九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

アジア選手権

2007年09月13日 22時21分21秒 | Weblog
空港から4時間レース会場に向い、ホテルに入るが今回のロードチームは何も無い。
普通は各チームに車が用意されるがこれも無し、さかしここはタイに置いてあった選手の車をかりて大会までをしのぐ。
選手と一緒にいるのはスタッフ2名、買出し等を部長に頼み後はすべて俺一人だ。
レースが前にマッサージ師もいない、メカもいない。
でも元気に練習をこなす選手達。
そしてレースが始まった、チームカーは現地の運転手が着くがレースなれしていないからとてもじゃないが無理、選手をひき殺す勢いだ。
自分が自転車に乗っている感覚で運転しないと集団には入れない、意外と難しいのだ。
今回のチームカーはトラック、レースが見やすいのは良いが炎天下にメカと2人で乗るのはつらい。
でもここに乗らなければ無線での支持は出せない。
TTの時はクラーの聞く室内にメカを乗せ、俺はトラックの上、ジュニア女子、男子、エリート女子、男子と乗るが男子の頃にはもうもう腕が顔が痛い。
そしてロードが始まる。
今度はメカと2人でトラックにあがるが、体力的に配慮してメカは交代で荷台に上がる、でも俺は最後まで荷台で正面を向き無線での指示、だんだん風で声がおかしくる、額が痛いと思えばもう皮がめくれている、腕は太陽アレルギーで像の皮膚のようにただれてきた。それもそうだ、灼熱の太陽のした10時間も荷台に立っているのだからしょうが無い、でも選手の熱い走りが見えるのだから最高だろ。
何時もそうだがレースが始まると腹が減らない、炎天下なのに喉も乾かない。少し不思議。
この仕事で1時間200円なり、メカは300円。割りに会わんね、でもいい成績で最高の気分。


アジア選手権ジュニア。

2007年09月13日 10時43分15秒 | Weblog
優勝しかいらない、死ぬ気でいけ。
この言葉通り日本の国を背をい灼熱のタイ王国を走り抜けた選手達。
まず男子ジュニア、ラビテビ、インターハイ優勝の吉田隼人は子供の頃から知っている、ここまで走れるように成ったことが本当に嬉しい。
そして窪木一茂、同じくラビテビ優勝で底力は日本一、インターハイでスーパーな引きを見せ4位、潜在能力を未だ開花させていないが、アジア選手権に選んだ時に、俺のために死ぬ気で走りますと公言した今時珍しい男。
そしてもう実業団の仲間入りをしている全日本選手権1位の島田のメンバーで戦う。
各国4人編成のなか日本は3人、不利といえば不利だが予算の関係でしょうがない。
作戦をたて吉田、窪木のダブルエースでスタート、前半から激しいアタック合戦を島田がさばく、中盤カザフ、マレーシア、窪木と他1名が集団より逃げ出し集団との差を開き始める。
だがここでUターンの看板を見逃し直進、〔審判の車が間違えた〕
後方集団は普通にUターンして加速、気がついたカザフ、窪木は懸命に先頭を追う、数分後に車を利用して集団復帰するが、マレーシアは20分も復帰にかかり、残り1名は復帰不可能となった。
窪木が集団に復帰後、レースの勝負所が始まる、ペースは上がり激しくアタックが繰り返される島田はもう動きが止まっている、窪木は追いついたばかりで何時もの力強さが見られない、吉田は動くが他も強い。
ここでイラン、カザフの2名がアタックに成功、その直後さらにイラン、カザフの2名が逃げ出し4人の強力な逃げが決まる。
坂も終わり追い風平坦区間でゴールに向かう、声が届くかどうかわからないが今勝負に出ないとすべてが終わるぞと叫び続ける、1列棒状になった先頭を引くのは第2にエーの窪木、死ぬ気で行きますの言葉通り死ぬきだ。
その速度はグングンあがり追撃距離まで迫る、ここで吉田隼人が猛追撃、それも単独、後方の車から見ていると、引ききった窪木が後方においていかれる。
アシストならここで耐えろ、まだゴールは遠いぞ。
この死ぬ気のアシストを受けた吉田勇人は勇気を持ち孤独な戦いが始まる。
目視で40秒、追い風、追いつけるかどうか微妙な距離、後方も吉田を追っているがそれより確実に速い吉田。
願うような気持ちで見守るスタッフ、そして遂に先頭4人に追いつく、ここからがさらに正念場、相手国は2名づつ、それもイランの優勝候補が含まれている。
後方集団も追撃はやめていない、ここで窪木がさらに仕事、見事なチームワークで集団に位置する。
先頭との差はゴールが近くなると次第に詰まり始める、俺の経験で行くと、ゴール前1kmで10秒差で逃げ切るか追いつかれるであろうという危険パターン。
正確に支持を出しながら残り1km、予測した通り後続と10秒差。
退避路にでたチームカーは選手と並走、吉田に後方が迫ってきている事をつげた後、俺の目でスプリントする位置を決め支持を出し続ける。
800m未だ早い、500m未だだ、後続はもう20mを切っている、ここでスパートすれば勝負は半分。300mで後方は10mをきるだろう。
勝つにはカザフイランのアシストを使うしか道は無い、吉田のスプリント力にかけた俺は200mでGOサイン、強烈に左から駆け出した吉田隼人は後方に迫った集団も置き去りにして、カザフイランの選手を交わし、高々と手をあげゴールラインを通過。
ゴールに戻った吉田と抱き合い勝利の喜びを分かち合う。同じく死ぬ気でアシストした窪木、島田とも喜び合った。
吉田はトラックの合宿が合わず練習不足でポンとを落とし、このロードチームにきた時には元気が無かった、俺に会った瞬間に練習して良いですかと言い出す。
もちろんだ、吉田俺は勝つことしか考えていないぞ。お前達今回のメンバーで勝てなければ誰が勝つ。今までの選び方と意がう俺が認めた選手だ、絶対に負けない、だからレースまで残された時間で準備して戦ぞと伝えた。
ジュニア選手達、よく指示を守り調整をこなしすべてを出し切ったと思う。この選手達が将来立派な選手に育つことを望む。


帰国

2007年09月13日 00時16分18秒 | Weblog
真っ黒になって日本に帰国。
でも成田は遠いな、朝の6時について大阪に2時、関西空港から行かせてちょうだい。
日焼けは尋常じゃないほどで額は日焼けで皮がむけ始めた。
手は太陽アレルギーで腫れて最悪。
選手時代は万年日焼けで感じなかったが、日焼けに弱い事が判明。
今回は毎夜ミーティングで平均睡眠時間3時間、でも超熟睡でレース期間は問題無かったが終了と同時に一気に疲れが。
最終日の男子は優勝できたが、女子はまだやれたのではと心残り。
考えると酒が喉を通らず寝れない。
しかし課題は見えた、それをどれだけこなすかだろう。