宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

「菩提樹下の悟り」の内容

2009年10月20日 | 釈迦 ~ 輪廻転生からの卒業
   
お釈迦さまは、菩提樹下(ぼだいじゅげ)で解脱した。長くて苦しい修行のあと、ようやく開いた悟り。気持ちよく、その境地を何日も楽しんでいた。

原始仏典によれば、お釈迦さまは、こう思ったという。「この悟りの内容を、世間の一般人に教えるのは、無理だろう。私が教えを説いたとしても、もしもほかの人々が私のいうことを理解してくれなければ、私には疲労が残るだけだ。私には憂いがあるだけだ」・・・。

それを見ていた梵天が、大慌てで飛んできた。梵天は平身低頭、「なにとぞ、教えを説いて世の人々を救ってください」と懇願する。もはやあらゆる執着を失い、そのままフェードアウトするつもりだった釈尊は、やっと教えを説く気になったという。

これは、仏典の有名な一節だ。これを見ると、なんだか、釈尊の悟りの内容は、世間の一般人にはトテツもなく理解困難なんじゃないかと思えてくる。

実際、「釈尊の悟りは、同じ境地になってみなければ分かりません」という人は少なくない。つまり、「われわれ、凡夫には分かりかねます」というわけだ。それだけなら良いのだが、「私は、<お釈迦さまの生まれ変わり>だ。私が菩提樹下で悟ったことが何だったか、シモジモのお前たちに教えよう」というような新興宗教の教祖までいるのは、ご愛嬌・・・(?)。

これに関して、禅僧は言う。「釈尊が悟ったのは、<無我>の境地である」と。

我は無い。ただ、全体あるのみ。この、「究極のワンネス」とも言える境地、「無我」こそが、釈尊の悟りだというのだ。

釈尊と同じように、ひたすら座禅を組み、深遠な瞑想を続けてきた禅僧の言葉は、傾聴に値する。釈尊と同じとまではいかないまでも、それに近い心境に到達しているだろうからだ。

だが、実際のところ、「菩提樹下の悟り」の内容を知るために、「釈尊と同じ心境に達する」必要などない。何十年も座禅を組む必要もないのである。なぜなら、釈尊が菩提樹下で何を考えていたかは、仏典にハッキリと書かれているからだ。しかも、例によって「これでもか」と言わんばかりの繰り返しつきで(笑)。

仏典によれば、釈尊が菩提樹下でやっていたのは、「十二因縁を順逆に観ずる瞑想」である。


最初の正しい目覚めにいたったゴータマ・ブッダは、ウルヴェーラー村の、
ネーランジャナー河の岸辺にある菩提樹の下で、あらためて七日間に及ぶ、
解脱の悦びを享受するための禅定に入った。
 
その日の初夜(夜を三分割したときの最初の時間帯)に、ゴータマ・ブッダは、十二因縁を順逆に観じた。

そのあと、つぎの環境の詩節(ウダーナ)を唱えた。

「努力して瞑想しているバラモン(清らかな修行者)にもろもろのものごと
(が因果関係の鎖をなしていること)が露わになったとき、
彼はもろもろの原因を持つものごと(ものごとは原因があって生ずること)
を知ったので、彼の疑念はすべて消え去る」

中夜に、ゴータマ・ブッダは、さらに十二因縁を順逆に観じた。
そのあと、つぎの感興の詩節を唱えた。

「努力して瞑想しているバラモンにもろもろのものごとが露わになったとき、
彼はもろもろの原因(縁)の滅を知ったので、彼の疑念はすべて消え去る」

最後に、ゴータマ・ブッダは、さらに十二因縁を順逆に観じた。

そのあと、つぎの感興の詩節を唱えた。

「努力して瞑想しているバラモンにもろもろのものごとが露わになったとき、
彼は、太陽が天空を照らすかのように、悪魔の軍勢を打ち破って立つ」

このような禅定に七日間ひたったのち、ゴータマ・ブッダは菩提樹の下を出て、
アジャパーラニグローダ樹の下へと移動した。
 
(マハーヴァッガ・・・出典:宮元啓一著『ブッダが考えたこと』)
 
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