【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

中島誠『松本清張の時代小説』現代書館

2008-11-28 16:27:34 | 文学
中島誠『松本清張の時代小説』現代書館、2003年

            

 清張といえば推理作家、推理作家といえば清張と言うくらいですが、この本は清張の時代小説をとりあげ、ひとつひとつの小説を丹念に分析しています。

 清張の時代小説とは「火の縄」「逃亡」などですが、あまり読んだことはありません(実際にこの本を読んだあと、清張の時代小説を探しに近くの書店に行ったが、並んでいませんでした。図書館で捜すか、大きな本屋に行くかしないと簡単に入手できないようです。)従来、あまり取り沙汰されることもなかったそうです。

 著者は『小説日本芸譚』『私説・合戦譚』を中心に検討していきます。『芸譚』では「十人の人物の言動のなかに、松本は己の姿をも映し出そうとし」(p.15)、また「松本清張は、実は時代小説の作家だった。それらは”裏芸”だったのかもしれないが、私は”表芸”として見たいのである。理由は一言で言えば、これらの短編の中の人物を一人一人辿ってゆけば、自ずから作者自身の姿が浮かび上がってくるからだ。つまり、これが、ほんとうの”私小説”なのかもしれない」(p.87)とも書いています。

 清張にとって余技ではなく、心の平衡を保つために必要であった時代小説の魅力を、著者は「まえがき」で次のように指摘しています、「松本清張の時代物は、真の愛情とは何であるかを問うている。どんなに無惨で酷な話でも、身の震えてくるような情愛が必ずひそんでいる。そのために、情無き者への怒りが読者の胸中に湧いてくるのである」と(p.4)。

大野晋『日本語とわたし』朝日新聞社、1999年

2008-11-28 01:03:56 | 言語/日本語
大野晋『日本語とわたし』朝日新聞社、1999年

              

 著者は父親に自分のことなど人前で話したりするもんじゃないと言われて育ったらしいのですが、それでも自分のことを書いてみる気になった、とあります(p.11)。
 
 その父は東京深川で砂糖問屋を営んでいました。商売はうまくなかったのですが小学4年生の時に「広辞林」と「字源」を与えてくれ、このこことが言葉に興味をもった自分の原点と確認しています(p.20)。

 明治小学校、開成中学での、言葉について教えてくれた個性豊かな印象に残る諸先生との出会い、一高での学生生活と交友、大学での橋本進吉先生への師事を経て、著者は聖泉女学院、学習院大学で教鞭をとるようになりました。

 「広辞苑」初版の編集の手伝い、「岩波古語辞典」の編纂(20年かかったと言う)の苦労話。そして65歳にして「ドラヴィダ語辞典」を手にして新たな挑戦が始まりました。日本語の古語と古代タミル語との関係との関係の研究です。

 日本語の起源を古代タミル語とする見解は著者を学界で孤立させ、週刊誌上では罵詈雑言を受けましたが、自らの信じる道を進み、国際的な評価も得るにいたりました。

 本書はいわば自伝なのですが、同時に日本語がたどってきた過去と現在が見えてきます。

 それらが平易で、抑制のきいた、美しい日本語で綴られていて、好ましく思いました。