九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

白血病に倒れた宇田由香は最後まで闘った

2010年07月06日 00時07分48秒 | Weblog
皆より少し早く、宇田由香と最後の別れをしてきた。
不屈の精神力で最後まで白血病と激しい闘いを繰り返したが、力及ばず病魔に負けてしまった。
俺はまださほど強くなかっ頃から、山島由香を指導し始め、急激にその力を伸ばしていった。多くの大会で闘わせ、短期間で多くの事を学び、急速に強くなったが、まだまだその力は発展途上だった。日本で開催されたアジア選手権も、もしアシストしないで勝負にだしていれば勝てたかもしれない、それほどまでに強かった。
そんな山島に異変が訪れた事を、俺はいち早く気がついた、トレーニングしているときに何かおかしいと思い病院に行きを勧めた。血液検査は異常無し、だが2年前のジャパンカップで、遅れるはずが無いのに集団に着けなかった。この後もう一度血液検査をしたが問題は無かった。そしてカタール初日、リタイヤ、山島がすみませんと一言つぶやいた。皆でホテルまで走る後ろ姿の寂しさが今でも忘れられない、その数時間後、豊岡が物凄い勢いで走って来た。山島がベットでうなっています、ドクターに診察されすぐに病院に搬送された。
俺も病院に行くと伝えたが、ドクターはお前が来ても何もできない、選手を走らせろと言う一言で待機、その代わりに娘を病院に行かせた。
夜中、娘から重大な話があると言われた時覚悟は決めた。ここから健吾と二人で試合中寝れない状態が続くが選手の前では気丈にふるまった。
日本に帰る事が出来無いかも、娘が言いだした。俺は一度日本に帰るからお前ここで看病しろ、しかし最後の最後まで帰れるように交渉しろと伝えた。この時娘の知り合いが、外務省に直接電話してくれて何とか飛行機に乗る事が出来た。関空におりたてばそこは日本、新山先生に電話をしてヘリコブターを用意してもらい入院した。
この時は白血病でも治ると信じていた俺、数カ月が経ち、一時退院出来た時、真っ先に家に来た宇田、おい大丈夫なのか?大丈夫です。このまま骨髄移植で数ヵ月後にはという言葉に少し安心した。しかし中々退院できない、時折報告してくるメールで、ある程度の状況が読めるだけ、そんな中、萩原が全日本に失敗した。そして今年2月、俺は宇田の元に行った。
ここで俺は必ず勝たせると約束した。この時もう時間が無いと感じていたから日が経つのが怖かった。TTに勝ち、数週間がとてつも無く長く感じた。連絡が無いということは相当悪いのではないか?そして日本選手権を萩原が優勝した瞬間俺に大きな安堵感が訪れた。
だから俺は優勝の瞬間も表彰式も見ていない、俺の心の中には宇田の事があったからだ。
後日優勝の報告が宇田に届いたと聞いた。意識が薄れる中うなずいたと聞いた瞬間初めて優勝の喜びを感じた。そして病院に直接あいに行こうと話を進めている時、訃報を聞いた。頭の中では一緒に練習した道のりを走りながら色々な事が思い出された。
もし元気だったなら数回はチャンピオンの座に輝いたかもしれない、日本の女子選手達の力は大きく変わっただろうし、何時も笑顔で礼儀正しく人に優しかった宇田はそのリーダーシップを取ったに違いない、そんな宇田は過酷な練習にも耐えてきた、だからからこれからはゆっくり休んでほしい。