かって「CM界の鬼才」と称されたCMディレクターがいた。広告業界にたずさわる者なら知らない者はいない伝説中の人物、杉山登志だ。
彼の名前を初めて知ったのは、大学に進学して「広告研究会」なるサークルという場であった。先輩達は酒を呑んでは口角泡を飛ばし、熱心に彼の作品よりも1973年12月13日37歳の若さで自殺した時の遺書の意味を問いた。
「リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
『夢』がないのに
『夢』をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです」
資本主義社会における広告、CMという虚構の世界でのクリエイティブの儚さへの共鳴なのか、青春まっさかりの議論のための議論だったのか、いずれにしろその時の熱気とともに亡くなったCMディレクターの遺書が、一生我が容量の少ない記憶の底に保存されることになるとは、その時は思いもよらなかった。
53年前の8月28日に日本初の時計メーカーによる時報が放映されたことからテレビCMの日に制定され、この日「CM界の鬼才」の生涯を描いたドラマが、TBSで放映された。スポンサーは、杉山登志と関係の深かった資生堂。
番組は登志の少年時代の後にカメラマンとなる弟、伝命との兄弟の交流にはじまり、当時の世相を石黒賢演じる文化部に所属するサラリーマンを通して伝えながら、次々と優れた作品を生み出す当時の登志、そして現代に生きるかけだしのCM制作会社社員が引退した伝命にカメラ撮影を依頼することから浮かぶ世相をからめて構成されている。
途中、杉山登志がてがけたCMが制作課程のドラマとともに紹介されるのだが、これが今日なお斬新で素晴らしい。一瞬の商業映像で、これほど観る者をひきつける力のあることに感動を覚える。ただ美しいだけでなく、そこには人間の感情が存在する。そしてなかには、ユーモラスなCMもある。(ステテコ、腹巻のいかにもといううさんくさい中年のおじさんが夏の海岸に登場して、「資生堂海岸情報。各地の海岸に資生堂サンオイル専門のこそ泥が出没している様です。お持ちのサンオイルは大切に保管してください」というナレーションが被さる。)そして私がもっとも好きなCMは、通称「図書館」。図書館で勉強する高校生の男の子が、ふと顔をあげると美しい女性の存在に気がつく。思わずその女性を見つめていると目と目が会い、かすかにとまどう少年と微笑む女性の視線がからまう一瞬の静寂な時間のま、高い窓からはおだやかな秋の午後の光がこぼれるだけだった。見慣れた、見飽きた、下品な私生活を連想してしまう女優やタレントの知名度に頼ることなく、発想とセンスがしぼりだした杉山のCMは、確かに芸術品の評価にふさわしい。天才という名を欲しいままにしてきた彼の年収は、33年前の当時で2000万円だったという。
彼は、間違いなくリッチだったのだが。遺書にある”リッチ”が、財産や収入ではなく心の豊かさを伝えたいのだろうか。終戦後、杉山少年は、米兵の落とした雑誌からそこに写っていた米国のような豊かな暮らしと文明に憧れる。生まれながらに備わった美術の才能を、自分の求めた豊かな世界への橋渡しへと往かす道を選んだ。おりから日本経済の高度成長期の追い風にのって、がむしゃらに働くサラリーマンと同じ、身を削り、神経を削り、才能を消費して次々と世界にも認められる作品を世におくる。ひとりで手作業ではじめたCMつくりも、大きく組織化していく会社の専務となり、従業員やその家族を抱える身となる。ところがオイルショックとともに、”消費は美徳”から、一気に節約モードに一転する。
どんな天才でも、ゆきづまることもあろう。国内外の賞を多く受賞し、天才というレッテルがもたらす孤独感もあったのかもしれない。プレッシャーと過労から鬱病を発病した可能性もあると思う。ただドラマの最後に、伝命と当時一緒に働きCM制作会社を興した仲間との会話で遺書の”読み方”を語らせたのには、無理がある。(なにしろまるで杉山氏の尊い遺書を利用して、楽天を非難しているようにも聞こえるではないか。私は違和感を覚えた。)番組構成上無理にまとめるのでなく、杉山登志の遺書からなにを感じるのかは、視聴者のそれぞれにまかせでもよいのではないだろうか。
本物のリッチ、本物のハッピーとはなにか。
番組の間にはいった今の資生堂のCMは、さすがに今でも水準が高い。昔からカネボウよりもセンスがよい。
「一瞬も 一生も 美しく」
このシンプルなコピーなどは、完璧だと思う。
「涙を流す女性」編は、いかにも資生堂らしい。ただ、全体がCGを多様した人工的な美しい映像が多く、それがかえってチープな印象を与える。ちょっと、残念。
尚、杉山登志役は、藤木直人さんが好演。
番組中、杉山登志さんの写真が紹介されるが、一枚笑顔の写真があった。その笑顔は、整った藤木さんの顔よりも強い印象を残す。それこそ、本物の笑顔だから。
彼の名前を初めて知ったのは、大学に進学して「広告研究会」なるサークルという場であった。先輩達は酒を呑んでは口角泡を飛ばし、熱心に彼の作品よりも1973年12月13日37歳の若さで自殺した時の遺書の意味を問いた。
「リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
『夢』がないのに
『夢』をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです」
資本主義社会における広告、CMという虚構の世界でのクリエイティブの儚さへの共鳴なのか、青春まっさかりの議論のための議論だったのか、いずれにしろその時の熱気とともに亡くなったCMディレクターの遺書が、一生我が容量の少ない記憶の底に保存されることになるとは、その時は思いもよらなかった。
53年前の8月28日に日本初の時計メーカーによる時報が放映されたことからテレビCMの日に制定され、この日「CM界の鬼才」の生涯を描いたドラマが、TBSで放映された。スポンサーは、杉山登志と関係の深かった資生堂。
番組は登志の少年時代の後にカメラマンとなる弟、伝命との兄弟の交流にはじまり、当時の世相を石黒賢演じる文化部に所属するサラリーマンを通して伝えながら、次々と優れた作品を生み出す当時の登志、そして現代に生きるかけだしのCM制作会社社員が引退した伝命にカメラ撮影を依頼することから浮かぶ世相をからめて構成されている。
途中、杉山登志がてがけたCMが制作課程のドラマとともに紹介されるのだが、これが今日なお斬新で素晴らしい。一瞬の商業映像で、これほど観る者をひきつける力のあることに感動を覚える。ただ美しいだけでなく、そこには人間の感情が存在する。そしてなかには、ユーモラスなCMもある。(ステテコ、腹巻のいかにもといううさんくさい中年のおじさんが夏の海岸に登場して、「資生堂海岸情報。各地の海岸に資生堂サンオイル専門のこそ泥が出没している様です。お持ちのサンオイルは大切に保管してください」というナレーションが被さる。)そして私がもっとも好きなCMは、通称「図書館」。図書館で勉強する高校生の男の子が、ふと顔をあげると美しい女性の存在に気がつく。思わずその女性を見つめていると目と目が会い、かすかにとまどう少年と微笑む女性の視線がからまう一瞬の静寂な時間のま、高い窓からはおだやかな秋の午後の光がこぼれるだけだった。見慣れた、見飽きた、下品な私生活を連想してしまう女優やタレントの知名度に頼ることなく、発想とセンスがしぼりだした杉山のCMは、確かに芸術品の評価にふさわしい。天才という名を欲しいままにしてきた彼の年収は、33年前の当時で2000万円だったという。
彼は、間違いなくリッチだったのだが。遺書にある”リッチ”が、財産や収入ではなく心の豊かさを伝えたいのだろうか。終戦後、杉山少年は、米兵の落とした雑誌からそこに写っていた米国のような豊かな暮らしと文明に憧れる。生まれながらに備わった美術の才能を、自分の求めた豊かな世界への橋渡しへと往かす道を選んだ。おりから日本経済の高度成長期の追い風にのって、がむしゃらに働くサラリーマンと同じ、身を削り、神経を削り、才能を消費して次々と世界にも認められる作品を世におくる。ひとりで手作業ではじめたCMつくりも、大きく組織化していく会社の専務となり、従業員やその家族を抱える身となる。ところがオイルショックとともに、”消費は美徳”から、一気に節約モードに一転する。
どんな天才でも、ゆきづまることもあろう。国内外の賞を多く受賞し、天才というレッテルがもたらす孤独感もあったのかもしれない。プレッシャーと過労から鬱病を発病した可能性もあると思う。ただドラマの最後に、伝命と当時一緒に働きCM制作会社を興した仲間との会話で遺書の”読み方”を語らせたのには、無理がある。(なにしろまるで杉山氏の尊い遺書を利用して、楽天を非難しているようにも聞こえるではないか。私は違和感を覚えた。)番組構成上無理にまとめるのでなく、杉山登志の遺書からなにを感じるのかは、視聴者のそれぞれにまかせでもよいのではないだろうか。
本物のリッチ、本物のハッピーとはなにか。
番組の間にはいった今の資生堂のCMは、さすがに今でも水準が高い。昔からカネボウよりもセンスがよい。
「一瞬も 一生も 美しく」
このシンプルなコピーなどは、完璧だと思う。
「涙を流す女性」編は、いかにも資生堂らしい。ただ、全体がCGを多様した人工的な美しい映像が多く、それがかえってチープな印象を与える。ちょっと、残念。
尚、杉山登志役は、藤木直人さんが好演。
番組中、杉山登志さんの写真が紹介されるが、一枚笑顔の写真があった。その笑顔は、整った藤木さんの顔よりも強い印象を残す。それこそ、本物の笑顔だから。
その天賦の才能は、個人の所有でなく、ある意味人類の共通財産だと思います。たとえば天才ヴァイオリニストには、長く演奏活動をしていただきたくことをせつに願います。
芥川龍之介が自殺したのは、時代が大正から昭和にうつり、内なる才能が燃えつきたのを自覚したからではないでしょうか。三島由紀夫は、多作でしたがまだまだ書けたと思います。
それから「短くも美しく燃え」は、大変好きな映画です。よくご存知で・・・。^^