千の天使がバスケットボールする

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『ハンア・アーレント』

2013-11-17 15:58:40 | Movie
なぜ、今アーレントなのか。

岩波ホールの階段で、次の上映を待つ長い行列に並びながら考えた。岩波映画なのに、いや岩波映画だからなのか、この大盛況ぶりはいったいなんなんだ。そもそも、いろいろな意味で難解なあのアーレントを主人公にして映画になるのか。しかも、私の周囲には世代の違いもあるかもしれないが、「ハンナ・アーレント」など誰も知らないからだ。

もっとも、私も比較的最近アーレントに出会ったので大きなことは言えないのだが、その時以来、彼女は自分にとって特別な人になってしまった。だから、商業主義映画には背を向けて、行列覚悟で「ハンナ・アーレント」なのだ。

アルゼンチンの暗い田舎道。ほこりをたてて一台のバスが止まったかと思うと、懐中電灯を片手にひとりの中年の男性が降りてきたらしい。すると、反対方向からやってきた貨物車から飛び降りた男たちが、あっというまにその男を拉致して走り去って行った。彼こそは、歴史にその名を残した”スペシャリスト”のアドルフ・アイヒマンその人である。

1932年ナチ親衛隊に入隊して、3年後にユダヤ人担当課に配属されるや、アイヒマンは指揮する立場として、実に効率よくユダヤ人を強制収容所に移送して有能さを発揮した。そんな男が裁かれる。イェルサレム裁判でのアイヒマンは、世界一セレブな男となった。

ニューヨークに住むドイツから亡命したユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)は「ザ・ニューヨーカー」に裁判を傍聴して記事を書きたいと伝える。自らも、パリに亡命したにも関わらず、フランスのギリュス強制収容所に連行されて脱出するという過去があるだけに、友人たちにも心配されるが、彼女の意志は固く、1961年イスラエルに飛ぶ。アイヒマン=”巨悪な怪物”という世界中の世論の想像のおしよせる渦の中で、裁判を傍聴するアーレントは考える。

「わたしにとって最も重要なことは理解すること」

彼女の理解力は、アイヒマンを巨悪な怪物ではなく職務に忠実で無自覚な平凡な役人ととらえた。しかし、「ザ・ニューヨーカー」に連載されたレポートは、全米で激しい論争を呼び、ユダヤ人だけでなく世界中から非難をあびることとなった。しかも、教授として勤務している大学から辞職を勧告され、イスラエル政府からも記事の出版停止の警告も受けるのだったが。。。

映画は、タイトルどおりにアーレントその人を映していく。
ヘビースモーカーだったのは知っていたが、次々と煙草に火をつけて考えているアーレント。こどもはいなかったが二番目の夫を喪ったとき、かなりやつれたというくらい愛情が深かったことを思い出させるアーレントの夫への会話やしぐさ。そして支援者や友人とのあたたかい交流。女性らしく、美しく、魅力的なアーレント。意外な印象にとまどううちに、そんな彼女を飾るエピソードのように、既婚者のハイデガーと恋愛関係におちる若く純粋な女学生のアーレントが映像にたたずむ。

何故、ここでこんな若かりし頃の情事をさりげないしおりのようにはさむのか。
しかし、練られた脚本を読むと、彼との恋愛が、アーレントその人自身をつくる基盤のひとつとなったことがわかる。ハイデガーは思考することで自分の存在を説いてきた哲学者だった。戦後再会したハイデガーは、アーレントが博士論文で「アウグスティヌスの愛の概念」を書いたことから、アウグスティヌスの「相手より先に愛すことほど、愛の世界へいざなう偉大な招待状はない」という言葉を武器に関係修復を誘う。嗚呼、アーレントは愛情に包まれた人だったのだ。

こういったアーレントは、後半、嵐のような誹謗中傷に負けず、思考を重ねて真実を語り、学生の前で圧巻の講義する、それもアーレントらしい彼女を見事にうきあがらせていく。。特別な人間ではない者すらも、状況により、思考することを放棄すればどんな”悪”にも手をかけるのか。やはり原題のタイトルどおりに、この映画は「ハンナ・アーレント」だ。

私が育ったときは、アイヒマンは悪魔などではなく、「悪の陳腐さ」という言葉とともに凡庸な人という見方がスタンダードだった。そのため、アーレントがこんな風に批判されていたなど全く知らなかった。アーレントは、私にとっては特別な人であるのも、おりにふれ、悩む時、私は彼女の次の言葉を思い出しては気をひきしめていたからなのだが、本作を観終わるとこの言葉の深層がうかびあがって心にきざまれてくる。

「わたしは自分自身について忠実でなければならない。わたしは、自分と折り合いがつかないようなこと、思い出したくないようなことを行ってはいけない。わたしがある事柄を行動できないのは、それを行うとわたし自身と共に生きていくことができない。」

彼女の信念は、アイヒマンの”悪の陳腐さ”と対極にある。何故、今アーレントなのか。それは、今でも「なぜアーレントが重要なのか」と同じである。

監督・脚本:マルガレーテ・フォン・トロッタ
原題:"Hannah Arendt"
2012年ドイツ・フランス・ルクセンブルク製作

■アーカイヴ
・「なぜアーレントが重要なのか」E・ヤング=ブルーエル著
映画「ハンナ・アーレント」が上映される
「われらはみな、アイヒマンの息子」ギュンター・アンダース著


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4 コメント

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従順な小役人 (xtc4241)
2013-12-14 02:53:22
樹衣子さん、おはようございます。
いま12月14日2:45頃です。

ハンナ・アーレント、僕もきのう見に行きました。
アイヒマンは絶対悪でなくてはならない。
その叫ぶのは当然でしょう。ユダヤ人にとっては。
それは被害者家族が極刑を願うのと同じです。
だから、僕はそのことに異議はありません。
でも、より客観的に考えなくちゃいけない、第3者としては冷静な判断が必要だと思います。
そして、ハンナ・アーレントは自分がガス室に行ったかもしれない人なのに、極めて普遍的な判断をした。
そこがすごいところだと思います。
僕のブログでも映画レビューを書きました。
よければ見てください。
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xtc4241さまへ (樹衣子)
2013-12-15 15:58:14
ご無沙汰をしております。

「ハンナ・アーレント」の映画をご覧になったのですね。まだ混んでましたでしょうか。

>叫ぶのは当然でしょう。ユダヤ人にとっては

確かに。もし自分が被害者家族だったら、、、という視点も考える上でとても大切ですね。

>ハンナ・アーレントは自分がガス室に行ったかもしれない人なのに、極めて普遍的な判断をした

そうですよね!改めて、こんなところにも確かにハンナ・アーレントが傑出していることに気がつきました。

だからこそ、彼女を主人公にしたこの映画が製作されたことに意義があるのですね。

後ほど、xtc4241さまのブログも訪問いたします。
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こんばんは (ノラネコ)
2014-01-15 20:52:39
若き日のエピソードには、彼女が自身の体験として、誰もがナチになりえるという事を知っていた事を印象付ける意図もあったと思います。
地味ながら実に緻密に構成された作品でした。
こういうのがヒットするのは今の日本に響く内容だからでしょうね。
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ノラネコさまへ (樹衣子)
2014-01-20 21:45:16
こちらへのコメントもありがとうございます。

>彼女が自身の体験として、誰もがナチになりえるという

おっと!、それは気がつかなかったですね。
この映画に関しては、私は、少々理解が不足しているように思われます。今さらながらですが・・・。

そうそう、日本でこれほどヒットするとは予想外でした。
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