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miniな舞台

観劇記録+日記@不定期更新。俳優・内野聖陽さんを勝手に応援中!時々サカナクション。

No.361 「アマデウス」

2011年11月12日 22時29分47秒 | 過去の観劇記録
2011年11月12日(土) マチネ ル・テアトル銀座 27列 19番

サリエーリ=松本幸四郎、モーツァルト=武田真治、コンスタンツェ=内山理名、他。
作:ピーター・シェファー、演出:松本幸四郎。

1823年、晩秋のウィーン。街中で「モーツァルトの死はサリエーリの暗殺によるもの」という信じがたい噂が囁かれて いた。しかもその噂の出処は、サリエーリ自身であるという。既にモーツァルトの死後32年が経過していた。70歳に達するサリエーリは衝撃的な告白を始める…。
1781年。皇帝の寵愛を受ける宮廷作曲家、サリエーリ。この若き成功者には唯一気にかかることがあった。それは、弱冠25歳のモーツァルトの驚くべき評判の高さである。モーツァルトがウィーンにやって来ると聞いたサリエーリは警戒しながらもその演奏会場へ出かける。
しかし、彼が出会ったモーツァルトは、フィアンセのコンスタンツェと卑猥な言葉を口走る、行儀の悪い、軽薄な、子供っぽい青年だった。驚くサリエーリ。だがその夜、彼が耳にしたセレナーデ、その素晴らしさは、さらに彼を震撼させた。
浪費家で喧嘩好きなモーツァルトは、やがて仕事にあぶれ生活にも困るようになるのだが、その才能は尽きることがない。天衣無縫をそのまま具象化したような彼の楽譜の中にサリエーリは、“絶対の美”─“神の声”を見出すのだった。
幼い頃、神に一生を捧げると誓ったサリエーリ。ところがその神の仕打ちとは…。サリエーリは慄然とし、“アマデウス”を通じて神に命がけの戦いを挑むのだった。
(あらすじは松竹HPより)

後ろから2列目という席は、さすがに遠かった…
さらに後ろにいたオヤヂさんのイビキが気になるわ、PA卓の光や台本をめくる音なんかに意識をそがれる、という事は集中していない証拠である(汗)

どうしてもヴァルトシュテッテン男爵夫人とか、そういう単語が出てくると、ついつい「星から降る金」とかw
モーツァルトの父レオポルトの話題になると「心を鉄に閉じ込めて」などなど、「モーツァルト!」のナンバーやらシーンを頭に浮かべてしまう。

この作品は、サリエーリの目線から描かれた物語だった。
同名の映画も昔見たけど、もっとサリエーリ寄りに感じた。

死が間近なサリエーリの最後の独白。観客は見届け人だ。
老いさらばえたサリエーリが見窄らしい服を取ると、一転 約40年前へとトリップし、鮮やかなブルーの床に金色の装飾がまばゆい王宮へ。
武田くん演じるモーツァルトは、「M!」のヴォルフガングより、さらに輪をかけておバカちゃん♪
あのカミテにあったチェンバロは実際弾いてない、ですよね(^_^;)
コンスは、そんなモーツァルトと一緒にはしゃいでみたり、反面余りの奇行っぷりに家を出ていってしまったり。
だけど最後は理解して包んであげている、という印象でした。「悪妻」でも有名ですけど、そうは感じなかったなぁ。

幸四郎さんのサリエーリ。ほぼ出ずっぱりです。セリフは立て板に水…ですが、若干流れてしまう。
それとイタリア語のセリフも多いので、意味を考えてしまうと次のシーンにまで影響しちゃうのが難点(それは私が理解していないせいもあるが)

自分には無い天賦の才能が、あの下品なモーツァルトにはある…
楽譜は書き直しもない完璧なもので、頭の中の音符をただ書き写しているだけ。
彼の音楽には神の声があり、サリエーリはそれを聞き分けることができる。

宮廷での地位と、皇帝や側近達の信頼もあついサリエーリは、その立場を利用してモーツァルトを、じわじわと追い詰める。
モーツァルトを追い詰める事=神への挑戦。
結局サリエーリは勝ったのか?
当時もてはやされたサリエーリの音楽は後世には残らず、一方酷評だったモーツァルトの音楽は、200年以上たった現代でも残っている。

モーツァルトの曲も数曲流れたが、この舞台を観るに当たっては、もう少し予習しておくべきだったかなぁ、とも思う。


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