千の天使がバスケットボールする

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「映画のなかのアメリカ」藤原帰一著

2006-04-30 18:56:16 | Book
映画は、娯楽だ、そして見世物であり、または監督の作品だ、という者もいるだろう。
しかし、映画は観客なしに成り立たず、個人の表現行為から完結できないからこそ、映画は時代精神をフィクションの中に描くキャンパスになった。社会通念は時代とともに変わり、映画が時代の顔を表してきたとしたら、その顔の変化を追いかけて、社会が自らをどう認識してきたかに視点をおき、アメリカ社会とアメリカの政治を考えること、これらを目的とした国際政治学者にして大の映画好きな藤原帰一氏が筆をとったのが本書である。

とりあげた映画は、200本以上。1915年制作の「國民の創世」から最近の「ミリオンダラー・ベイビー」まで、誰もが知っている名作から、映画好きでも知らないような作品まで幅広く、その一方で著者が偏愛するという懐かしくてアナーキーな『M★A★S★H/マッシュ』(監督はロバート・アルトマンだった!)をとりあげながらも、あの『スター・ウォーズ』は映画から一人称と悪女を奪ったとして、論外におく。その映画の選択眼は、1956年生まれというには成熟し過ぎている感もあるが、マニアックな映画オタクぶりを遺憾なく発揮している。
そして勿論、肝心な映画を論じることで、政治家という本来プロフェッシャナルな狭い世界の作業を、大衆までその政治事象がみせる意味を存分にひろげている。バックボーンにある著者の政治学者としての知識をおしつけることもなく、新しい映画の観方を教えてくれる。

たとえば『愛の落日』という映画がある。私もこの映画の感想をブログに書いたことを思い出した。
1952年、独立解放と政府が対立するフランス占領下のベトナム首都サイゴンで起こったロンドン・タイムズの特派員である初老のファウラー(マイケル・ケイン)、彼の美しい愛人であるベトナム女性フォング(ドー・ハイ・イエン)、そして彼女に恋をする援助団体の眼科医アメリカ青年パイル (ブレンダン・フレイザー)の人間模様であるが、そこに藤原氏は、グレアム・グリーンの小説「おとなしいアメリカ人」を映画化したこの作品を、アメリカの理想と暴力の両面を描いた貴重な映画だと高く評価している。余談ではあるが、国内では女性層をとりこむために(いつもの手段だが)三人の恋愛模様を中心に宣伝活動を行っていた。(だからだろうか、作品の質の高さのわりには、観客が少ない。これもまた、いつものことだが)

藤原氏は、ファウラーと好青年パイルを老大国イギリスと若き超大国アメリカと対照して観ている。インドをはじめ殖民地を手離し、権力の限界を思い知らされた大戦後のイギリスの象徴がファウラーで、政治権力を外から変えようとするアメリカの象徴であるパイルを思い上がりの妄想だと考えるファウラー。こうしたファウラーの考えはただの現状追随で、無法と暴力を前にした無為と無能に過ぎない。だから本国に妻を残し、ベトナム女性を”愛人”としておく。
それでは、その女性を”妻”にしたいと真剣に望むパイルの行動は、いかにも高潔である。
私が、パイルを「静かな顔の裏に理想とするイデオロギーを実践するためには手段を選ばない別の顔」と表現した彼の高潔さが、ベトナムの軍閥と手を結び共産主義者へのテロ行為を、正義を実践するための暴力の正当化と藤原氏はさらに深くふみこんでいる。
そしてパイルを善良な好青年として描くことによって、善意と信念こそが可能にする苛烈な暴力を、グリーンも、この映画も見事に捉えていると、批評している。

自分も同じ映画を観ていることから、この藤原氏の批評もまことにお見事だと思う。
イラクを民主化することの正当性、ファルージャ爆撃もイラクを民主化するためのやむをえない犠牲という大義名分の風潮を考えると、理想主義の戦争を描いた『愛の落日』は、異様なリアリティで迫ってくると。

その他、大統領の陰謀、兵士の帰還、東部と西部、市民宗教の理想・・・、藤原氏は映画ファンに陥りがちな作品のおもしろさに熱にうかされることなく、アメリカの政治と社会にきりこんでいく。その手法は、強引でもなく、冴え渡る。『ジョーズ』を観て、映画監督になる夢をあきらめた政治学者の語る映画論は、一読の価値あり。

映画を米国の魂と考えるアメリカ人がいる。その一方で著者が記すように、映画好きのアメリカ人でそれなりの教育を受けた人がアメリカ映画だけは見ないで、アートハウスと呼ばれるところで、フランスやアジアのハリウッドにはない”本当の”映画体験を楽しんでいるという。このエピソードはよくわかる。自分自身も、ハルウッド映画に背を向けているから。それでも、アメリカ映画には、この国らしい欺瞞を含めたおもしろさがある。人間の勇気と誇りと同時に、醜さと虚栄をショーのようにみせてくれるからだろうか。この国の映画には、人間のすべてがある。いや、やっぱり本書に出会って気がついたのだが、映画に描かれるアメリカという国に興味がつきないのだろう。
次回は、また違った映画での続編が待たれる。


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