩書きを崇高に格上げしたガリレオ・ガリレイの実験結果は、再現不可能で今日では実験の信頼性に欠けているとみなされている。又、偉大な科学者であるアイザック・ニュートンは『プリンキピア』で研究をよりよく見せるため偽りのデータを見事なレトリックと組み合わせて並べていたし、グレゴール・メンデルの有名なエンドウ豆の統計は、あまりにも出来すぎていて改ざんが疑われる、というよりも本当に改ざんしていたようだ。しかし、いずれもこれらの行為は、ニュートンもメンデルも信頼性を高めるための作為であり、都合のよい真実を集めていたわけで、科学的真理の発見にはおおいに貢献していたとも言える。”悪意”もなかったようだし。

しかし、現代ではいかなる科学的な事実であろうとも、論文の捏造は許されるものではない。そもそも、”悪意”の定義を議論することすら見当違いであることを、本書を読んでつくづく実感する。仮に、もし仮にstap細胞が本当に存在していたとしても、論文のデータを改ざんしたり捏造したりする行為が水に流されて、最終的に結果オーライというわけにはいかない。それが、一般社会通念とは違う科学というグローバルスタンダードの戦場なのだ。

いつかはばれる。化石を捏造した犯人がいまだに謎である推理小説のようなピルトダウン事件、サンバガエルを使って嘘の実験データで強引にラマルク学説を支持したポール・カンメラー事件(余談だが、彼はアルマ・マーラーに恋をして結婚に応じないならば亡き夫・マーラーの墓前でピストル自殺をすると迫ったそうだ)、データを捏造して驚異的な論文を生産していたハーバード大学のダーシー事件、論文を盗用しまくって研究室を渡り歩いたアルサブティ事件。次々と背信の科学者たちが途絶えることがない。

本書に登場する事件を読む限りでは、いつかは偽造がばれるだろうと素人にも思えるのだ。結局、嘘に嘘を積み重ねることは、無理があり破綻せざるをえない。それにも関わらず、ミスコンダクトは繰り返されていく。何故なのだろうか。

たとえば、1960年代、全く新しい星がケンブリッジ大学の博士課程の大学院生ジョスリン・ベル・バーネルによって発見された。しかしながら、「ネイチャー」に掲載された論文の筆頭者は、最大の功労者である彼女ではなく、師匠のアントニー・ヒューイッシュだった。教え子の手柄をとった彼が、後にノーベル物理学賞を受賞すると”スキャンダル”と非難された。おりしも、金沢大学では教え子の大学院生が書いた論文を盗用していたという事件が発覚したが、ここまで悪質ではなくとも、それに近い話はそれほど珍しくない。科学の専門化、細分化がすすむにつれ、多額の助成金が必要となり、予算をとってくるベテラン科学者と、彼らの下でもくもくと実験作業を行う若手研究者。ベテランが予算をとってくるから研究できるのであり、逆に駒のように働いてくれるから研究者は真理に近づけるのである。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授と、当時大学院生だった高橋和利さんのようなよい師弟関係ばかりではない。

実は、本書は1983年に米国で出版された科学ジャーナリストによる本である。そんな昔の本なのに、登場する実際の捏造事件は、今回のstap細胞問題に重なる点が多いことに驚いた。優れた研究室で、次々と画期的な論文を連発するが、本人しか再現できないマーク・スペクター事件。stap細胞作成には、ちょっとしたコツとレシピが必要だと微笑んだ方を思い出してしまった。「リアル・クローン」の中でも、著者が再現性が重要と何度も繰り返していた。大物実力者のサイモン・フレクスナー教授の支持を受けて、充分な審査を受けることなく次々と論文を発表してもてはやされていたが、今ではすっかり価値をなくしてしまったがらくたのような研究ばかりで科学史から消えていった野口英世。

ところで、気になるのが、次の記述である。

「若手の研究者がデータをいいかげんに取り扱ったことが明るみに出ると、そのような逸脱行為によって信用を傷つけられた研究機関は、事態を調査するための特別委員会を組織することが責務であると考える。しかし、そうした委員会は結局、予定された筋書きに従って行動するのである。委員会の基本的な役割はその科学機関のメカニズムに問題があるわけではないことを外部の人びとに認めさせることにあり、形式的な非難は研究室の責任者に向けられるが、責任の大部分は誤ちを犯した若い研究者に帰されるのが常である。」

そして改ざんの予防策として、「論文の執筆者は署名する論文に全責任を負うべきである」とも。今回の茶番も、Oさんひとりの責任ではなく、そもそも科学者としての資質も能力も欠けている人を採用し、バックアップしたブラックSさんの責任も重いのではないだろうか。

「リアル・クローン」若山三千彦著
ミッシング・リンクのわな
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ヴァイツゼッカー氏逝く

2015-02-13 19:28:38 | Nonsense
東西ドイツ統一時の大統領のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏が1月31日に死去した。94歳だった。
「ドイツ中が、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏の死を悼んでいる。」と、フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー外務大臣は、2月1日に発表した。

2010年9月20日の弊ブログを再掲↓
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先日、来日したマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が、9月26日(日)22時より「ハーバード白熱教室@東京大学」として放映されるそうだ。
これは観逃してはいけないと思っちゃっているのだが、私としては一番関心があるお題は、、、

「オバマ大統領は広島・長崎の原爆投下について謝罪すべきか?」

私の回答はYES!歴史的な背景やら倫理からこの回答の理由を述べたらとてつもなく長くなるのだが、マイケル教授の教室ではそれよりも政治哲学上の考え方を学ぶべきだと思う。立場を逆にして、我々は生まれる前の先人達の過去について謝罪すべきだろうか。歴史を繰り返さないためにも、忘れてはいけない。
さて、今から25年前の1985年5月8日、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が敗戦40周年にあたるこの日、ドイツ連邦議会で演説を行った。

「ご臨席の皆さん、そして同胞の皆さん」
ではじまるドイツ終戦40周年記念演説のために、ヴァイツゼッカー大統領は各階各層の人々と会話を続け、数ヶ月に渡る準備のうえ推敲を重ね、心からの和解を求めて歴史を直視しようと語った。画像は発行された当時の岩波ブックレットNo.55だが、私が読んだのは、新版の767。版を重ねるくらいの名演説として名高いのが「荒れ野の40年」である。それはまた、時代が過ぎて、世代が変わっても、演説に、今後も読み続けられるべく多くの示唆を私たちが感じていることを示している。

1920年に生まれたリヒャルト・カール・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizsäcker)は、指揮者のカラヤンと同じ「フォン」がつくように、男爵の一族出身。外交官だった父の転勤により、スイスのバーゼル、デンマークのコペンハーゲン、ノルウエーのオスロ、再びスイスのベルンで過ごし、ベルリンに戻ってからはギナジウムを卒業してからオックスフォード大学で学んだ。兵役でドイツ国防軍に入営し、同じ連隊に所属していた次兄の少将ハインリヒの戦死を見ることになった。(長兄のカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーは物理学者、哲学者である。)終戦後は、学業に復帰して歴史学と法学を学び、ナチス・ドイツの外務次官としてニュルンベルク裁判で裁かれていた父の担当弁護事務所で研修生として、父の弁護を手伝った。この経歴は、その後も何かと論議をよぶのだが、1954年キリスト教民主同盟(CDU)に入党。1984年から94年までドイツ連邦共和国の第6代大統領を務めたが、その間、国民から敬愛され、またその演説の格調の高さでも有名である。

ホロコーストについて、一民族全体に罪がある、もしくは無実であるという考え方ではなく、「罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」という部分には異論があるかと思うが、敗戦後の瓦礫の山で呆然自失となり苦難の道を歩くドイツ国民を思いやるヴァイツゼッカー大統領に言葉には、日本人として共鳴するものがある。また「荒れ野の40年」には「出エジプト記 民数記」で古代イスラエルの民が約束の地に入って新しい歴史の段階を迎えるまで荒れ野で過ごしたとされる40年に、ひとつの国が東西に分裂された40年を重ねている。ヴァイゼッカー大統領はドイツ国民の民族へ、また世界の人々に次のように語りかける。

「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要なのかを理解するために、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」


ナチスの犯した罪によって、ドイツ人であることだけで悩み続ける若者に、たがいに敵対することではなく、和解と寛容を説き、勇気を与えたそうだ。まさに「die Rede」ザ・演説である。
「解説」の訳者による「若い君への手紙」も理解をたすけてくれる好テキストである。
「政治とは、道徳的な目的のためのプラグマティックな行為」というのは、元首相のヘルムート・シュミットの言葉だが、この演説を読んでその意味を深く考えさせられる。

■こんなアーカイヴも
映画『二十四時間の情事』
映画『白バラの祈り』
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
映画『愛を読むひと』
「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」
「バレンボイム/サイード 音楽と社会」A・グセリアン編
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「暗いブティック通り」パトリック・モディアノ著

2014-10-12 16:49:42 | Nonsense
10月9日、恒例のノーベル文学賞が発表された。今年のスウェーデン・アカデミーはフランス人作家のパトリック・モディアノ氏(69)に授与すると発表した。授賞理由は「記憶の芸術で、最もつかみ難い人間の運命を想起させ、占領時の生活世界を明らかにした」ことによる。
 モディアノ氏は、パリ近郊ブローニュ・ビヤンクール出身。1968年、「エトワール広場」で小説家としてデビュー。ミステリアスな作風で自らのアイデンティティーを探求する作品が多い。これまで、72年に「パリ環状通り」で仏アカデミー・フランセーズ賞、78年に「暗いブティック通り」で仏ゴンクール賞を受賞した。75年に発表した「イヴォンヌの香り」は、パトリス・ルコント監督によって映画化もされている。2011年に発表した「失われた時のカフェで」はフランス国立図書館賞を受賞した。

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というわけで、以前読んでいた「暗いブティック通り」のブログを”記憶”をたどりなから再掲載。

自分探しの旅、そんな旅があるようだが、女性がパリに短期留学するのといったいどこが違うのだろうか。
人がみな人生という旅の旅人だとしたら、記憶を失ってしまった主人公≪ギー・ロラン≫の自分探しの旅は、文字通り「自分探しの旅」である。

本書は、78年ゴングール賞を受賞した、モディアノ34歳の時の作品である。
主人公の≪私≫を記憶喪失症患者で、自分を探すという物語は、人間の存在が、氏名という固有名詞をもった絶対的な存在であることを否定した小説という見方もできる。訳者の平岡篤頼氏の言葉を引用すると、記憶喪失症患者とは「結局仮象に過ぎない現実への足がかりをも失った裸の人間」になる。
他者とのつながり、無数の過去の体験の記憶の糸、社会生活の痕跡、人は、実に多くの”関わり”によって、自分という表層をカタチづくってきたか、ということを考えさせられた。現在の≪私≫の唯一の友人である老いて擦り切れたオーバーをはおる探偵事務所所長、その昔は、テニスの選手で、美青年で知られたコンスタンチン・フォン・フッテ男爵自身も記憶喪失だった。この記憶をなくす、というミステリアスで甘美さすら伴う恐怖が、不思議な雰囲気をかもし出していて、あのペ・ヨンジュン主演の大ヒットした韓国ドラマ『冬のソナタ』の下地にもなっている。私たちが、漂流していく日々の暮らしで自分を見失わないのも、家族や友人、職場の人々との関わりよって生じる記憶の繋索によって、自分の位置を確認しているのかもしれない。

舞台は、65年のパリの街にある≪私≫が勤めていた探偵事務所からはじまる。記憶を喪失していたのは、さらにそれよりも10~20年前というクラシックな道具立てを読者に想像することを求められる。ここで、それを匂いをかぐように雰囲気を官能的に感じられるか否かで、本書を楽しめるか退屈に感じるかがわかれる。
戦争があり、革命によって亡命してきたロシアの貴族、偽造されたパスポート、胡椒のきいた香水の匂い、セピア色の写真、アパートの階段にあるミニュットリー、木蔦でかこわれた蔓棚のあるホテル・カスティーユ、象牙や硬玉製の置物を載せた黒い漆塗りの小円卓、、、物語の活字を追いながら、私が主人公の≪私≫となり、一緒にセピア色の、行ったこともない、この世に存在すらしていなかった時代のパリの街を、≪私≫以前の私を求めてさながら映画の中に入りこんだような旅をしていた。よるべない不安と孤独な魂を抱きしめながら。華やかな貴族の社交があり、退廃していく憂愁もそっとしのびより、最後に≪私≫がえたのは、スタイルもよく綺麗な恋人をスイスの不法越境の時に見失った深い哀しみの追憶だけだった。
すべてが曖昧で霞の中に永遠に眠っている。深い余韻を残す小説である。

自分の名前があり、学歴も、勤務先も家族もいる私。然し、記憶は日々うすれ、ベールのむこうに遠ざかっていく。記憶という不確かな糸を精一杯握り締めて、私は自分探しの旅として、今夜もブログの更新にはげんでいるのだろうか。(2008年11月8日

■こんなアーカイブも

編集者と作家
3年後に村上春樹氏のノーベル賞受賞なるか・・・2009年11月2日
村上春樹氏、ノーベル文学賞受賞ならず・・・2012年10月11日の2年前にも騒がれていました。。。
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とうとうノーベル賞が中村さんの手に

2014-10-08 17:14:01 | Nonsense
ノーベル賞の選考委員会は3人の受賞理由について、「3人の発明は革命的で、20世紀は白熱電球の時代だったが、21世紀はLEDによって照らされる時代になった。誰もが失敗してきたなか、3人は成功した。世界の消費電力のおよそ4分の1が照明に使われるなか、LEDは地球環境の保護にも貢献している。LEDは電力の供給を受けにくい環境にある世界の15億人の生活の質を高める大きな可能性を秘めている」とコメントしています。

さて、こんなビッグニュースが飛びこんだけれど、ほぼ10年前の我が拙いブログから再掲載。

***************** 2005年1月11日 「スレイブ中村さんは勝ったのか」  ********************************************

本日、一番ホットな話題はこれでしょう。

<青色発光ダイオード>和解成立 日亜化学が中村修二さんに8億4000万円の支払い

発明の対価はその発明者か、給料をあげて生活の保障と研究の場を与えた企業にあるのか、さまざまな議論をよび、また次々と報われなかった発明者の訴訟を起こすきっかけとなった裁判が今日決着した。

【中村さんのコメント】和解額には全く納得していないが、弁護士の助言に従って勧告を受け入れることにした。問題のバトンを後続のランナーに引き継ぎ、本来の研究開発の世界に戻る

【日亜化学】当社の主張をほぼ裁判所に理解して頂けた。特に青色LED発明が1人ではなく、多くの人々の努力・工夫の賜物(たまもの)とご理解頂けた点は大きな成果と考える


中村さんにとっては、和解金額としては当初の200億円を大きく下回るということを正当な評価と受け入れにくく納得はしていない。しかし、そもそもは売られたケンカで自身の発明まで封じ込めようとした日亜化学の行為に端をなしたわけで、和解を受け入れて今後は研究活動に専念したいというのはもっともだろう。
ひるがえって日亜化学は、発明が多くの人々の努力の成果という理解が判決に反映されたといっているがどうであろうか。東京高裁の指摘は、日亜化学の経営を考慮した日本的な財界人たちもほっと胸をなでおろせるラインにソフトランディングしたという見方もできるのではないか。

【弁護側】当初の2万円のご褒美からすると国内史上の最高額を支払われることから成功した

弁護士としては、中村さんの胸中はともかくとして、これだけの話題性充分、金額も大きい訴訟でこのような結果に至ったことは充分成果があったと満足できるだろう。知名度もあがり、知的所有権を争う訴訟依頼も増えるかもしれない。もしかしたら一番の勝利者は行列ができるかもしれない弁護軍団だったのだろうか。

ノーベル賞に近い研究者と言われる中村修二さんの発明した青色発光ダイオードが、半永久的な光源をもたらすということで画期的で莫大な利益をもたらすことは事実。
そして大企業の優秀なチームが見向きもしなかった別の方法で、たった一人で、会社の行事も欠席し、変人扱いされ、装置から手作りして生み出したブレイクスルー。それは報奨金のあつさだけでは量れない素晴らしい研究の成果である。

【北城恪太郎経済同友会代表幹事】発明対価は、企業と従業員の間の合理性を持った事前の合意によって決められるべきだ

今後は企業も研究者との事前のお約束は必要だ。まるで結婚するときに離婚したときの条件をかわすハリウッドのように。

********************** 2005年1月13日「続報:スレイブ中村さん怒る」**************************************************

~日々是好日~の管理人さまより

>当初の報奨金である「社長賞」が2万円。これはいかがなものでしょう
と私のコメントへの上記のレスがついていたが。「社長賞」2万円。まさにスレイブな金額だ。

日亜化学というところは、今でこそ全国区の仲間入りをしているが、元々の出自は四国の田舎の中小企業。それに当時の日本社会においては、ソニーなどの一流企業でも、社員の優れた発明に対する報奨金はアッパー100万円程度だったような記憶がある。今回の訴訟で慌てて報奨金制度を見直しして金額をひきあげた企業も多いが、日本的な企業と従業員の関係は欧米諸国ほどスマートととはいえない。
それに、そもそも熱心で集中力はあるが、変人で扱いにくい社員が掘り起こした成果がノーベル賞に近くとてつもない金鉱だったと、理解できる役員もいなかったのではないか。

江崎玲於奈さんのお話しであったが、たとえば米国というのは、優れた成果をだしたとしても、乗ったタクシーの運転手よりもお客の研究者の報酬が低かったら運転手よりも評価されない社会だと。
これは、大リーグの野球選手の契約金と実力が比例するという簡単な図式をあてはめるとわかりやすい。それもどうなのかと、清貧を尊しとする日本人には疑問に感じる部分もあるが、(実際、選手への高額な年棒のために経営難になった野球チームもあるから)かの国でそういう感性が肌にあった中村修二さんにとっては、本来あるべき社会と映るのも納得する。

「実力にある研究者はアメリカへ来い!」

自分に自信があり、野望と大志を抱く若者は太平洋を渡れ、、、と私も応援したい。

それにしても中村さん、全くの無名のいち社員時代から、言いたいことを言い、やりたいことをやり、スレイブナカムラと揶揄されても魂までは決してスレイブではなかった!


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この間、アメリカに飛び立った中村さんは国籍も米国となっていたのは、ちょっとした衝撃だった。理由として、米国籍でないと軍から予算がおりないからとのこの方にとってはごく当たり前のことだった。

「技術立国日本」

こんな某首相の聞こえだけのよい音頭が聞こえてくるが、その掛け声の虚しさを背中に、研究者たちは活躍の場を海外に求めていくのだろうか。

・・・とりあえず、おめでとう中村さん。

■番外の小話
クラシックを聴く人は紅茶党
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『私の、息子』

2014-09-11 23:31:21 | Movie
中年のふたりの女性の会話が流れる。少しざらつき乾いた映像が、きれいに化粧をされたデジタル映像に慣れてしまった目には、ドキュメンタリーのようなリアル感をもたらす。

コルネリア(ルミニツァ・ゲオルギウ)は、いらだちながら一人息子バルブ(ボクダン・トゥミトラケ)が同棲している恋人の不満を口にする。お相手のカルメンは、離婚暦があるだけでなく、別れた夫との間には娘もいるという。
私の職場には、偶然なのだが一人息子のママたちが多い。彼女たちの一人息子にかける情熱を思い出しながら、一心に育てた大事な一人息子が美しく若いお嬢さまならともかく、こんな女に奪われてしまうのかっ。と、つい、コルネリアの嘆きもわかるような気がしてくるのだが、そんな背が低いが華やかで金髪の母親を否定するかのように、息子が選んだ恋人は彼女と正反対の表情に乏しく黒髪でやせてひょろりとした容姿というのも意味深い。

しかし、ふたりの会話を聞いていると、どうやら息子は30歳過ぎてもまだ経済力もなく、親が所有している別宅にカルメンと同居していて、彼女の娘のために勝手に部屋の改装まで計画しているようだ。少しずつ、干渉して愛情という鎖で息子を支配しようとする母と、そんな母親から逃れるべく反抗しながらも自立できない息子の普遍的な問題がうきあがってくる。そして、予想どおり、夫であり父親は、温厚なのだが妻のいいなりで存在感が薄いタイプ。

そこへ届いた一本の電話。息子が交通事故を起こし、はねてしまった少年は亡くなったという。

人は、ルーマニアというと何を連想するのだろうか。世界遺産があって薔薇が美しい国。私にとってのルーマニアは、大崎善生さんの小説「ドナウよ、静かに流れよ」やノーベル文学賞を受賞したヘルター・ミュラーの「狙われたキツネ」、そして映画『4ヶ月、3週と2日』や『汚れなき祈り』からの印象が描く世界である。一言で言って、暗く貧しく、いつまでも悲しい国。

コルネリアが住むのは、首都ブカレスト。下品なくらいに大きくゴージャスな装飾品をつけたスーツ姿から、自分の誕生パーティには人気オペラ歌手や政府高官に祝福されて洗練された素敵なドレスで踊るコルネリア。派手でチープなおばさんのイメージだったコルネリアが、セレブで趣味のよいインテリアの豪邸に住むハイソな芸術家に変貌した場面だった。またたくまに、私の思い込んでいたルーマニアで暮らす人のイメージは、彼女達が運転するアウディの車の疾走とともに消えていった。国が貧しくとも、特権階級は生き残り、経済格差は広がり一握りの財力も人脈ももつ裕福なルーマニア人の暮らしぶりが、映画では実に効果的に生き生きと描かれている。これみよがしの金持ちオーラ服も、むしろコルネリアの職業の舞台芸術家にふさわしいのだった。

ところで、母親としてのふるまいの是非や子育て論を、この映画から展開するのは見当違いであろう。映画の核は、邦題のタイトルである「私の、息子」ただそれだけである。育て方が間違っていようが、子離れできない母親であろうが、母親にとっては永遠に「私の、息子」なのである。先日、身内の者に頼まれて彼女の一人息子を連れてドイツに行ってきたばかりなのだが、中学生の彼のスーツケースを開けると、滞在日数ごとに着る服が清潔にきちんとセットされているのを見て、母親の愛情を感じたばかりだ。彼がメールをすると、日本が真夜中だろうが母親から速攻で返信がかえってきた。かくも深き、大事な一人息子への愛。と話題にしたいところだが、今後、彼が親離れして寂しくなっても、決して「だから、こどもは2人作るべきだ」とは、たとえ身内でも言ってはいけないことだ。

どこの国でもみかける母と息子という何度も繰り返されるテーマーも、ルーマニアを舞台にするとかくも深遠で見ごたえのある作品にしあがるのか。地味で渋いこんな作品に、ベルリン国際映画祭は金熊賞を授与した。

監督:カリン・ペーター・ネッツアー
2013年ルーマニア製作
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ダッハウ収容所をたずねて

2014-09-07 15:37:38 | ドイツ物語
Muenchen中央駅からS2のPetershausen方面行きの列車に乗って、約25分ほどでDachau駅に到着。ダッハウ駅前に待っている726番のバスの乗り換えて閑静な住宅街を車窓から眺めて、KZ-Gedenkstätteで下車。ダッハウ強制収用所を訪ねるのは、昨年に続いて二回目となる。

1933年3月20日、ハインリヒ・ヒムラーの宣言によって開かれたダッハウ強制収用所は、後に次々と建設されるナチスの強制収用所のスタート地点となる。当初は、60人の政治犯や反社会的な人々の”教育”のために作られた収容所が、第二次世界大戦とともにどのような”目的”で、どのように機能していたのか、今日では多くの人々に知られている。しかし、知識として知るのと、実際に知るということは少し違うかもしれない。

写真のノートには、収容されたひとたちの記録が残されている。
名前、出身地、に付けられた囚人番号。どれも几帳面な字できちんと書かれているのは、収容所の跡地が整然と等間隔で建てられていたことからもうかがえるドイツ人気質を見る。ドイツの戦争への高揚をたきつける政策的な広告は、この国だけではないだろう。展示から、囚人たちが、様々な薬草を育て、蜂蜜をつくりながら、音楽会なども開かれていた暮らしぶりが伝わってくる。

ユダヤ人への人権上の観点から反対の声をあげた法律家を、首から看板をぶらさげて市中を歩かせている写真。驚くのは、おびただしい遺体や、運よく日系オアメリ人部隊によって解放された人々のやせ衰えた肉体だ。映画でナチスや収容所を扱った映画でやせ細った収容者をよく観るが、現実はあのようなレベルではない。鞭を打たれる制裁を受けるための机。超高度実験や冷却実験などの人体実験の写真も一部展示されている。

Muenchenで私が好きなのは、何といっても高級ブランドショップがきらめくMaximilian Str。こじんまりとしてセンスよく飾られたショーウィンドウは、きらきらと独特のオーラを放ち夜も歩行者を楽しませてくれる。レジデンツやバイエルン歌劇場も並び、銀座のフラッグショップなどとは別格の世界である。この街から、それほど遠くないのどかな郊外に存在していたダッハウ収容所。

この地に私を招いたのは、ハンア・アーレントであり、チェコの作家、ラジスラフ・フクスの著書「火葬人」深代惇郎のヒトラーに関する言葉だったり、多くの出会った映画だった。そういう意味でも、私の歩いてきた心のほんのひとかけらをたどるような旅だったのかもしれない。

寒い冬の雪の降る日、多くの縞のパジャマを着たユダヤ人たちが靴をはかずに連行されていくのを、ダッハウの住民たちは窓から眺めていたという。

Dachau Concentration Camp Memorial Site KZ-Gedenkstätte Dachau:
AlteRömer strasse 75, 85221 Dachau

■アーカイヴ
・映画『ハンナ・アーレント
・映画『愛を読むひと
・NHKアウシュビッツ特集 第1回第3回第4回第5回
・「われらはみな、アイヒマンの息子」ギュンター・アンダース
・「ナチスのキッチン」藤原辰史
・「わがユダヤ・ドイツ・ポーランド」マルセル・ライヒ=ラニツキ
メニュヒンとラニツキ
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