大野晋『日本語とわたし』朝日新聞社、1999年
著者は父親に自分のことなど人前で話したりするもんじゃないと言われて育ったらしいのですが、それでも自分のことを書いてみる気になった、とあります(p.11)。
その父は東京深川で砂糖問屋を営んでいました。商売はうまくなかったのですが小学4年生の時に「広辞林」と「字源」を与えてくれ、このこことが言葉に興味をもった自分の原点と確認しています(p.20)。
明治小学校、開成中学での、言葉について教えてくれた個性豊かな印象に残る諸先生との出会い、一高での学生生活と交友、大学での橋本進吉先生への師事を経て、著者は聖泉女学院、学習院大学で教鞭をとるようになりました。
「広辞苑」初版の編集の手伝い、「岩波古語辞典」の編纂(20年かかったと言う)の苦労話。そして65歳にして「ドラヴィダ語辞典」を手にして新たな挑戦が始まりました。日本語の古語と古代タミル語との関係との関係の研究です。
日本語の起源を古代タミル語とする見解は著者を学界で孤立させ、週刊誌上では罵詈雑言を受けましたが、自らの信じる道を進み、国際的な評価も得るにいたりました。
本書はいわば自伝なのですが、同時に日本語がたどってきた過去と現在が見えてきます。
それらが平易で、抑制のきいた、美しい日本語で綴られていて、好ましく思いました。
著者は父親に自分のことなど人前で話したりするもんじゃないと言われて育ったらしいのですが、それでも自分のことを書いてみる気になった、とあります(p.11)。
その父は東京深川で砂糖問屋を営んでいました。商売はうまくなかったのですが小学4年生の時に「広辞林」と「字源」を与えてくれ、このこことが言葉に興味をもった自分の原点と確認しています(p.20)。
明治小学校、開成中学での、言葉について教えてくれた個性豊かな印象に残る諸先生との出会い、一高での学生生活と交友、大学での橋本進吉先生への師事を経て、著者は聖泉女学院、学習院大学で教鞭をとるようになりました。
「広辞苑」初版の編集の手伝い、「岩波古語辞典」の編纂(20年かかったと言う)の苦労話。そして65歳にして「ドラヴィダ語辞典」を手にして新たな挑戦が始まりました。日本語の古語と古代タミル語との関係との関係の研究です。
日本語の起源を古代タミル語とする見解は著者を学界で孤立させ、週刊誌上では罵詈雑言を受けましたが、自らの信じる道を進み、国際的な評価も得るにいたりました。
本書はいわば自伝なのですが、同時に日本語がたどってきた過去と現在が見えてきます。
それらが平易で、抑制のきいた、美しい日本語で綴られていて、好ましく思いました。
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