千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「ブレア回顧録」トニー・ブレア著

2012-02-11 19:07:34 | Book
1997年5月から2007年6月まで英国の首相を務めたトニー・ブレアの回顧録の原文は、「A Journey 」である。
このタイトルは、なかなかナイスではないか。毎回、スクリーンの中でヌード姿を披露しているからか?英国一の人気俳優ユアン・マクレガーは映画『ゴーストライター』で、自叙伝を出版しようとする首相の最後まで名前のない”ゴーストライター”役を演じていた。監督があのロマン・ポランスキーというだけでなく、元首相のモデルがトニー・ブレアという話題性も興行成績に結びついたと思う。

さて、映画を鑑賞した者としてはこれほど痛烈なパンチを浴びせられた当のブレア元首相に、良質と評価の高かった映画の感想を聞いてみたいものだが、実際の回顧録は政権をとる頃から退任に至るまで、ゴーストライターを使ったかどうかは不明だが3年間もかけて上梓した旅路では、予想外に自分自身の心の動きを含めて率直に語っている。その10年に渡る長くも短くもある「旅路」をふりかえることが、懺悔の旅路なのが、過去の栄光の残影を感じさせるものなのか、つい他国の人間としては皮肉な視点で読み始めてしまうのだが、計算された正直さは、そうとわかっていても読んでいて興味深かった。(残念ながら、時間の関係で私が読了したのは、上巻だけ。)

まずは、ブレア首相についてのおさらい。
久々に拝見した表紙のブレア首相はすっかりふけてごく普通の初老の男だが、自由主義経済と福祉政策を両輪にした第3の道を提示し、"New Labour"新生労働党を目標にして有権者の支持を集めて首相になった時は、弱冠41歳の若造だった。長年、典型的な労働者出身で固めた労働党をカルト集団とまで言い切るブレア首相は、当然ながら労働者階級出身ではない。勿論、写真の中のダークスーツを着た父親は、学者から弁護士になった保守党員。ブレア自身は、オックスフォード大学出身で弁護士となり、妻も弁護士というエリートの中産階級出身だ。それでは、何故、彼は汗くさい労働党員になったのか。

自分自身が支配階級にとってさほど重要な人物になれないことを自覚している点と、もうひとつは長髪、Gパン、はだしのヒッピースタイルの彼の写真が語っている。
「私の魂は、今も、そして今後もずっと、反逆児の魂であろう」

そうきたか・・・。その反逆児としての反骨精神は、まずは労働党の改革、そして国民の意識の改革に向かい、在任中は、医療サービス、教育、法律などの成果を挙げている。

次にどうして大衆は彼を支持したのか。戦後の英国における首相の中で最も知名度も高く、屹立しているのは、マーガレット・サッチャーだと言われ、ウィストン・チャーチルにも肩を並べると伝えられている。在任期間も10年と長期間だったのも影響力を与えられたのだろう。サッチャーは、経済的に行き詰った英国の現状から、ゆりかごから墓場までの社会主義的福祉国家路線を革命的に変換させた。民営化、市場競争原理の導入、労働組合を腰砕けにした”鉄の女”という名誉あるニックネームまでちょうだいした。そのサッチャーと比較されるのが、ブレアである。彼は、サッチャー政権により、向上心を刺激されて社会階層があがる機会を与える政策で新しく中産階級になる層をとりこむことに成功した。しかし、そのニュー中産階級を産むきっかけをつくったのはサッチャーであり、そもそもサッチャーを支持していた。しかし、トニーの父と同様、サッチャーは努力して何故成功しないのか理解できないタイプの人間だった。まるでできの悪いこどもを理解できない母親のようだが、彼女が性格的にも弱者切捨ての”鉄の女”だったのは否めない。

そこに登場したのが、まるで民主党のように弱者にも優しい人間味にあるブレアのニューレーバー&ニューカントリーだった。そして、政治家としては若いブレアは見事に”普通の人々”を奪うことに成功した。永年、野党に甘んじていた旧態依然たる労働党から彗星のごとく飛び出したトニー・ブレアに、大衆は喝采した。訳者の分析で大変興味深かったのが、サッチャーが保守党のアウトサイダーであり、党首流派に反乱を起こしたとすれば、ブレアも労働党の中でもアウトサイダーであり、反逆児だった点で似ていると述べていることだ。そして、ブレア自身も党派をこえてサッチャーの実現した変革を支持することを告白している。

また、ブレア首相の人物像については、私は現実をみる合理主義者であるという感想をもった。失礼な言い方をすれば抜け目のない人物。自伝ではなく回顧録という形式で、関心のあるチャプターだけでも読んでもよい形式からか、政治家としてのテクニックに感心こそすれ、彼が政治家をめざしたきっかけや目標などが今ひとつ見えてこない。もっとも生まれ変われるのであれば、弁護士ではなく産業の分野でイノベーションを起こしたいという発想から、根っからの保守派ではなく革新派だ。愛妻との間に、4人のこどもを持つくらい家庭的なイケ旦。但し、育児にはそれほど熱中できないようで育メンにはなれそうにない。政治家の常らしく、饒舌な男でもある。プレゼンテーション能力が高く、コミュニケーション力もある。一般的な英国人というよりは、米国人に近い印象をもったのだが、やはり、親米派で特にクリントン大統領を政治家としても尊敬しているのが記憶に残る。

余談だが、英国のマスコミの対応に何度も怒りと悲鳴をあげていて、マスコミ対策に追われているのは、悲劇と喜劇だった。下巻は、いよいよ9・11、イラク戦争の核心にせまる。
現在のトニー・ブレアは、2008年に設立したトニー・ブレア・フェース財団を通じて、異なる宗教間の対話促進と教育のための活動を行っている。ニュートニー・ブレアはとどまることを知らない。

■こんな回顧録も
世界で最も長い就職試験
クリントン大統領の「マイライフ」
老いたサッチャー夫人
・サッチャー元夫人が認知症に
「インタビューズ!」
「波乱の時代」上グリーン・スパン著
「波乱の時代」下
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

ロベルト−クララ−ヨハネス− 音楽で結ばれた絆

2012-02-10 22:36:29 | Classic
シュトゥットガルト国立音楽大学およびザルツブルク・ モーツアルテウム国立音楽大学修士課程首席卒業。
第25 回サレルノ国際ピアノコンクール第1 位併せて最優秀ドビュッシー演奏賞受賞、
第10 回シューベルト国際ピアノコンクール第2 位、第9 回ブラームス国際音楽コンクール第2 位、
第1 回アントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール第3 位に入賞。オーストリア政府よりヴュルディグング賞を受賞。

錚々たる音楽暦だが、最近の日本人の音楽家の腕前は、”超円高”と同じくらい。ピアノだけでなく、世界的なコンクールのファイナルに日本人の名前を見ることがないくらいだ。そしてよくみかける”世界的な”という形容詞にも幅広い解釈をすれば誇張がない。この優れた経歴をもつピアニスト、今川裕代さんもこれまでつい最近までザルツブルクに住んでいらしたそうで、主な活動拠点は海外だった。そのためか、日本ではまだ知られていないが、実力だけでなく素敵な音楽性をもっている。そんな今川さんのリサイタルは、クララ、シューマン、ブラームスをとりあげて、ご存知、親密で信頼関係で結ばれた三人の間に流れる敬愛や情念、愛情を演奏するという「ロベルト―クララ―ヨハネス 音楽で結ばれた絆」がテーマーだ。

プログラムにわかりやすいHISTORYが掲載されていて、ブラームスがシューマン夫妻と出会ったのは1853年、シューマンが亡くなったのが1856年と3人の交際期間は思っていたよりもとても短かい。しかし、彼らの出会いが音楽の歴史的観点からも重要であるところから、今川さんは今回のリサイタルを企画されたようだが、とてもおしゃれでロマンチックなプログラムではないだろうか。

今川さんの演奏は、洗練された身のこなしからも想像されるように、良い意味でのしっとりとした落ち着きがありエレガント。知的でいて、それでいてあたたかみもあり、モダンな東京文化会館の小ホールがヨーロッパのサロンのような雰囲気をかもしだす。演奏中、うまく小さくまとめるのではなく大きな音楽観を求めているというのが感じられる。後半のブラームスも感情をコントロールしつつ、繊細さの中にも確固たる構成もある。友人に勧められて来た演奏会だったが、本当に心から演奏を楽しむことができた。

ところで、アンコール曲を弾く時に、最近、美味しい日本酒を呑んだ時に「神秘」を感じたことから、音楽にもたくさんの神さまからの秘密が入っていてそれを感じられる演奏をしたいと語っていた。(その美味しい日本酒の銘柄を教えていただきたい。 )これからの活躍が期待される。

------------------------- 2月10日 東京文化会館 小ホール ------------------------------------

クララ・シューマン:ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 嬰へ短調 op.20
ロベルト・シューマン:フモレスケ 変ロ長調 op.20
ヨハネス・ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ 変ロ長調 op.24

■こんなアンコールも
映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲』
「シューマンの指」奥泉光著
映画『僕のピアノコンチェルト』
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」小澤征爾×村上春樹

2012-02-05 13:37:49 | Book
小澤征爾さんと村上春樹さん。
このおふたりの組み合わせに意外な感がしたのが、私だけではないだろう。何しろ、村上春樹さんはジャズの人だったではないか。ところが、村上春樹さんはクラシック音楽もお好きだそうで、売れている人気作家の特権、自由な時間、自由な移動、自由に遣える経済力を存分に生かし、高校生の頃から多くのレコードを聴き、海外のオペラなどにも足繁く通っている(欧州に暮らしている時は文字通り浴びるように聴いていたそうだ!)年期の入ったクラシック音楽ファンだった。また、指揮者としての小澤征爾さんと彼の音楽がとてもお好きで、ずっと愛聴していた雰囲気が伝わってくるため、読者を爽やかな風が吹くような、或いは暖炉でぬくもるような幸福ないい感じにさせてくれる。

ありがとう、、、マエストロと村上さん!

しかも、村上さんは多くの演奏、CDに精通していて聴き比べもして素人ながら鋭い感性で評価してくる。批評や評価に正解はないと思うのだが、自分なりの音楽的解釈で貪欲に良い音楽を求める姿勢は、分野は違っても創造する職業を選択した人種のもつ厳しさと鋭い感性、そして自分の求める音楽や作品なりを追求するあまり自我を通す強さが伝わってくる。但し、所謂”音楽的な知識”を披露したり、”音楽的な経験”を聞きだすのが目的でもないし、村上さんは専門家ではない。その点で、最後まで表面をなぞるような多少の物足りなさも感じたのだが、本書の対象が単純に音楽が好きっという幅広い読者と楽しい時間を共有することだとすれば、これほど素敵な一冊はない。

さて、小澤さんの話しは、限られた時間の制約の中、又、大病後のリハビリ中ということもあり、テーマをある程度決めて、レナード・バーンスタインとカラヤンの比較から、グレン・グールド、内田光子といった音楽家から、ベートーベンのピアノ協奏曲第3番、グスタフ・マーラーの音楽、オペラ、最後に小澤さんが主催する「小澤征爾スイス国際音楽アカデミー」といった教育活動にしぼられている。音楽を聴いたりしながら、自然な話が展開しながらも、練られた構成だ。どれも興味深く、小澤さん自身も「そう言えば、これまでこういう話をきちんとしたことなかった」という貴重な話もでてくる。若かりし頃の小澤さんの「ボクの音楽武者修行」もとてもおもしろいのだが、当時のエネルギッシュな自然児という小澤さんの印象は世界のマエストロになっても劣るどころか、益々、多忙な中で生き生きとしている。

特にマーラーについては、クリムトの絵画とマーラーがものすごく大好きな身内の者がいて、クリムトは兎も角、何故、彼女がそれほどマーラーに熱中するのか不思議だったのだが、マエストロが30年前からウィーンで仕事をするようになり、美術館に行くようになってクリムトの絵を観てショックを受け、クリムトの精緻な美しさにひそむ狂気とマーラーの音楽が伝統的にドイツ音楽から崩れた狂気とに共通性を感じたところという逸話があり、私も瞬間にひらめいたところがあった。

それにしても小澤さんのこれまでの指揮者人生には、さすがにいつもというわけにはいかないだろゆが、幸運の女神がついているとしか言いようがない。しかし、最近、スポーツ選手のいう「運も実力のうち」という言葉を私はすごく納得したのだが、小澤さんも間違いなく実力が運をよんでいる。単に運がよかったというのとはあきらかに違う。しかも、彼の場合は、”人間力”もある。運をつかむのもその人の人間力の実力だ。カラヤンに気に入られ、レニーにも可愛がられ、ルドルフ・ゼルキンにも信頼されて反抗期まっさかりの息子ピーターを託されたり、又、学生オケをふっただけの若造の時にも、レニーの天敵のニューヨーク・タイムズの批評家ハロルド・ショーンバーグにはえらく気に入られて、新聞社を長時間案内してくれてお茶までごちそうになったという貴重な?体験もしている。勿論、マエストロになればなるほど、叩かれることも多いのがこの業界の常。ラヴィニア音楽監督に就任するや、彼を潰そうとシカゴ新聞に意図的に叩かれまくり、ウィーンでもザルツブルグでもベルリンでもずいぶん酷評をあびた。ミラノでは、名誉ある?ブーイングもいただいている。しかし、もう慣れた、一緒に音楽をつくるオケの仲間に支持されれば大丈夫、ドイツ語がよくわからないから耳に入らないと、マエストロはたくましく、そしてどこまでもあかるい輝きがある。このあかるさはどこからくるのか。常に次の仕事に気持ちを移行して情熱を傾けているから、新聞の音楽批評家の冷酷な言葉を気にしている暇がないのが実際のところだろう。さらに、求める音楽をどこまでも追求する指揮者のエゴイスティックな部分が、雑音を寄せ付けない点もある。小澤さんは政治的な駆け引きを嫌って、一切関わらないと明言しているが、主義主張を貫くある種の鈍感さや無頓着さが結果的に良かった。

読んでいて、実に楽しかった。本書は音楽ファンやハルキファンのみならず、ビジネスマンにも読んでいただきたい。そして、クラシック音楽に縁のなかったハルキ・ファンに少しでも小澤征爾さんや音楽に興味をもっていただければ、おふたりにとっては望外の喜びでは、と僭越ながら感じる。文庫版化が待たれる。余談だが、ブログなるものをはじめた私が文章を書くときに、唯一心がけたことは、文章のリズム感。流れにリズムが感じられる文章を書きたいと心がけているのだが、村上春樹さんが文章で一番大事なのはリズムと言い切っているのが、ちょっと嬉しかった。

小澤征爾さんは、1935年生まれ。76歳だが、先人の例を見ると指揮者としてはまだまだこれからも元気で活躍できる年齢だ。次回は、活字ではなく、小澤さんの音楽と再会したいと切に願っている。

■ついでにこんなアンコールも
「指揮台の神々」ルーペルト・ショトレ著
「情熱大陸 指揮者・大野和士」
「喝采か罵倒か 指揮者・大野和士 仕事の流儀」
けっこう危険な家業、指揮者
リーダーの条件
『カラヤンの美』
「素顔のカラヤン」眞鍋圭子著
・・・・・
3年後に村上春樹氏のノーベル賞受賞なるか
コメント (2) |  トラックバック (0) | 

『ピアノマニア』

2012-02-02 22:55:23 | Nonsense
現代音楽を担う素晴らしいピアニスト、ピエール=ロラン・エマールが、あのバッハ晩年の未完の傑作「フーガの技法」を録音した!これは、クラシック音楽界としてはちょっとした事件にも近い。
このCDも、期待どおりの演奏に仕上がっているようだが、”作品”の評価と喝采は、永遠に芸術家であるエマールに与えられる。それは当然だ。しかし、彼が望む音、欲求する音を創りだすために、献身的に、時には奔走して支えるのが決して表舞台には登場しない調律師という職業の人、職人である。本作の主人公は、おなじみのピアノのスタィンウェイ社の技術主任を務めるドイツ人調律師、シュテファン・クニュップファー。彼は、現在、ウィーン在住でコンツェルトハウスで演奏されるピアノの調律を行っている。

エマールの一年後の録音に向けて、彼らが選んだのがスタィンウェイ社が誇るピアノの中でもとびきり優等生の”245番”。何と、一年間もかけてわずか数日録音する日のために徹底的に245番のピアノの調律を仕上げていくのだ。それは、あくなき究極の音というよりも”響き”を求める難業の探索の旅でもある。
「今回要るのは広がる音、それとも密な感じ?」と尋ねるシュテファンに、困ったような顔で
「両方とも」と答えるエラール。
・・・それは無理っ!、と私だったら即答したいところだが、、ピアニストのあらゆる要求や望みに全身全霊でこたえようとするシュテファン。そんな彼にエラールは、たった1台のピアノにオルガンのような音をだしたい、はたまたチェンバロを弾いている感じと、次々と生真面目に注文してくる。音に完璧を求めるエラールは、試し弾きをする度に「質問がある」と繰り返し、少しずつ注文のハードルがあがっていくのだった。それは、殆ど、不可能と断言したいくらいに。この芸術家と職人のふたりの会話と表情が、実に絶妙なのである。私は、何度も笑わせられた。この笑いの基は、彼らが響きを追求していく姿勢が、あまりにも真剣であるというのが根底にあるからだ。だから、そこはかとなくユーモラスさが漂うのだった。

さて、ここで表舞台に登場して展開されているのは、調律師というあまりなじみのない職種とオシゴトである。私が知っている、楽器屋さんから派遣される物静かでおだやかな調律師に比較し、シュテファンは相手が世界トップクラスのピアニストということもあり、全く別の次元にいる。兎に角、フットワークが軽い。ピアニストが練習している舞台から録音室まで、階段を何度も何度も、駆け降り、駆け昇る。ラン・ランに用意されていた最新式のスマートな椅子の使い方を説明するやいなや、使い込まれたがっしりした椅子を求めて走って探し出してくる。(確かに、このお兄ちゃんには旧式の重いがっちりした椅子の方が安心だ。)ある時は、ハンマーの太さがわずか0.7ミリ細かったために、深夜まで全部のハンマーを取り替える作業にとりかかる。タフでなければやっていけない。

コンツェルトハウスでのコンサートをひかえるラン・ランは、せっかく彼のために調律したピアノを試奏するや、一言。
「違和感がある。澄んだ音にしてくれ。」
と一刀両断でのたまう。鍵盤の向こうに一瞬固まる調律師シュテファン。そう、タフでなければやっていけない、心身ともに。

映画は調律師のオシゴトをみせながら、シュテファンの人物像にもせまっていく。彼は、創意工夫の人でもある。ピアノを弾きながら指揮をするエマールのために、透明な反響板でピアノの蓋をつくったり、フェルトを弦にはさんだり、様々な試みをしていく。せっかくのアイデアやチャレンジも、裏目にでることも多いのだが、それでも笑顔とユーモラスを忘れない。彼は学究肌というよりも根っからの職人気質である。そして、彼の姿勢は、常に目線がちょうど鍵盤の位置にある。試し弾きをするピアニストの感想を待つシュテファンの心は、どんなにどきどきしているだろうか。そして期待どおりの響きに満足するピアニストが、素晴らしい演奏をした時の喜びはどんなに大きいだろうか。本作の成功は、このシュテファンの人物像によるところもある。私は、最高にこの映画を楽しめた。

ところで、映画を観ていて気になったのは、ひとつある。
あまりにも完璧な響きを追求していくと、やがて人間は進化したコンピューターで創られた音、本物の音楽ではなく、最高の完璧な音をつなげていく音楽をつくりはじめるかもしれないということだ。”完璧”という言葉の魔力に、人は最高の芸術もうんでいくが、その言葉を求めるあまり、一部のピアノマニアは手段を選ばなくなるかもしれない。今のところ、そして近未来ではこんなことは全くの杞憂なのだが。。。

監督 :リリアン・フランク ロベルト・シビス
キャスト :シュテファン・クニュップファー ピエール=ロラン・エマール、ラン・ラン ティル・フェルナー クリストフ・コラー アルフレート・ブレンデル ジュリアス・ドレイク イアン・ボストリッジ リチャード・ヒョンギ・ジョー アレクセイ・イグデスマン クリストフ・クラーセン ロビアス・レーマン マリタ・プローマン ルドルフ・ブッフビンダー
コメント (0) |  トラックバック (1) | 

『サラの鍵』

2012-01-31 22:51:30 | Movie
本作よりも一足速く、昨春公開された 映画『黄色い星の子供たち』は、1942年フランス政府によるユダヤ人を一斉に検挙して迫害したヴェルディヴ(冬季競輪場)事件を、史実を徹底的にリサーチして映像で再現していた作品である。それというのも、フランス政府は、ヴェルディヴ事件の位置づけを長らくナチス・ドイツによる迫害として、国の責任から逃れていたから、まずは悲劇的な事件がテーマだったと思う。1995年、シラク大統領が正式に演説で謝罪した時は、事件そのものを知らなかったフランス国民は大きな衝撃を受けたという。フランス政府の恥部とも言える歴史的な事件を白日の基にして映像で世界に訴えて表現したのが『黄色い星の子供たち』だとしたら、その演説がきっかけで一篇の物語が生まれ、世界的なベストセラーとなったタチアナ・ド・ロネの小説「サラの鍵」を映画化したのが、本作になる。『黄色い星の子供たち』を鑑賞して初めてヴェルディヴ事件を知り、そして『サラの鍵』で現代に生きる女性を主人公にした物語にしたことで、過去の不幸な事件という客観性をこえて、痛みを我が身に置き換え感情をゆさぶる映画となり、たまたまなのだろうが、この公開の順番は私にとっては最適だったとしか言いようがない。

パリで生活するアメリカ人記者ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、夫と娘とパリで暮らしている。45歳にして待望の妊娠をしたことの喜びもつかの間、二人目の子を待望していたはずの夫が「本当はこどもは欲しくない」と出産に反対する。はっきりとは言わないが、彼は年齢も年齢だし、すでに前妻との間に自分の娘もいるし、仕事を中心にしたいので新しいこどもは育てる余裕はないから中絶しろ、ということらしい。悲しみに打ちひしがれる彼女は、ジャーナリストとしてヴェルディヴ事件を調べていくうちに、おしゃれに改装中の夫の祖父母から譲り受けたアパートの持ち主がかってのこの事件の被害者だったことに気がついていく。そして収容所から脱走していた長女の10歳のサラの足跡をたどっていくのだったが・・・。(以下、内容にふれてまする。)

この映画は、一言でホロコーストものという分類をされがちなのだが、確かにあまりにも過酷な環境、理不尽な事件を背景にし、又、事件そのものが最終的に悲劇の幕を降ろしているのだが、私はもう少しホロコーストとは別に根源的な人間の罪を考えさせられた。姉の弟を助けるためのとっさの行動が、最大の不運をもたらした。ホロコーストの悲劇だけでなく、彼女には非業な不運を体感してしまったのだった。ユダヤ人の迫害事件がなくても、そして、平和な現代でもほんの遊び心や、ふとした不注意、或いはよかれと思ってした行為が、予想外に別の人間に大きな不運をもたらしたり、場合によっては生命さえ失うこともあるかもしれない。サラが生き延びて優しい人々に救われても、一生罪を背負い、自分が幸福になることを自分自身に決して許さなかった、禁じていた彼女の哀しみと深い暗闇が苦しくも胸を打つ。どんな言葉でもどんな優しい手助けでも深い愛情でも、彼女の心を救うことはできなかった。ある意味、彼女の優しい資質がその優しさがゆえに救いから遠ざけたのではないだろうか。

一方で、現代の同時代を生きるジュリア。彼女や夫にとっては、人生は計画していくもの。こどもを望み妊娠したのも成功者の計画であり、いざ妊娠したら夫が中絶を望むのも 自分の人生のキャリアのため。そこには生命の尊厳さ以前に、自己中心的な自分のライフスタイルを優先する現代人の姿勢がみられる。そもそも、この夫は妻に中絶をすすめるくらいなら、何故、これまで妊娠に協力?をしていたのだろう。ジュリアの高年齢から、まずこどもはできないと軽んじていたのではないだろうか。ありがちな設定とは言え、なじめないものを感じた。

最大の悲劇は、ヴェルディヴ事件よりも、サラが決めた最後の人生の総括の仕方にある。サラの人生を知ってしまったジュリアは、アメリカ人らしく前向きに生きていく。小さな希望を残して。

監督:ジル・パケ=ブレネール
2010年フランス映画
コメント (0) |  トラックバック (1) | 

「君たちはどう生きるか」吉野源三郎著

2012-01-28 15:57:25 | Book
君たちは、どう生きるか。

そう問われても、ここまでこう生きてしまった・・・としか言いようがないくらいの年齢にきてしまった私だが、それにも関わらず、深い感銘を受け何度も何度も感動した。こんなにすぐれた本があったのだ。

「コペル君は、中学ニ年生です。ほんとうの名は本田潤一、コペル君というのはあだ名です」

こんな書き出しではじまるように、著者の吉野源三郎は主人公を青年の入口に立とうとする少年に設定して、若い、未来を担う世代に向けて本書を書いたのである。それには、理由がある。本書の出版は1937年。この年、盧溝橋事件がおこり、以後、8年間に渡り日中の戦争がはじまった年でもある。欧州では、ヒットラーやムッソリーニが政権をとり、日本も軍国主義が勃興し、一気に言論や出版の自由がなくなり、労働運動や社会主義運動が激しい弾圧を受けた時代でもあった。そんな時代の空気の中で、山本有三は荒れ狂うファシズムから、ヒューマニズムの精神を守るために、次世代を担う少年少女に希望を託して1935年から『日本少国民文庫』を刊行し、全16巻のうち最後に配本されたのが「君たちは、どう生きるか」だったのだ。その頃の日本でも、ヒットラーを英雄として賛美された軍国主義の嵐の中、弾圧に押しつぶされそうになりながらも、先見の明を開いた事実に、日本人としてあかるい感慨するわいてくる。

コペル君は銀行員だったお父さんを亡くし、お母さんと暮らすひとりっ子。成績は良いのだが、身体が小さいのが悩み。そんなコペル君をそっとささえてくれるのが、お母さんの弟、大学を出たばかりの法学士の叔父さんだった。コペル君は、資産家の家庭に育ち物静かで美形の水谷君、正義を通す負けん気の強い北見君、貧しい豆腐屋の息子で家業を手伝いながら勉強している浦川君といった友人に恵まれ、彼らとの友情を通して、また、勇気がなくてそんな友達を裏切ってしまったことも経験するコペル君の精神的成長物語となっている。

本書の特徴として、叔父さんがお父さんを亡くしているコペル君のために綴った「ノート」が物語の途中に挟まっている。コペルニクスの地動説、ニュートンの万有引力からガンダーラまで優しく書かれた文章に、この叔父さんの深い教養に代表されるような昔の知識人の厚みに目がくらみそうだ。この叔父さんは、20歳そこそこなのだが、なんと人として成熟しているのだろう。と、読んでいるうちに、叔父さんどころかもっと年上の私ですら、いつのまにかコペル君の立場でコペル君たちにすっかり同化して読んでいることに気がつく。本書のすごさはここである。あの天下の丸山真男ですら、出版された年に大学を卒業して法学部の助手となり、研究者としてスタートしたまさに”叔父さん”世代なのだが、

「しかも自分ではいっぱしにオトナになったつもりでいた私の魂をゆるがしたのは、自分とほぼ同年輩らしい「おじさん」と自分を同格化したしたからではなく、むしろ、「おじさん」によって、人間と社会への眼をはじめて開かれるコペル君の立場に自分を置くことを通じてでした。何という精神的未熟さか、と笑われても仕方がありません。当時私はどちらかというと、ませた青年だ、と自分で思いこんでいましたから一層滑稽なのです」

と感想を述べている。少年少女対象の平易なことばで書かれた本だが、いくつになっても、おりにふれ、再読したい名作だ。つまり、永遠に手離せなくなってしまう本なのだ。最後のコペル君がノートに綴った真摯な文章は、誰の心にも、美しく、清々しく、響くだろう。現代でもそっくりそのままあてはまる。その意味でも、社会科学的なものの見方の基本を考えさせられる。

先日のセンター試験も終わり、いよいよ本格的な受験シーズンがはじまった。新しい学校への入学は新しい人生のはじまりでもある。
新しい学校に進学し、学ぼうとする君たちへ。
寒風にかたかた鳴る窓ガラス、新雪にまぶしいくらいの校庭、若い芽が伸びてくる匂い、自らの五感をぴんと澄ませて、コペル君と一緒に読んでほしい。そして、どうか考えて欲しい、未来ある君たちへ。
「君たちは、どう生きるか」
コメント (2) |  トラックバック (1) | 

「『第九』のすべて」 武川寛海著

2012-01-24 23:22:03 | Nonsense
日本人は「第九」が好きである。
本物の音楽を聴いたことがなくても、音楽家ベートーヴェンの偉業を知らなくても、あのフレーズは大方の日本人の心に何がしかの高揚感をそそるものである。私はこれまで、突如、声をはりあげて「おお、友よ、この調べではない!」と否定形で入るところなど、革新性よりも構成が美しくないと感じていたのだが、やはり一年の集大成をするのは「第九」と、年末になるとこの曲を無性に聴きたくなる。指揮者の下野竜也さんによると作品の成立や構成など、楽曲分析を論文にするとまるまる1冊の本になるそうだ。ま、そうだろう。しかし、楽曲分析は専門家の棒をふったり演奏する方たちにまかせて、全人類に門戸が開かれているこの曲は、聴く立場としてはおおいに楽しめばよいのだが、もう少し知りたい「第九」のこと。音楽評論家の武川寛海さんの本書は、「第九」の成立ちから、指揮者たちから敬遠された後の真価を認められて復活、そして日本での初演など、音楽的な専門知識を除いた”すべて”がつまっているテキストである。

そもそも、シラーの「歓喜に寄す」は、シラー26歳の時に招かれたドレスデンで宗教評議員をしていたクリスティンアン・ゴットフリート・ケルナー家でのパーティで、乾杯の音頭をとった時にシラーが、ケルナー夫人のワイングラスを粉砕したという椿事からはじまる。若く、気負いたっぷりのダルビッシュのように大リーグ選手になろうかというようなシラーが、とっさにギリシャの習慣にならってワインを大地に捧げようと提案し、この長大な「歓喜に寄す」(渡辺和さんによると思想表現のパッチワーク!)が創作された。創られた経緯からもシラー本人はあまり気に入っていなかったが、シラー大好きなベートベーンはこの詩に曲をつけることが20年以上も念頭から離れず、原詩を解体して強引に自分のものにして作曲したのが1824年。長い歳月はかかったが、大傑作である。

1824年5月7日、ウィーンでの初演は貴賓席をのぞいて満席。自ら指揮をしたベートベーンは難聴がすすみ、大喝采が届かない。そのため、アルトの独唱をしたウンガーが巨匠の肩を押さえて聴衆の方に振り返させ、観客はハンカチを振って感動を伝えたという有名なエピソードが残っている。が、やはり演奏時間も長く、難しかったため、この曲は次第に敬遠されて消えていこうとしていた。メンデルスゾーンが全曲をピアノ曲で演奏したという記録もあるが、それも成功したわけではないようだ。

再び復活さえたのは、ワーグナーだった。やはり天才は天才を知るか。「第九」の論文を書いて研究しきっかけをつくり、実際に普及させたのが、あのコジマの元夫のハンス・フォン・ビューロだった。このふたりの因縁となると、さすがに武川さんの筆の運びもすべりがちで、ついつい「第九」の領域からはみだしていくのだが・・・。そして少しずつ世間に認知されていく「第九」。
ところで、今日的にも興味深かったのが、功績の大きかったビューロの対抗馬として登壇してきた新人フェリックス・フォン・ワインガルトナーだ。彼は、鏡の前で身振りを研究して役としぐさを結びつけて全ヨーロッパの流行指揮者になっていった。すらりと格好のよい指揮者は、オーケストラの前で美しい社交家であり、ドイツを別にして観客もその外見を求めたのだった。一般大衆というのは、「間接的に音楽の心に導かれたいと願うもの」と言った武川さんの表現は、現代でもあてはまる。そんなワインガルトナーのライバルとして人気をさらったのが、マーラー。「第九」を中心に19世紀後半の指揮者列伝も、なかなか読ませてくれる。

ちなみに日本での初演は1918年、徳島県にあった板東俘虜収容所で、ドイツ兵捕虜による演奏である。これは映画『バルトの楽園』として映画化にもなっている。本書が出版された昭和61年には「第九」の演奏回数は170回。およそ2日に一回、日本のどこかでFreudeと歓喜の歌が歌われていたのである。年末の恒例行事をこえて、日本人にこの曲がしっくり同化しているのであろう。それにしてもバブルの頃に比較して演奏会自体が減っているとも感じるのは、実に寂しい。

ところで、当時、ベートーヴェンがこの曲で稼いだ金額はいくらでしょうか?
回答は⇒現在の貨幣価値(昭和61年)で換算すると、14,174,080円になったそうです。

■アンコール
読響「第九」コンサート
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

「娘時代」シモーヌ・ド・ボーヴォワール著

2012-01-22 11:21:49 | Book
哲学者として歴史に名を残したシモーヌ・ド・ボーヴォワール。
女性の首相も宇宙飛行士も珍しくなくなったこのご時勢、あまりにも有名な「 女は女として生まれるのではなく、女になるのだ」のこの一言とともに、ボーヴォワールを歴史上の哲学者としてこのまま終わらせてしまってもよいものだろうか。そんなことをつらつら考えたのも、先日鑑賞した映画『サルトルとボーヴォワール』で、私の好きな18禁場面は、別の面で彼女を復活させてくれたからだ。作家として、女として、サルトルと切り離したボーヴォワールはどういう人だったのか。そこで手にとったのが、ボーヴォワールの自叙伝「娘時代」だった。これは、大正解だった。本書は、フランス文学の最高峰の一冊と言っても過言ではない。

「私は、1908年1月9日の午前4時に、ラスパィユ街に面した白いエナメル塗りの家具のある寝室で生まれた」
こんな文章ではじまり、誕生からソルボンヌ大学でサルトルと出会い、親友の死の代償として自分の自由を勝ち得たと信じるまでの、恐ろしく頭脳がきれて鋭い感受性の少女が、ついに子供用の手袋を捨てて人生を歩むまでの回想録である。小さな字でびっしり綴られた340ページ二段組の長編だから、それなりに読むのに時間がかかるが、これぞフランス文学という読書の醍醐味を味わえる。これまでも数々の回想録や自叙伝を読んできたつもりだが、これほど精巧な美しさと、趣味のよさ、そしておしゃれな本もないだろう。女性としてこの本を読んでいなかったら、一生の不覚になってしまう。

妻をつくるのは夫で、妻を完成させるのは、夫の仕事と信じる父と彼に従うママン、妹とのフランスの典型的なブルジョワ階級の家庭の暮らし、自立するための勉学、彼女と並ぶ賢い親友との友情、裕福な同級生への同性愛、そして従兄への初恋と失恋。センスのよい言葉と知性的な文章は、少女のヰタ・セクスアリスまで、実に緻密に描かれている。本書を読みながら、この本の最大の読者こそはボーヴォワール自身で、言葉のひとつひとつにかくされた情熱と執筆の興奮が感じさせられる。

そして、ボーヴォワールは生まれながらにしてボーヴォワールだった。
思春期に「アドリーヌ・デジール免状」を授与される頃になると、様々な家庭の四角い窓のつらなりから、無限に繰り返される主婦の家事の向こうに単調な草原を見出し、結婚よりもひとつの仕事の方に希望を見出していく。猛勉強もしたが、それでいて、無防備に夜の街を呑み歩き、危ない目にもあったりする。少女のプライド、悩み、さまざまな疑問が、最強の哲学者の成長物語ともなっている。どこを切りとっても、名文となる文章から、私は率直さで綴られた自伝を芸術作品にまで仕立てたボーヴォワールの才能と生き方に敬服したい。

■アーカイヴ
映画『サルトルとボーヴォワール』
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

『ミラノ、愛に生きる』

2012-01-18 23:07:50 | Movie
ロシア人のエンマ(ティルダ・スウィントン)は、イタリア・ミラノ在住のマダム。時々、奥様向けファッション雑誌で欧米のハイソなマダムが紹介されているが、エンマの場合はこうしたクラスによくある上流社会の子息と令嬢同志の結びつきではなく、故郷のロシアでたまたま仕事に来ていた繊維業界で隆盛を誇る一族の後継者、タンクレディに見初められて上流階級のマダムになったのだった。二人の息子と娘に恵まれ、夫とも円満、勿論、舅や姑との関係も良好にこなし、パーティの準備も完璧。重厚な邸宅では、厳かに、そして華やかにレッキ家のパーティが繰り広げられているところを、ひとりの青年が訪問してくる。戸外の薄暗い雪景色にとけこみそうな彼は、長男エドの友人で料理人のアントニオ(エドアルド・ガブリエリーニ)だった。ボートレースで、エドに完勝してしまったおわびのタルトを届けにきたとのこと。女性として円熟の美しさが匂うようなエンマと若く野生的なアントニオの出会いだったのだが・・・。

上流階級の人妻が息子の友人と恋に落ちた・・・。一言で言ってしまえば、それだけなのだが、それ以上のものを魅せつけて観客を幻惑させてくれるのがイタリア映画だ。それでは、この映画の何が、それだけでなくそれ以上だったのか。

1.音楽
映画は、ショスタコーヴィッチを彷彿させるジョン・アダムズの音楽とともに、古色蒼然たるモノトーンのミラノの雪景色からはじまる。リズム感溢れる打楽器の旋律、それでいてノスタルジックな音楽は、まるで映像で表現したオペラのような印象だ。これまでオープニングで一気にひきこまれた作品にはずれがなかった経験値から、これはいかにも女性好みのハイソなよろめきものという想定をこえてお気に入りの映画になるかも、と期待する。重厚で一族の歴史を感じさせるインテリア、壁を飾る名門にふさわしい絵画、磨きこまれた床、忠実な召使たち。それらを背景に、エンマの内省をドラマチックに奏でる音楽が、最後まで心をひきつけて離さない。そもそもオペラのドラマは、人間の根源にせまりつつ、意外に単純なものである。女として目覚めたエンマのなるふりかまわない直情径行なふるまいは、オペラとして鑑賞するとすんなり受け容れられる。映画『愛の勝利を』でも、映像と音楽が見事に融合していて重厚なオペラのようだったが、今後、イタリア映画音楽はクラシック系に回帰していくのかもしれない。

2.ファッション
話題となったエンマ役、ティルダ・スウィントンが着こなすのがジル・サンダーの衣装。彼女自身もジル・サンダーのデザイナー、ラフ・シモンズがお気に入りだそうで、私生活でも好きなデザイナーか友人が選んだ服しか着ないそうだ。ジル・サンダーはイタリアではなくドイツのブランドで、シンプルだが微妙なカッティングと高級素材でおしゃれ上級生でないとわからないデザインと価格設定のブランドである。とがってはいないが知的な辛口ファッションでもある。ジル・サンダーを着こなすには、それ相応の肉体を求められるのだが、金髪、白い肌に長身のティルダ・スウィントンにはおそろしく似合っている。立っているだけで、上流階級のマダムオーラを放っているのはりっぱ。自分を表現するファッションとしてイタリアらしい華やかなブランドではなく、ジル・サンダーを選んだところがポイント。おおらかなで華やかなイタリアには、心の底では同化していなかったのではないだろうか。

3.現代版「チャタレイー夫人の恋人」
経済力があり、イタリア男にしては珍しく誠実な夫、それぞれに母を慕う3人のこどもたち、問題なくうまくやっている舅や姑、働き者の召使たちに囲まれ、なに不自由のない豪邸暮らしのエンマ。それにも関わらず、分別のあるマダムが、息子の友人というのは兎も角、男としてそれほど素敵とは思えない料理人にすべてを捨ててまで情熱のままに走れるのだろうか。本作についての賛否両論があるとしたら、エンマの最後の行動への共感性でわかれるだろう。使い古された”何不自由のない生活”は、そんなに手離したくないものなのだろうか。異国の街でロシア名を捨ててイタリア人として生きてきたエンマ。彼女は、自分の人生を生きていなかった。夫が言い放つ「君は存在していない」という痛烈な罵倒は、夫やレッキ家にとってではなく、彼女自身の自分の人生に、エンマは存在していなかった事実にかえってくる。それは、女性として最高の生活を捨ててまで取り戻したい自分の人生ではないだろうか。それを目覚めさせたのは、アントニオとの”性愛”だった。私の目からは"只野お兄ちゃん”だが、彼女にとっては、初めて恋というものを教えてくれた相手なのだ。その点で、この映画は「チャタレー夫人の恋人」を映画化した『レディ・チャタレー』に通じるものがある。

恋というものは突然はじまる。理屈も理由も、言葉すらもいらない。「つきあってください」「好きです」そんな会話の成り立ちが私にはわからない。男性群には、かなり不評なこの映画。ヴィスコンティと比較できるかどうかは別として、私は最初から最後までかなり気に入って、大満足した。

ところで、余談だが、映画で気になるのがレッキ一族のブランド買収劇である。コニャックのヘネシー、ドン・ペリニヨン、ヴーヴ・クリコなどの高級酒業だったブランドグループLVMHは、次々とブランドを買収して一大コングロマリットを形成しつつある。昨年、あのブルガリもついに傘下に入った。伝統ある家内工業のブランドも大きな波にのみこまれていく、そんな時代の潮流も思い出した。

監督:ルカ・グアダニーノ
2009年イタリア

■イタリアがんばれっ
中国にのみこまれるイタリア
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

奇跡のピアニスト ホルショフスキー

2012-01-01 21:57:17 | Classic
2012年、新年最初のブログを更新するにあたり、何よりも私がとりあげたいのはミェチスワフ・ホルショフスキ(Mieczysław Horszowski)のことだ。
彼の職業はピアニスト。1892年6月23日ポーランドのルヴォルフに生まれ、99歳のリサイタルを最後に1993年に100歳で移住先の米国フィラデルフィアで死去した。日本に来日演奏したのは、生涯でたった1回、25年前のことだった。残念なことに、私がホルショフスキーの存在を知ったのは、つい最近の芥川喜好氏の「ホルショフスキーの奇跡」という記事からだった。(以下、芥川さんと評論家の石川宏さんのCDの解説を参考に)

ホルショフスキーの最初のピアノ教師は、母のヤニーナ・ロージャ・ワーグナー。彼女自身が、ショパンの弟子ミクリから学んでいるという経歴からも、ホルショフスキーの音楽的環境が整っていたことは間違いないだろう。やがて7歳になった早熟な少年は、ウィーンに渡り、あの!ツェルニーの弟子だったレシェティツキのもとでピアノを本格的に学ぶ。10歳で正式にリサイタル・デビューをするや、たちまち欧米では天才少年と讃えられ、フランスではフォーレの前で弾き、サン=サーンスと出会ったりと、ホルショフスキーの世界各地へと多忙な演奏旅行が続く。ところが、青年になったホルショフスキーは精神の求めるままに18歳にしてアンリ・ベルグソンの講義を聞きたくなり、一旦、演奏活動から離れてソルボンヌ大学で哲学、文学、美術史を学ぶ。その才能を愛したカザルスの勧めで再び音楽に戻ってからは、ソロ演奏だけではなく室内楽やカザロスの伴奏者としても活動をするものの、ナチに追われて50歳で米国に移住した。その後のホルショフスキーの活動は、日本の世間一般には途絶えていき、やがて忘れ去られていった。

その背景として、石井さんは音楽家を人気と話題性でスターに仕立てて売る米国の商業主義にあると指摘している。
同じようなタイミングでピアノ界の鬼才が鳴り物入りで初来日してマスコミも含めて大騒ぎになったのは、私にも記憶に残っている。ホルショフスキについては、そんな脚光には関心もなく、自分をセールスすることも、力のある人間に擦り寄ることもなかったのだろう。しかし、後進の指導にあたりながら、日々、音楽に親しんだ彼の純粋な音楽性が見事に結実しているのが、1987年9月、95歳にして初めて来日したカザルスホールでの落成記念演奏会だった。日本では全く無名だったはずのホルショフスキのリサイタルのチケットは、あっという間に完売し、急ぎ追加された公演もたちまち満席となったそうだ。日本のジャーナリズムがとっくにお蔵入りしていた名ピアニストを、その夜、カザルスホールに集ったピアニスト、音大生、愛好家は決して忘れていなかったのだ。その幸福な夜のライブ演奏がこのCDである。

バッハ、モーツァルト、ヴィラ=ロボス、メンデルスゾーン、そしてショパン。それぞれの様式美の中で響き輝く音の粒は、限りなく純粋でまるで天上の音楽のようだ。技術を超える、95歳にして成熟した深い精神性の宿ったまさに奇跡のような音楽。会場には、涙を流して聴き入るピアニストの姿もあったそうだ。

先日、或る日本人ピアニストが、カーネギーホールでデビューリサイタルを開くまでのドキュメンタリー番組を観た。しかし、私がその映像で観て感じたのは、哀しいかな、彼の本来の音楽家としての活動よりも人気ピアニストに群がる商魂だった。芸術と商業主義について、ホルショフスキを紹介した芥川さんが次のような鋭い意見を言っている。
「人々が同じ言葉を口にし、同じもの、同じ人をもてはやす現象は、いわば現代における商業主義の勝利の風景でしょう。みんな一緒に盛り上がりながら、その実、人間一人の想像力や判断力の貧しさを語っているようにもみえます。」

来日した時のホルショフスキーは、ルーヴィンシュタインと同じ症例で90歳頃から視野の中心が見えなくなり、殆ど失明していたそうだ。そんなハンディを全く感じさせない素晴らしいピアノ演奏を再現したCDを聴ける喜びを、私はこの冬のさえざえとした夜空と心のぬくもりを忘れないだろう。
コメント (0) |  トラックバック (0) |