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千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

日比谷でオクトバーフェスト

2011-05-26 22:30:47 | Nonsense
よく体がもつな・・・、といつも感心している超多忙な激リーマンの物語三昧の管理人・ペトロニウスさまのブログで発見したのが、「日比谷オクトバーフェスト2011」
詳細は上記のリンク先をご参照いただければ。

オクトーバーフェストは、ドイツ、バイエルン州にあるミュンヘンで開催される世界最大のビール祭り。(以下は、Wikipedia)より参照。
会場の席は100、000席。およそサントリーホールの大ホール50個分。酔っ払いの胃袋に消えたソーセージは、219,443本。丸焼きにされた牛は、102頭で、照り焼きにされたチキンは459,279羽。シュパーテン(Spaten)、アウグスティナー(Augustiner)、パウラナー Paulaner、ハッカープショール:Hacker-Pschorr)、ホフブロイ:Hofbräu、レーヴェンブロイLöwenbräu)のビール醸造所からやってきたビールは、620万杯。その規模は半端ではない。巨大なテントでひたすらビールを呑むだけなのだが、私も一度は参加したいオクトバーフェスト。

昨年の7月に、私もヒトラーも演説をしたことのある会場(私の記憶違いかもしれないが)としても有名なミュンヘンの「Hofbräuhaus München」を訪問した。女性向けのレモネードをビールで割ったラドラーを注文したのだが、やってきたビールを見てびっくり仰天。ジョッキがでかい!!軽く1リットルは入っているぞ。どうしよう、か弱き乙女はこんなにビールを呑めない、しかし大学時代に先輩から「酒の一滴は血の一滴」と厳しくしつけられた大和撫子としましては、異国の地でビールを残して日本女性の恥もおいてくるわけにはいかない、と不安を感じつつ、気がついたらあっというまに呑み干していた・・・。ドイツに行くと、白ワインも美味しいが、すっかりビール党になってしまう。本当に、ドイツのビールはうまいっ。そんなドイツのビールがやってくる。ドイツの街は、どこも整然として美しかった。また、ドイツを訪問したいと願いつつ、今夜もビールを一杯・・・。Ein Prosit!

日本的受身のジャーナリズム

2011-05-09 22:33:38 | Nonsense
「モスクワの孤独」という著書で、米田綱路氏はあとがきで「そもそも日本のメディアに、何か本質的なことを批評し、批判を持続していくだけの姿勢や問題意識はあるのか」と痛烈な一言を投げた。元日経新聞の記者だった米田氏のこの言葉を、メディアでお仕事にたずさわる方たちはどのように受け止められたのだろうか。少なくとも、マスコミ業界に何の関係もない私ですら、おっしゃるとおり・・・と感じたのが、先日の震災報道だ。タイムリーにも、今月号の「選択」の巻頭インタビューのお題目が、「これでいいのか『震災報道』」だった。ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏が日本的な「震災報道」についてインタビューに答えている。

震災直後、福島第一原子力発電所の事故にまつわる一連の報道には、かたずを呑んでテレビの画面を見守っていた。しかし、次々と東京電力側、原子力安全・保安院のおえらいさんや現場責任者の発表、専門家の解説を聞きながら、おそらくおおかたの国民は報道の内容に懐疑的になったのではないだろうか。不思議なことに、日本の政府当局が公表しているよりも、NYタイムズが入手していたNRC(米原子力規制委員会)の極秘査定報告書の方がさらに詳細だったそうだ。そのためだろうか、途中から日本政府は福島原発の被害をレベル7に引き上げたが、それは当初より海外メディアを通じて予測されていたことだった。マーティン氏によると、日本のメディアは記者クラブに陣取って情報が手渡されるのを待ち、受けた情報を垂れ流すだけで、自ら進んで報道するという精神がない。

その理由として、記者は記者クラブの席に座り、情報源とお酒をくみかわして親しくなり、スクープをもらって日本新聞協会の賞を受賞するからだ。米国でも同様の問題はあり、メディア自体がエリート層の一部となり、政府と対峙する関係になりにくいのだが、記者は自ら一定の距離をおくようにしているそうだ。米国では人が目を向けないところを自ら調査、報道して評価されるのに。但し、情けないのはメディア側だけではない。マーティン・ファクラー氏のいうように受身のジャーナリズムの最大の原因は、読者も含めた市民参加型社会の欠如にある。マスコミ業界に何の関係もない私ですが、おっしゃるとおり・・・、と反省。

ところで、米田氏が友人と「モスクワの孤独」の出版の打ち合わせをしていた時に、たまたま近くの席にいた青年から、本当にロシアには言論の自由がないのでしょうか、先生からはもうなんでも自由に話せると聞いている、と尋ねられたそうだ。聞けば、大手新聞社に就職が決まっているそうだとのこと。そんなエピソードから、冒頭の「そもそも日本のメディアに・・・・」という話になるのだが、おそらくその青年は頭のよい優等生で、優等生にありがちな素直な性格ゆえに、ゼミの教授の話などをそのまま素直に受け止めていたのではないか、と私は想像する。しかし、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤが2006年に自宅アパートのエレベーター内でたった4発の銃弾で見事に心臓と脳など致命傷を与えられて亡くなった時、犯人の動機を痴情関係のもつれだとは誰も考えないだろう。まだ学生だったその青年には、私は、本質を見るためには、人から聞いたことをうのみにするのではなく、自ら調べて自ら深く考えることと、自分も含めて伝えたい。

「歴史の不可避性」とソビエト的礼節

2011-05-07 10:46:00 | Nonsense
三省堂主催のサイエンスカフェに参加した帰り道、懐かしくなり古本屋街を散策しているうちに、目についた一冊の本があった。
東京堂書店のショーウィンドに飾られていたのが、米田綱路氏による「モスクワの孤独」(副題:「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア」である。モスクワの芸術品のような地下鉄の写真を表紙にした分厚い本に、私は一目ぼれをしてくぎづけとなってしまった。1960年代の旧ソ連時代から現代まで、5人の自由な知識人はいかに生きのびたか、というサントリー学芸賞を受賞した本書は、私の直感があたった優れものの一冊。

その中でもほんの一部、20世紀最大のロシアの詩人、オシップ・マンデリシュタームが収容所で亡くなった後、彼の寡婦としてその後42年生きたナジェージダ・マンデリシュタームを書いた「歴史の不可避性」より紹介したい。

狐は多くの事を知っている、しかしハリネズミは一つの巨大なことを知っている。
ギリシヤの詩人アルキロコスの詩片から出発してアイザィア・バーリンは「ハリネズミと狐」で、 トルストイは資質からして本来は複雑かつ豊穣で多様さをとらえることのできる狐であるにも関わらず、大いなる理念を抱いたハリネズミであると信じたところに、彼を生涯苦しめた矛盾があったと喝破した。ハリネズミと狐の対照はバーリンの政治哲学の根本概念、積極的自由と消極的自由の対照につながり、積極的自由が過激化して消極的自由を破壊する全体主義に対し、価値の多元主義を守ることの重要性を説いた本でもある。彼は、トルストイを通じて、人間の自由と責任を歴史の不可避性というドグマとの対照によって考察した。

収容所群島では、国家統制に不適切な言葉は、被逮捕者とともにラーゲリーに持ち去られるか、HKBD(内務人民委員)の牢獄で朽ち果てる「歴史の不可避性」を強いられた。官僚的な絶滅機構は、「歴史の不可避性」を推進し、人々を破滅に追いやった。それは偶然のようでいて、すべてが必然となっていった。カリーンで生活していた頃、夫のマンデリシュタームが再び逮捕された後、ナジェージダは友人たちに知らせるためにモスクワに向かったのだが、逮捕状をもってHKBDがやってきたのは、そのほんの不在期間のことで、家宅捜査までされたが、夫の詩作の原稿とともに彼女は生き延びることができた。夫だけでなく、職も奪われ、モスクワからに住む権利も奪われのたが、住まいがなかったから、”人民の敵”である自分は救われたと、彼女は後に語ったそうだ。そんな彼女は、偶然もまた運命的であり、スターリニズムという「歴史の不可避性」が人間の生死をつかさどることを、ひとつのエピソードで説明している。

やがて彼女は工場で皿洗いをして糊口をしのぎながら、何度もモスクワに通いHKBDの窓口前に並んで夫の消息を尋ねた。そこには、夫、父、息子の消息を確認する列が静かに順番を待っている。ある女性もそんなひとりだった。彼女の息子は、たまたま家を留守にしていた同姓の隣人のかわりに、拘引されたのだった。彼女は、駆けずり回って、人違いを証明した。おかげで釈放命令が出されたものの、検察の窓口で息子の死を知らされた。隣人は、偶然にも生き延びて姿をくらますことができたのだが、かわりに息子は”残酷な偶然”によって破滅されたのである。彼女はうなり声をあげて号泣した。

何故、息子が誤認逮捕されたのか、何故、死んだのか。スターリン体制には、その”なぜ”を説明できる者など誰もいない。窓口から検事がでてきて、”教育的目的”から彼女をどなりつけ、列をつくって待っていた人たちが彼女を取り囲んだ。しかし、誰も叫び声をあげる彼女に同情して肩をもつこともしない。
「そんなところで泣いて何になるの。今はもう戻ってこないんだから。あなたはただ、私たちの邪魔なの」
彼女と同じく、息子の消息を問い合わせに来た中年女性は、そう言い放った。泣き叫ぶ女性は連れ出され、何事もなかったかのように”秩序”が戻った・・・。

ソビエト体制下で、人間的な本能を押し殺し、従順さを表したのは、スケープゴートにされないための自己保存本能、恐怖というよりも無力感、そして内的な規律をうめこまれた”ソビエト的礼節”だとナジェージダは述べている。無力感は”ソビエト的礼節”と表裏一体の感情で、人々は決定された運命を「歴史の不可避性」と受け止めて従順に従い、決定を下すシステムを支え、加担すらしている。規律化され、洗練され、秩序を乱さず列に並ぶ”ソビエト的礼節”の世界。

マンデリシュタームは、そのような従順や忍耐とは無縁で、冗談をいい、叫び声をあげ、驚き、理念と自由な人だった。歴史の不可避性によって決定づけられたマンデリシュタームの運命をなんとかかえたいと、ナジェージダもまた奔走した。何度も自問自答してくじけそうになりながらも、その決定から自由になることは、夫の詩を守ることだと決意する。夫の詩を驚異的な記憶力で覚えた。そして、何よりも生きることが自分の名前、希望を意味するナジェージダにふさわしいと。

「モスクワの孤独」の感想へ

ハリウッドをつくった女優エリザベス・テイラーが亡くなる

2011-03-24 23:02:46 | Nonsense
戦後のハリウッドを代表する女優で「リズ」の愛称で親しまれたエリザベス・テイラーさんが23日、死去した。79歳だった。
『ジャイアンツ』(56年)でジェームズ・ディーンと共演し、アカデミー賞主演女優賞に2度輝くなど、ハリウッドの黄金期を代表する大女優が天国に旅立った。子どもたちに囲まれ、入院先のロサンゼルスの病院で息を引き取ったという。09年10月には心臓の弁の手術を行い、ツイッターで「まるで新品の心臓を手に入れたようだわ」と書き込んでいたテイラーさんだが、6週間前から入院。79歳の誕生日だった2月27日は家族と病室のテレビでアカデミー賞授賞式を見ていたという。

華やかな恋愛遍歴も注目を集めた。私生活では8度の離婚を経験。最初の結婚は18歳の時で、ホテル王の息子、コンラッド・ヒルトン・ジュニアだった。映画「クレオパトラ」(63年)で共演した俳優リチャード・バートンとは2度の結婚、離婚。91年には20歳年下の建設作業員と8回目の結婚をして話題になったが、97年に離婚した。 「ジャイアンツ」でも共演した友人ロック・ハドソンの死をきっかけに、80年代以降は、エイズ撲滅キャンペーンに奔走。イスラエル訪問などチャリティにも熱心だった。

1932年、英ロンドン生まれ。幼少時にロサンゼルスに移り、母親の勧めで映画の世界に入り、10代で出演した「若草物語」(49年)などでスターの座を確立した。「陽のあたる場所」(51年)「ジャイアンツ」(56年)など話題作に次々と出演、類いまれな美貌でトップスターの道を歩んだ。その後「バターフィールド8」(60年)と「バージニア・ウルフなんかこわくない」(66年)で2度、アカデミー主演女優賞に輝き、「最もスターらしいスター」と呼ばれた。


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世界で最も美しい女性だったもうひとりの女優、カトリーヌ・ドヌーヴ(67歳)は老いても華やかな存在感と美貌はちっとも衰えていない現役ぶりと先日鑑賞した『しあわせの雨傘』では、女優としても益々円熟の域に達していると圧倒された。それでは、米国を代表するもうひとりの最も美しい女性エリザベス・テイラーは、というとドヌーヴほどの生き方が上手ではなかったかもしれない。その美貌をハリウッドのスター女優としていかしながら、奔放な私生活では多くの男性の心を虜にしても何度も結婚生活には破れた。恋多き女の艶聞が何かと先行してマスコミのセレブなおもちゃのような扱いが、彼女の尊厳を貶めているようで気の毒な気もした。

彼女の出演作で観ている記憶があるのは、『トスカニーニ 愛と情熱の日々』『陽のあたる場所』『バージニア・ウルフなんか怖くない』の3本だけ。けれども『陽のあたる場所』『バージニア・ウルフなんか怖くない』は映画そのものもとても素晴らしかったのだが、エリザベス・テーラーがスクリーンに立っているだけではまり役で名演技だったと思う。美しい女優は次々と誕生するが、彼女ほどのスケール感のある女優はもう現れないだろう。また、そういう時代でもない。

■謹んでアーカイヴ
『バージニア・ウルフなんか怖くない』

現実はフィクションをこえる

2011-03-18 17:20:18 | Nonsense
新聞の社会面や雑誌を読んで時々しみじみと感じるのが、巷間に言われる”事実は小説よりも奇なり”という言葉だ。世の中で実際に起こる事件は、人の想像をこえる。そして、事実は、恐ろしくもフィクションをこえると知らされたのが、今回の東北地方太平洋沖地震だった。福島市のご自宅で被災した作家の冲方丁さんが「物語の想像力は、現実に起こりうる以上のものは書いていないと、思い知らされた」と語っていたが、まさにその通りである。

3月11日は、通常どおりに出勤し業務をこなし、、、ただひとつ平凡な一日と違っていたのが、電車がストップしてしまい帰宅できずに会社で朝まで過ごしたこと。(合法的な朝帰りというのは、ちっとも楽しくない。)夜、テレビの報道で作業服を着た枝野官房長官の会見を観て、その後に登場した東京電力の方のお話を聞き、なんとなく既視感にとらわれて、最初はおよそ現実のことという実感がともなわなかった。それほど、この国で大災害の後に次々と起こった災難に呆然としてしまったということだろうか。1週間たっても、明日、会社に出社できるのかわからない、今日、自宅に帰れるのかわからない、自宅は計画停電の対象外とはいえ、どうも数時間電話が不通になりネットが使用できないという繰り返し。コンサートも次々と中止か延期。しかし、この程度の不自由さは被災者の方たちに比べたら、文句を言ってはいけない。

ところで海外メディアや新聞の報道を読むとザ・タイムズ紙は「日本国民の回復力と政府当局の迅速な対応を称讃する」と表明し(14日)、デイリー・ミラー紙は被災地ルポで「泣き叫ぶ声もヒステリーも怒りもない。日本人は黙って威厳をもち、なすべき事をしている」と報道しているようだ。「国家の品格」で日本人の品格を問われたこともあったが、実際、日本人には品格がなくなったと感じることも多いが、未曾有の災害を前にして、一番困難な被災者の方たちの、厳かさと誇り、思いやりを失わず助け合う姿を知るにつれ、日本人の美徳が失われていないことを知った。今後もどうなるか、まだまだ気が抜けない日々が続くが、この日本だったら、私たち日本人だったら、おそらく早く復興する日が訪れると信じたい。

近日、鑑賞予定映画。

2011-03-13 23:36:56 | Nonsense
今春は、とても観たい映画がめじろおし。
とりあえず、忘れないように覚書。。。

・『神々と男たち』
・『英国王のスピーチ』
・『ショパン』
・『サラエボ,希望の街角』
・『アメイジング・グレイス』
・『さくら、さくら』
・『コミュニストはSEXがお上手?』
・『わたしを離さないで』・・・3/26から
・『マーラー 君に捧げるアダージョ』・・・4/30から
・『ブラック・スワン』・・・5/13から
・『ナンネル・モーツァルト』・・・4/9から

枯葉剤の傷痕を見つめて ~アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ~

2011-03-07 23:35:18 | Nonsense
N響アワーでジュリアン・ラクリンさんの素晴らしいベートーベンのVn協奏曲の演奏を聴いて心が晴れ晴れとして自信を取り戻したような気分になった日曜日の夜、そのままテレビをつけっぱなしにしていたらETV特集がはじまった。テーマーは「枯葉剤の傷痕を見つめて」。読書タイムの予定だったのだが、そのままテレビの画面から離れられず、けれどもあまりにも痛ましく観ているのがつらくて半ばでスイッチを切ってしまった。

ベトナム戦争が終結して、36年にもなる。銀座には私もお気に入りのベトナム料理の店があり、ベトナムは戦争とは無縁なエステや買物も楽しめる女子の人気観光地でもある。しかし、今でも苦しみが続いている枯葉剤被害の実態を取材している日本人の映像作家がいる。映画『花はどこへいった』を撮り、数々の賞を受賞した監督・坂田雅子さんである。番組は、地方の民家をモダンに改装して事務所兼自宅となっている坂田さんの住まいからはじまった。

坂田さんが枯葉剤被害に関心をもったのは、2003年に夫の写真家だったグレッグ・デイビスさんを肝臓がんで亡くしてからのこと。グレッグさんは、元ベトナム帰還兵で枯葉剤を散布された地域で従軍していたこともあり、そのためこどもをつくりたくないことを友人に語っていたことを聞き、今でもアメリカの帰還兵と枯葉剤による被害にこどもたちが苦しんでいる実態を知った。1996年、当時のクリントン大統領がはじめて公式に枯葉剤被害を認めたが、その被害の全貌はあきらかにされていない。そんな中で、帰還兵のこどもたちが自らの経験を語り始めた。

右足の膝から下の足と指が数本欠損しているヘザー・バウザーさんも、その中のひとりだ。彼女の父親はベトナム戦争に従軍して枯葉剤をあびたが、病院では因果関係はないと診断され、こどもの頃からいじめられたりとヘザーさんはアメリカ社会で孤立感を抱いてきた。彼女は、坂田さんとともに父の戦場だったベトナムへと向かう。ベトナムで「枯葉剤被害者の会」の面々と会うヘザーさんの胸中は複雑だっただろう。彼女は戦争相手で枯葉剤を散布した国からやってきたのだ。しかし、対立や戦争を超えて、どちらも同じ障がいをもって生まれたことではともに被害者である。ヘザーさんを受け容れるベトナムの人々の心にふれて、こどもの頃からの孤立感をいやされて思わず涙ぐむヘザーさんとかたわらで彼女を見守る夫。
やがて、坂田さんとヘザーさん夫婦は、被害の大きかった農村まで足を運でいく。そこで待っていたのは、貧しい暮らしの中で生活する生まれながらに皮膚病をわずらっている姉と目も見えない弟。また、目のない少女や学校にも行けないくらいの重い障がいをもった男児。彼らの障がいは、私たちが日常、社会で目にする障がいとはあきらかに異質な異形、奇形児である。ある母親は、出産したわが子と初めて会った時にその姿に失神したそうだ。そんなこどもたちを愛情深く、優しく見守る家族に、何か考えさせられるものもある。

ベトナムの歴史ある産婦人科病院で、ヘザーさんたちは溌剌とした女性の病院長に会っていろいろな話しを聞く。この病院では、枯葉剤による障がいがあり親が育てられない100人ほどのこどもたちが生活している。並んだベットでただ横たわる少年たちは、自分たちの不運を認識すらできないのでは、と思われるくらいその障がいは重い。病院長から超音波診断による中絶の話を聞かされたとき、ヘザーさんは自分も生まれてこなかったかもしれないと感じて反発した。彼女が感情的になるのも無理はないが、この病院で実際に中絶するのはたとえ出産しても生きることができない胎児だけだと説明される。その後、ホルマリン漬けとなって保管されている多くの胎児を目の前にして、ヘザーさんは自分の生命が紙一重だったと感じて驚愕する。

旅に出る前のヘザーさんは、肉体に一部欠損している部分があるが、さまざまな苦難を乗り越えて、今では夫とふたりのこどもたちに恵まれたあかるいアメリカ女性という印象だった。ところが、旅をして様々な自分と同じ枯葉剤に含まれたダイオキシンによる障がいをもったベトナムのこどもたちと会って、どんどん思いつめて神経が衰弱していっているように見受けられた。彼女が涙ながらに語ったのは、忘れることのできない父の姿だった。戦争から帰還したお父さんは、アルコール中毒、PTSD、そして障がいのある子をもったことで悩み、最後はガンで亡くなった。ある日、拳銃自殺をしようとしているお父さんに気がつき、とっさに何気なく声をかけて冗談を言って防いだ思い出を語りながら、泣いている姿を気の毒に感じる。

当初、枯葉剤は人体に影響はないと説明されていたそうだ。しかし、枯葉剤による被害で障がいのあるこどもを出産したベトナム女性が言っていたが、真っ白な枯葉剤が一面にまかれた翌朝、木々はすべて枯れていたそうだ。ぞっとした。それで本当に人体に影響がないわけがないと、誰だって思うのではないだろうか。これはもう、戦争犯罪と言ってしかるべきか。番組では、美しい緑の大地に枯葉剤を撒く軍用機の映像が何度も何度も流れた。

サイエンスカフェ@三省堂

2011-03-01 17:30:26 | Nonsense
遅まきながら、新聞紙上で目に留まったのが日本でも普及しつつある、というよりも定着している感のある「サイエンスカフェ」の話題だった。元々、サイエンスカフェの発祥の地は英国とフランスで、1990年代にはじまり、従来の講演会やシンポジウムとは異なり、科学者と一般市民がカフェなどの身近な場所で、珈琲やワインを片手に科学について気軽に話し合う場がコンセプトである。

身近にも科学者はいるのだが、、、本人が多忙ゆえめったに会えなかったところが、とうとう海外へ行っちまった。。。
そんなわけで、本で吸収する科学の話だけではなく、これは実際に専門家の方から最先端の科学おもしろ話を伺いたいと、三省堂主催のサイネンスカフェに参加してきた。

参加するにあたり、まずは開催予定のサンエンスカフェを調べるためにネットで検索すると、予想外にサイエンスカフェがたくさんあることに驚いた。主催も、大学、気象庁や日本学術会議などの官公庁、天文台、動物園、NPO法人、市民団体、企業が運営する常設のカフェなどいろいろだが、そのテーマも天文学、生物、化学、数学と幅広く多多種多彩、”科学”というキーワードではそれほどなびかない方もそれなりにひかれるテーマーもありそうだ。夜の主催やワインを一杯でなければ、殆どが小学生から参加できるようになっている。興味をひかれたとある大学のテーマは、中学・高校生とその保護者が参加資格のサイエンスカフェだったのであえなく断念。話題提供者(講師)には、スポーツジャーナリストの増田明美さんのお名前もある。参加費用は、ワンドリンクにデザートがつけば500~650円程度。勤務先のスタッフさんにそれは誰がもうかるのかと聞かれたのだが、会場の喫茶店には多少の売上はあるかもしれないが、そもそもサイエンスカフェは営利目的ではない。むしろ、国民の税金で運営されている研究所や大学の研究室の研究者は、納税者に研究内容を説明する義務もありはしないか、というのもカフェの主催理由にもある。(余談だが、大学受験もたけなわ、めでたく大学生になったら学費を払ってもらっている親に、こどもも卒業時に研究成果を発表すべきだと私は考えている。或いは、更新制度を導入して、内容によっては次年度、仕送り打ち切りなども。)

今回、私が参加した三省堂主催のサイエンスカフェは、「クスリが働くミクロの世界―ケミカルバイオロジーへの誘い―」というテーマーが身近なものということにもあるのだが、やはりなじみのある本屋さんの三省堂が主催ということで、初参加者としては敷居が高いというよりも間口が広く、参加人数も25人とほどよい人数がよかったところだ。会場は、本店の二階の喫茶店内で、一般のお客さんとは離れたスペースを貸切にして落ち着いた雰囲気の部屋を使用、参加費用は、飲み物とちょっとしたデザートを含めて500円。講師の方は、理化学研究所の吉田稔氏で、進行役として毎日新聞科学部の記者の方がご出席されていた。話題は、抗生物質から、薬剤耐性菌の話、ケミカルバイオロジーという学問がはじまり、時代はエピジェネティクスを標的とする抗がん剤を考えるよになり、最後は夢の長寿薬はできるのか?という話題にまで及ぶ。

参加して思ったのだが、講義になれている講師の方でも、難しいことを素人向けに簡単に説明するのは逆に難しそうだということだ。勿論、興味があって参加してくる方はそれなりの知識をもっているのだろうが、最低限、高校レベルの生物の知識は必要であり、新聞や雑誌の科学記事は普段から目を通しておく下地があった方が望ましいと思った。つまり、本来のサイエンスカフェは、受身ではなく、素人の参加者が疑問や質問をだす質疑応答、参加者同士で意見交換をする受身ではなく、文字通り参加することに意義がある。前半の吉田さんの概要よりも、むしろ何気ない抗生物質は細菌には効くがウィルスには効かないといった”余談”の方が印象に残っていたりもする。本場、フランスでは話題提供者は3~4名ほどで、ディスカッションが中心だそうだが、さすが哲学の国フランスだ。おそらく、参加者が積極的に本気でディスカッションしたら、予定の70分を軽くオーバーしそうだが、シャイな日本人は初対面の人ばかりの集まりで、私もそうだが、なかなか積極的に手を挙げることができないのが、ちと残念。

ちなみに簡単なアンケートを提出することになっているが、最後に理系・文系を回答する項目がある。経済学部出身の私は、昔のゼミノートの半分以上が数式でうまっているので、いつもどちらに回答すべきか迷う。三省堂主催のカフェでは理系、文系が半々だそうで、参加者の年代も幅広く、男女比も半々くらいだろうか。ところで、講師となる方はベテランで功績や肩書きのある方が多いのだが、30代前後の若い研究者を招いてもおもしろいのではないか、とも思ったりもした。参加する立場としても、完成形を期待しているのではないので、現場でおこりつつある科学をそれこそ”素朴な目と感性”で話ていただければそれでもよいのではないだろうか。それは兎も角、どうやら、サイエンスカフェは私のスケジュールに定着しそうだ。

■おさらいアーカイブ
エピジェネティクスが見る夢
「エピジェネティクス入門」佐々木裕之著
「タンパク質の一生」永田和宏著
「動的平衡」福岡伸一著
不老不死の薬が届く日
生命の未来を変えた男

不透明な「格付け業界」

2011-02-25 15:24:35 | Nonsense
とある外資系女性証券会社の女性営業マンは、業界では”ボンド・ガール”と呼ばれる有名人。
彼女は安くいが格付けの高い債権(BOND)を集めて、素朴な地方銀行や自治体に債権を売りさばきトップセールスも記録したことがある。彼女の業績には、そのスカートの短い丈も貢献しているのかもしれないが、「高格付けです」という言葉が切り札となり次々と買われていくという。投資家は、日本は、格付けと市場価格や倒産件数との相関関係が低いのをご存知ないのか。2001年9月、社債発行による資金調達で延命を図ったマイケルが破綻し、発行された社債はあえなくデフォルトとなったが、当時の格付け機関の格付けは”投資適格”だった。確かに黒木亮氏の小説「トリプルA」に登場する梁瀬次郎が言うように
「格付け会社は探偵団ではありません。(中略)我々は神ではなく、市場に生き物です」
になるが、優秀な頭脳が判断しているはずの格付にも関わらず、なんとなく不信感がぬぐえないのは、格付会社そのもののビジネスモデルにある。そこで情報誌「選択」を参考に格付け業界の問題をおさらい

①依頼格付けのように、自らが発行する債券や証券化商品の発行者から手数料をもらうため、依頼主への甘い思惑が生じる余地がある。
「トリプルA」の某格付け会社の駐日代表・三条の営業に偏った行動が、単なる架空の物語とは思えないのは、この無理なビジネスモデルにもある。

②一方で勝手格付されて、低く格付けされた会社が、手数料と会社情報を貢いで、格付けをあげてもらっているという哀れな話も・・・。ある外資系格付会社は、一時期、危ない地銀に勝手格付けを乱発して営業をかけていたそうだが、これではまるで反社会的勢力によるゆすりやたかりと変わらないのではないか。

③利益相反による格付けへの影響。米国では、格付会社自らが株式を保有する発行体にへの格付けをする際に影響がすでに問題として浮上している。

④格付けショッピング。より高い格付けが欲しいが為に、複数の格付け会社に打診して判定をもらい、最も高い格付けを付与してくれる会社に手数料を払う。東北地方のある自治体は、地方債の発行を検討して最も条件のよい格付け会社に手数料を支払ったという経緯がある。

⑤もっと悪質なのは、格付け会社が商品設計に関与するマッチ・ポンプ営業。実際に、パチンコ店の権利を証券化商品にする案件がもちかけられ、高格付けとともにパチンコなど何も知らない欧州の機関投資家に売られていったそうだ。

サブプライム問題では、信頼度の低いローン商品にも高い格付けがされていたことは承知のとおり。この事件から、世界の金融当局が「格付け会社」そのものへの規制と監視の必要性で一致した。日本でも、2009年6月、金融商品取引法改正によって、格付け会社の登録制が導入されて、証券取引委員会が格付け手法の妥当性、対象企業の株式保有状況を検査することになった。早速、S&P、ムーディーズ・インベスターズ・サービス・インクの日本法人2社、フィッチ・レーティングス、日系の日本格付研究所と格付投資情報センターが金融庁に業者登録をした。格付け会社から社員をリクルートして、実情の把握に努めているというが、どこまで疑わしいビジネスの闇にせまることができるだろうか。最近は、大学も学長が経営手腕を証明するかのように学校の格付けを公表しているが、学生の立場からしたら経営としての格付けよりも、教育内容の中身の格付けが欲しいところだろう。何でも効率化を求め、経営力を問う時代にも疑問を感じるが、”選択”を他人まかせばかりにもしていられないことも自覚すべきか。格付け業界だけでなく、そこに依存する証券業界の姿勢にも問題がありはしないか。

■アーカイヴ
小説「トリプルA」

今さらながら、日本国債格下げ

2011-02-22 23:45:48 | Nonsense
米格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスのトーマス・バーン上級副社長は9日、都内で記者会見し、日本国債の格付けについて、「下ぶれ要因が高まっている。社会保障と税制改革の中身や実行度合いに注視していきたい」と述べた。
現時点で格付けは変更しないが、政府が取り組む「社会保障と税の一体改革」の内容次第では格下げもあり得るとの見方を示した。
バーン氏は、日本国債の不安要因として、経済の成長率の低下やデフレの長期化、税収の回復の遅れを指摘した。
米格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズは1月、日本国債の格付けを21段階中、上から3番目の「ダブルA」から、4番目の「ダブルAマイナス」に引き下げた。これに対し、ムーディーズは同じく21段階中3番目の「Aa2」を維持している。(2011年2月9日)


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「振り向けばボツワナ」と日本国債の格付けを揶揄したのは、9年ほど前か。そんなこともあり、某会社の格付けも2011年1月27日付けでS&Pの格付が「AA/ネガティブ」から「AA-/安定的」に格下げした。企業の格付けは、所在国の格付けを上回ることができないという原則「カントリ-・シーリング」があるから、それもいたしかたがない。それはともかく、黒木亮氏の「トリプルA」を読了して、あらためて格付け会社ってどんな会社?とおさらいをしてみた。(タイムリーにも新聞に「基礎からわかる格付け」の特集があったので、当該記事を参考に)

格付け会社のビックスリーは、S&P、ムーディーズ、フィッチであるが、日本にも85年に設立された格付投資情報センター(R&I)や日本格付研究所(JCR)がある。右の表を見る限り、予想外に相当数のアナリストがいる。ところで格付には二種類あり、まず、企業などが年金基金や保険会社といった機関投資家の「格付けが一定以上の相手」という投資ルールに適うために”お墨付き”を得るために自らの格付を要請する「依頼格付け」。(「トリプルA」に登場する日比谷生命では、年間500万円もの手数料を支払っていた。)

一方で「勝手格付け」というユニークなネーミングの格付けは、その名の通り企業側から要請もないのに、公開されている情報をもとに分析して、勝手に格付けをする(された)のを呼ぶ。格付け会社はりっぱな営利団体で、ムーディーズの2010年度の売上高は約1700億円!自らが格付けする債権や証券化商品を発行する会社から手数料をもらうというビジネスモデルってどうよ、と思うのだが、この件はまた後述したい。

格付け会社は、時と場合によって国や企業の命運すらも握ることがある。昨年の春、財政危機に陥ったギリシャは、国債の流通利回りが年10%を超えたために市場から資金調達が困難になり、ドイツやフランスから融資を受けたのは記憶に新しい。2008年のリーマン・ショック直後、米国の大手保険会社AIGなどが格下げにより株価が急落して資金ぐりが悪化、巨額な公的資金の注入で瀕死状態からなんとか延命した。格付けは各社がそれぞれ決めたルールに従い、担当アナリストが企業からヒアリングしたり、財務資料を分析して、複数のアナリストが審議のうえ投票して決める。

今回の格下げについては、民主党政権が債務問題に対する一貫した戦略に欠けるという指摘を受けたが、市場関係者は冷静に受け止めている。それは、日本の国債市場の95%が民間銀行などの国内の投資家などが購入しているため安定していて、消費税率引き上げによる財政再建の余地があるからだ。しかし、国の11年度予算案は、国の新たな借金にあたる新規国債発行額が当初予算段階で税収を2年連続で上回る異常事態だ。国と地方をあわせた借金のGDP比が200%ととんでもないことになっている。「そういうことに疎いので」と発言した管総理大臣、それでは総理は務まらないと思うのだが。。。

小説「トリプルA」黒木亮につづく