九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

後輩

2007年10月20日 08時26分29秒 | Weblog
高校時代の後輩の息子が自転車競技をやり始めた。
1年生だが国体とかにも参加できるとはさすが一流選手の息子。
目標は競輪?親父も兄貴も競輪一家だからその素質は十分だろう。
そんあ後輩と武雄で20年ぶりに再開する。
仕事の付き合いで飲み屋に行ったとき、大きくサインがされた写真が飾られていたのだ。
親父こいつここに来るの、よくこられます。
じゃ電話番号判る、すぐ電話してみますで後輩は飛んできた。
懐かしいね、高校時代にバンクで共に練習した記憶がよみがえるぞ。
先生に殴られ蹴られながら日本の頂点に近づいて行ったことが昨日のようだ。
練習では構造何で坂できつくなるとギヤ重くするんだ、軽くしたほうが良いだろう?
ギヤ軽くすると前に進みません、重くしたほうが前に進みますと言いながらどんどんギヤは重くなり後ろに千切れていく、なるほどね筋力強化はココにあったのか?
そんな少年はインターハイや国体ポントレースで大活躍、その後競輪界に進んでいった。
その息子の為に新型MUURのカーボンフレームを急遽組み付けてやった。
これで沖縄に参加するらしい。
俺も行く予定だから沖縄で又会おうぜ。

時が過ぎるのは早過ぎる。

2007年10月20日 08時11分58秒 | Weblog

昨夜ミヤタチーム黄金期を支えたチームマネージャーのまーねーチャンと電話で話した。
その声は17年の歳月を過ぎ去っても昔のままだ。
なんだそんな事でどうするの駄目じゃないと今でも檄が飛んできそう。
俺が未だやんちゃで車を乗り回し、自転車もぺいぺいの駄目選手の時代から、
全日本チャンピオンを取るまでを見届けてもらったマネジャーだ。
ミヤタ黄金期を女で支えた凄腕。
でもあの時代、選手達の一丸となって戦う姿勢は以後どのチームに行っても無かった。ある意味頂点に到達した選手の集まりで、俺の自転車競技の基本はこの強烈なまでのチームミヤタで作られたと言っても過言では無い。
今のように恵まれた環境にも無く、ただ会社の娯楽クラブのようなチームがロード黄金期を作り上げた背景は人間臭さと、欲しがりません勝つまではの森幸春キャプテンの言葉、〔ロード界の人間国宝〕
そんなミヤタチームも今年で解散。寂しい限りだ。
マーネーチャン一度黄金期の選手を集めようぜ。