★ ヨーガに独自の方法を取り入れた
わたしは催眠法のインストラクターですので、ヨーガの最後に行うリラク
ゼーションに、潜在能力に語りかけるような、「自分がますます好きになる」
「思ったことは必ず実現できる」「とらわれやこだわりがなくなり、考え方が
だんだん柔軟になる」「だんだん健康になり、いつでも穏やかな気分でいられる」
など、そのときどきに毎回違いますが、心癒すような音楽を流し約15分間行いました。
それが生徒さんには大変好評で、レッスン後の生徒さん達は、とてもスッキリ
とした穏やかな表情になりました。
その頃は、「ストレス」や「リラックス」などはあまり普遍的ではなかった
のですが、わたし独自の指導法を「リラックス・ヨーガ」と名付けました。
★ ヨーガの大ブーム
ヨーガ教室と併設したカウンセリングルームは、あまりにも多い生徒さんを
捌き切れず、しばらく休業することにしました。せめてもっとも混雑する夜
だけでももう一箇所会場を開こうと考え、そして駅前のビルの一室を見せて
もらいましたが、そこは陰気くさくわたしの趣味に合わず、諦めて帰るとき
見たのが、同じ階に鏡が壁一面に張ってある明るい会場でした。
わたしはここを借りたいと思い、ダメモトでそのビルのオーナーに訊ね
ましたら、何と二つ返事で借りられることになったのです。
夫は同じ梅丘商店街でお店を開いていましたが、そのオーナーとは幼馴染で
事業家のご主人は薬局をはじめ、いろいろな経営をしていたようです。
後で夫に「駅前ビルの一室が借りられた」話したら、大変びっくりしました。
そして「今まで借り手を選んで誰にも貸さなかった、だから権利金も相当
高いかも」と言われたのです。
でもそのオーナーは一円も取らず、さらにスタジオの工事が完了するまで
家賃も要らないと言ってくれました。あまりの好条件に夫も驚いていましたが
わたしは何と運が良いのでしょう。そこは梅丘駅前ビルの2階で場所もよく、
とても広いので、ダンススタジオにしたいと思い、それを実現しましたが、
それはまた次回ご紹介しましょう。
★ いつも走って勉強した
忙しい時間を縫ってわたしは相変わらず、毎日一所懸命でした。
都心にも近い我が家はどこに行くにも便利ですし、勉強から帰ってスタジオ
でレッスン、またヨーガ教室でレッスンをした後でなど勉強など、いつも小走
りでした。その頃はどこの大学でも、カルチャーセンター、その他の機関でも
いろいろな心理療法の講座や、心身医学、大脳生理学など、いろいろな内容の
ものをを開講していましたので、勉強するにはまったく事欠かず、また一流の
大学教授の方に、直接ご指導いただいたりなど、わたしは本当にいつもたいへん
んラッキーでした。
また心理学にのめりこんだのは、心理療法に必要ですし、気分の変動の激し
い自分自身が「何故そうなのか、どうしたらコントロールできるか」もとても
知りたかったからです。そしてもっとも大きな気づきは「潜在意識」でした。
その潜在意識についても、次回お話いたします。
★ 情熱のブラックホール
次から次にとまるで何かに追われるように、積極的に行動する自分自身に、
「自分の情熱のブラックホールに吸い込まれてしまうような」恐怖感さえ
抱いたことを今でもありありと思い出し、決して忘れることはできません。
でも絶えず感じるのは、「これは絶対に自分以外の力が働いている、きっと
誰方かが守っていて下さる」ということでした。
そしてある方のご紹介で、有名な霊能詩人の竹内てるよ先生にお願いして
調べて頂きましたが、その頃先生はマスコミでもあまりにも有名になられて
直接お目にかかれませんでした。お手紙でお訊ねしたところ、一年後に
こんなお返事を頂きました。
これは今でも大切にしていますが、それを全文ご紹介しましょう。
「小池能里子さん、あなたには19歳結核で死亡した、中肉中背で色の白い
声の低い、頭の良い男性が守っています。もしもあなたが気がついていても
まったく分からなくても、ご供養いたします。あなたは周りの人に恵まれ、
囲まれてとても幸せな人です」
わたしは「やっぱり!」と納得しました。ヨーガは精神世界ですが、それ
以前にわたしは、もっと次元の違う精神世界があることを信じて、すでに
学んでその知識があったからなのです。
そしてわたしの半端ではない情熱は、もしかして志半ばで夭折した方が、
わたしのその思いを託したのではないかと感じました。
それに比べたら、現在は何と安定した気分でしょう。わたしはそれから
嬉しいことがあると必ず、「有り難うございます」と、わたしの守護霊様に
感謝の気持ちを捧げる習慣がつき、今でも長年それが続いています。
わたしは催眠法のインストラクターですので、ヨーガの最後に行うリラク
ゼーションに、潜在能力に語りかけるような、「自分がますます好きになる」
「思ったことは必ず実現できる」「とらわれやこだわりがなくなり、考え方が
だんだん柔軟になる」「だんだん健康になり、いつでも穏やかな気分でいられる」
など、そのときどきに毎回違いますが、心癒すような音楽を流し約15分間行いました。
それが生徒さんには大変好評で、レッスン後の生徒さん達は、とてもスッキリ
とした穏やかな表情になりました。
その頃は、「ストレス」や「リラックス」などはあまり普遍的ではなかった
のですが、わたし独自の指導法を「リラックス・ヨーガ」と名付けました。
★ ヨーガの大ブーム
ヨーガ教室と併設したカウンセリングルームは、あまりにも多い生徒さんを
捌き切れず、しばらく休業することにしました。せめてもっとも混雑する夜
だけでももう一箇所会場を開こうと考え、そして駅前のビルの一室を見せて
もらいましたが、そこは陰気くさくわたしの趣味に合わず、諦めて帰るとき
見たのが、同じ階に鏡が壁一面に張ってある明るい会場でした。
わたしはここを借りたいと思い、ダメモトでそのビルのオーナーに訊ね
ましたら、何と二つ返事で借りられることになったのです。
夫は同じ梅丘商店街でお店を開いていましたが、そのオーナーとは幼馴染で
事業家のご主人は薬局をはじめ、いろいろな経営をしていたようです。
後で夫に「駅前ビルの一室が借りられた」話したら、大変びっくりしました。
そして「今まで借り手を選んで誰にも貸さなかった、だから権利金も相当
高いかも」と言われたのです。
でもそのオーナーは一円も取らず、さらにスタジオの工事が完了するまで
家賃も要らないと言ってくれました。あまりの好条件に夫も驚いていましたが
わたしは何と運が良いのでしょう。そこは梅丘駅前ビルの2階で場所もよく、
とても広いので、ダンススタジオにしたいと思い、それを実現しましたが、
それはまた次回ご紹介しましょう。
★ いつも走って勉強した
忙しい時間を縫ってわたしは相変わらず、毎日一所懸命でした。
都心にも近い我が家はどこに行くにも便利ですし、勉強から帰ってスタジオ
でレッスン、またヨーガ教室でレッスンをした後でなど勉強など、いつも小走
りでした。その頃はどこの大学でも、カルチャーセンター、その他の機関でも
いろいろな心理療法の講座や、心身医学、大脳生理学など、いろいろな内容の
ものをを開講していましたので、勉強するにはまったく事欠かず、また一流の
大学教授の方に、直接ご指導いただいたりなど、わたしは本当にいつもたいへん
んラッキーでした。
また心理学にのめりこんだのは、心理療法に必要ですし、気分の変動の激し
い自分自身が「何故そうなのか、どうしたらコントロールできるか」もとても
知りたかったからです。そしてもっとも大きな気づきは「潜在意識」でした。
その潜在意識についても、次回お話いたします。
★ 情熱のブラックホール
次から次にとまるで何かに追われるように、積極的に行動する自分自身に、
「自分の情熱のブラックホールに吸い込まれてしまうような」恐怖感さえ
抱いたことを今でもありありと思い出し、決して忘れることはできません。
でも絶えず感じるのは、「これは絶対に自分以外の力が働いている、きっと
誰方かが守っていて下さる」ということでした。
そしてある方のご紹介で、有名な霊能詩人の竹内てるよ先生にお願いして
調べて頂きましたが、その頃先生はマスコミでもあまりにも有名になられて
直接お目にかかれませんでした。お手紙でお訊ねしたところ、一年後に
こんなお返事を頂きました。
これは今でも大切にしていますが、それを全文ご紹介しましょう。
「小池能里子さん、あなたには19歳結核で死亡した、中肉中背で色の白い
声の低い、頭の良い男性が守っています。もしもあなたが気がついていても
まったく分からなくても、ご供養いたします。あなたは周りの人に恵まれ、
囲まれてとても幸せな人です」
わたしは「やっぱり!」と納得しました。ヨーガは精神世界ですが、それ
以前にわたしは、もっと次元の違う精神世界があることを信じて、すでに
学んでその知識があったからなのです。
そしてわたしの半端ではない情熱は、もしかして志半ばで夭折した方が、
わたしのその思いを託したのではないかと感じました。
それに比べたら、現在は何と安定した気分でしょう。わたしはそれから
嬉しいことがあると必ず、「有り難うございます」と、わたしの守護霊様に
感謝の気持ちを捧げる習慣がつき、今でも長年それが続いています。