きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

映画「この世界の片隅に」~すずさんのおうち展

2019-01-16 12:27:43 | 平和・憲法・歴史問題について
映画「この世界の片隅に」~すずさんのおうち展
東京・大田区の「昭和のくらし博物館」で「映画『この世界の片隅に』~すずさんのおうち展」を開催中です。映画は太平洋戦争中の1944年(昭和19年)、軍港の町・広島県呉を舞台に、18歳の主人公・北條すずの日常生活を描いたアニメーションです。特別展記念で、同館長の小泉和子さんと同映画の監督・片渕須直さん、監督補の浦谷千恵さんがトークしました。 (武田祐一)

記念トーク
小泉和子 昭和のくらし博物館館長
×
片渕須直監督・浦谷千恵監督補



料理をするすずさん=©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

広島で発掘「誰々さんのお宅」に意味が 片渕
「私の母の名はスズで、スズの妹はリンなんです」と小泉さん。映画の主人公すずと、登場人物のりんと同じ名前という縁もあり「2人の“すずさんのおうち”ということで、この展覧会の名前にしました」と紹介しました。
小泉さんは全国各地の重要文化財の修復などに携わっています。「家具や室内意匠・住宅の歴史の研究が本職です。でも古い建物の監修をしているうちに、時代考証などをやるようになりました」



映画にでてくる戦争中の食事の再現

「人が住み・暮らす」ひっくるめて住宅 小泉
何度も通った

片渕さんは「映画を作る際に昭和19年、20年の生活史を調べることになり、小泉さんと昭和のくらし博物館にお世話になりました」とあいさつしました。
片渕さんは、映画が公開された2016年、広島市に行きました。「平和記念公園にある平和記念資料館の耐震補強工事が行われていました。原爆で失われた中島本町のあった場所です。足元の土を取り除き、発掘作業をやっていて、牛乳屋さんや銭湯が出てきたんです。“誰々さんのお宅が出てきた”とか、グリコのおまけが出てきて“きっと誰々くんのだ”と話していました。“誰々さんのお宅なんだ”ということに、すごく大きな意味がある気がしました」
片渕さんは、これまでのアニメ制作で平安時代や昭和30年代のくらし、イギリスの生活史などの資料を調べる中で、小泉さんの著書に出合いました。同博物館に何度も足を運びました。
「“小泉さんのお宅”にお邪魔して、昭和の空気みたいなものをそのまま吸い込みに行っていたと思う」と語りました。
なぜ、くらしを残す博物館を作ったのかということについて、小泉さんは「住宅は人が住み、くらしていることを、ひっくるめてのもの。道具や、それを使う技術を残そうと思った」といいます。現代は便利になりすぎて、人々が家事能力を失っているといい「そのことが、人間を育てる力も失わせていると思う」と指摘しました。
洗濯板を使う様子や縫い物などの技を伝えるために、小泉さんの母スズさんの家事を記録した映画「昭和の家事」を作ったことも紹介。映画の一部を上映しました。
浦谷さんは、同博物館の「くらしの学校」に参加して昔ながらの家事を学びました。「昭和の家事」も研究し「この映画を見て(当時の人の)日常の姿勢を作画に生かしました。縫うときの背中が丸まったポーズなどもそうです」といいます。



記録映画「昭和の家事」洗濯の様子を見る参加者=2018年12月24日


洗濯物と、のり干し台

「昭和の家事」研究し当時の人の姿勢を作画に 浦谷
戦争がこわす

小泉さんは「この世界の片隅に」について、時代考証をていねいにしており、人物が魅力的だと感想をのべました。「くらしを一番破壊するものが戦争です。映画のすずさんも、うちのスズさんも政治のことなんか考えず、家族のために淡々と家事をする、愛情深い女性でした。何も知らずに、どんどん戦争に巻き込まれていきました。私たちは“これではだめだな”と考えなきゃいけないと思いました」

「映画『この世界の片隅に』~すずさんのおうち展」は、アニメの複製原画、制作ノート、参考にした資料などを紹介しています。また、映画に登場する家具や道具を中心に“すずさんのおうち”を再現。庭には、のり干し台や洗濯道具などがあります。5月6日(月・祝)まで(開館日"金・土・日曜日、祝日)。連絡先:O3(3750)1808

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年1月16日付掲載


昭和の庶民のくらしをリアルに再現。映画「この世界の片隅に」の世界を再現してるって貴重ですね。
すずさんが、食糧不足の中でも野草なども使っての慎ましいくらしの再現。
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阪神・淡路大震災 早朝追悼のつどいの案内

2019-01-15 18:15:24 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
阪神・淡路大震災 早朝追悼のつどいの案内
全犠牲者の鎮魂を祈り 「神戸・希望の鐘」を撞きましよう

震災追悼 市民の手で
震災追悼 市民の手で posted by (C)きんちゃん

場所:神戸市中央区諏訪山・ビーナスブリッジ
日時:1月17日(木)午前5時46分 地震発生時刻
「神戸・希望の鐘」点鐘 黙とう


夜明けの空はほのかに白く
一望する街の明かりは きらめき輝く
諏訪山ビーナスブリッジは
神戸で一番天国に近い場所
ここに集まる人々が心に誓う言葉は
いつまでも
あなた方の犠牲を決して忘れない
二十四年歳月は流れても
幼児・若者・老人もその時の姿のまま
私たちの心に生きている
人の命を大切に守り しっかり生きます
夜明け前の寒風吹きすさぶ
諏訪山に立ち
指先は寒さに凍えても
心はあたたかくあなたを想う
二十四年目の「一・一七」
二〇一九年、
ビーナスブリッジ
「早朝追悼のつどい」は
万感の思いで幕を閉じます
これまでの皆様のご支援に、心より感謝申し上げます


ぜひ、参加しましょう。
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北原白秋と山田耕筰の友情物語 映画「この道」 自由に表現できない時代への危惧 監督・佐々部清さん

2019-01-13 13:36:46 | 映画について
北原白秋と山田耕筰の友情物語 映画「この道」 自由に表現できない時代への危惧 監督・佐々部清さん

童謡が生まれて100年。佐々部清監督が新作映画「この道」を撮りました。数々の名曲を生んだ詩人・北原白秋と音楽家・山田耕筰の友情物語です。フィクションを交えながら「偉人伝ではない音楽と詩と人間のドラマ」に仕上げました。
板倉三枝記者



撮影・橋爪拓治記者

白秋役は大森南朋さん。耕筰役はEXILEのAKIRAさん。「ハチャメチャな男とまっすぐな男の対比でやれば面白いと思いました」と佐々部さんは語ります。
時代は明治末期から昭和初期。白秋は才能に恵まれながらも、自由奔放で恋多い生活を送っていました。そこに、『赤い鳥』を創刊(1918年)した鈴木三重吉から童謡を書くことを勧められます。三重吉の仲介で、西洋音楽を学んだ耕筰と出会った白秋は、関東大震災を機に、二人三脚で「からたちの花」や「この道」などをつくります。
しかし日本は戦争へと大きくかじを切り、2人は時流に合わせた音楽づくりを余儀なくされます。



数々の名曲を生んだ(左から)北原白秋(大森南朋)と山田耕筰(AKIRA)
1月11日から全国で公開。105分

大戦に向かう中、時流に合わせた音楽余儀なくされる
「2人が生きたのは大きな震災があり、日本が大戦に向かう時代でした。この数年、同じような状況を迎えている気がします」
印象的な場面があります。軍への協力を拒む白秋に家族が節を曲げるよう詰め寄るのです。一方、反戦派から戦争擁護派に転じた与謝野晶子でさえ「日本はどこに向かおうとしているのか」と治安維持法への懸念を口にします。国策協力を主導した耕筰が、軍服姿で白秋に「自由に書ける時が来たらまた一緒に歌をつくろう」と話す場面は、現代への警告のようにも思えます。
「6年前、秘密保護法案に日本映画監督協会が反対声明をあげました。自由に表現できない時代がくるのではないかと。
万人がクスクス笑ってポロっと泣いてくれる映画の監督でありつつ、そういう危惧も伝えたい。

戦争伝える
自分の映画で心がけていることがあります。「映画は何を撮るかではなく、何のために撮るかだ」。そう教えてくれたのは高倉健さん。高倉さん主演の特攻映画「ホタル」(降旗康男監督)の助監督をしていた時でした。
その後、山田洋次さんの勧めで人間魚雷を扱った「出口のない海」(脚本・山田洋次)を監督。以来、「夕凪の街 桜の国」など、映画で戦争の悲劇を伝えることも大切なことだと思っています。
「僕らは戦争を体験していないけれど、戦争を知らない世代ではない。
僕には山田さんや降旗さん、高倉健さんから受け継いだバトンを若い助監督たちにつなぐ責任がある。この映画はエンターテインメントですが、どこかに自分の宿題を入れたかった。脚本家の坂口理子さんに相談しながら、僕の味付けでまぶしてもらいました」

「しんぶん赤旗」日曜版 2019年1月13日付掲載


戦後、白秋没後10周年の記念コンサートで山田耕筰が「この道」の指揮。
取材する記者に、最初は白秋の事を語ることを固辞していたが…。
語り終わった最後に「一緒に歌を作ろうと約束したのに先に死んでしまいやがって」と泣き崩れる場面。


戦争と表現の自由が密接にかかわっていることが、歯に衣を着せずにしっかりと語られています。
良い映画です。
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「代替わり儀式」と憲法 歴史学者、神奈川大学元学長 中島三千男さんに聞く

2019-01-11 17:55:41 | 政治・社会問題について
「代替わり儀式」と憲法 歴史学者、神奈川大学元学長 中島三千男さんに聞く
今年4月30日に現天皇が退位し、翌5月1日に現皇太子が即位します。予定される天皇の「代替わり儀式」は現憲法に照らしてどのような問題があるのか。歴史学者で神奈川大学元学長の中島三千男さんに話を聞きました。



なかじま・みちお=1944年福岡県生まれ。神奈川大学名誉教授。専門は日本近現代思想史。国家神道と天皇制を中心に研究。著書は『天皇の代替りと国民』『海外神社跡地の景観変容』『若者は無限の可能性を持つ―学長から学生へのメッセージ』など

今回の「代替わり儀式」について、政府は昨年4月、「基本方針」を閣議決定しました。そこでは基本的な考え方として①憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること②「平成の代替わり儀式」(1989~90年)は、現行憲法下において十分な検討が行われたものであるから、基本的な考え方や内容は踏襲するーとしています。
この基本方針には大きな問題があります。
まず、基本方針にある「皇室の伝統」とは何かです。
結論から言えば、現在行われようとしている純神道式の「代替わり儀式」は、たかだか150年前の明治以降に新しく「創られた伝統」にすぎません。
奈良時代から江戸時代までの1100年以上、即位式は中国風の服装で行われていました。さらに鎌倉期から江戸時代までの550年間は、密教(仏教)的な儀式が取り入れられへ神仏習合的な即位式が行われていました。



1990年11月に皇居・東御苑で行われた「大嘗祭」(共同)

「皇室の伝統」というが 現在の“伝統”儀式は明治政府が作ったもの
これが大きく変わったのが明治維新後の近代です。
明治新政府は、天皇を押し出し、天皇の神格化によって国民統合を図りました。それまでは京都市中や畿内近国の一部の人をのぞいて、天皇の存在を知りませんでした。
そこで政府はコ世一元」の元号制や、天皇・宮中行事中心の祝祭日を定めるなど、さまざまな政策で神権的天皇像を国民に浸透させようとしました。その政策の中心理念が国家神道の核心的教義ともいうべき「天皇制正統神話」です。日本は神国であり、そこを統治するのは天照大神(あまてらすおおかみ)の子孫である万世一系の天皇だけであり、天皇とその統治する国は永遠に不滅だという神話です。
近代の「代替わり儀式」はこの「天皇制正統神話」を可視化するものとして作られたのです。
しかし戦後の日本では、日本国憲法や天皇の「人間宣言」で天皇の神格化は否定され、憲法には国民主権や政教分離の原則が規定されました。
旧皇室典範は「即位の礼」について「祖宗の神器」の継承や「大嘗祭(だいじょう)祭」の実施を定めていました。しかし現在の皇室典範は「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」と規定しているだけです。

「平成代替わり」と同じでは 本来、戦前と異なる形で行われるべきだった
本来なら、戦後、最初の代替わりだった「平成の代替わり儀式」は、戦前とは大きく異なる形で行われるべきでした。ところが、実際には三十数個もの戦前の儀式をほぼそのまま行ったのです。
神話に基づく「三種の神器」の継承を中心とする「剣璽(けんじ)等承継の儀」や、「臣下が天子に拝謁する」を意味する「即位後朝見の儀」など五つの儀式は国事行為とされました。天皇が神聖性を身に付ける「大嘗祭」は完全な宗教的儀式なので、さすがに国事行為にはしませんでしたが、「公的行事」として行われました。
政府の基本方針は、こうした「平成の代替わり儀式」は「現行憲法下において十分な検討が行われた」といいますが、これも全く事実と違います。
88年9月、昭和天皇が重体になり、「代替わり」が予測された時、政府は天皇の容体を口実に、事前の説明も答弁も拒否しました。
翌年1月7日早朝(午前6時33分)に昭和天皇が死去しました。午前10時から新天皇の「剣璽等承継の儀」が行われましたが、その直前の閣議で「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」が国事行為として行われることが初めて明らかにされたのです。
安倍政権が今年行おうとしている「代替わり儀式」は、国民主権や政教分離の原則という、現憲法の理念と真っ向から対立するものです。「大嘗祭」は皇室の私費で行うべきという秋篠宮の発言そのものはしごくまともな意見です。今からでも「代替わり儀式」のあり方を可能な限り検討し直すべきです。

「しんぶん赤旗」日曜版 2019年1月13日付掲載


天皇の代替わりに伴う諸々の儀式は、日本国憲法に則って、神格化にならないように、ふさわしいものに見直すべきですね。
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県民投票 沖縄県民の投票権奪うな 6市長の拒否・保留 3氏が批判の談話

2019-01-07 20:57:31 | 平和・憲法・歴史問題について
県民投票 沖縄県民の投票権奪うな 6市長の拒否・保留 3氏が批判の談話
来月24日に沖縄県名護市辺野古米軍新基地建設の埋め立ての賛否を問う県民投票が行われます。自治体での実施を拒否する方針を表明、もしくは判断を保留する宮古島、石垣、糸満、宜野湾、沖縄、うるまの各6市長に、「住民の投票権を奪うな」と迫る県民の談話を紹介します。

県民投票の投票権
県民投票の投票権 posted by (C)きんちゃん

「固定化阻止」口先だけ
宜野湾市立普天間第二小学校の保護者 呉屋 達巳さん(43)


「県民投票は普天間基地を固定化させる」と実施に反対する市長や市議は、要するに普天間基地を辺野古に移設(新基地建設)したいのです。堂々と投票で埋め立て賛成に○をすればいいのに、反対が多そうだから投票させないのか。なぜ市民の投票権をつぶすのか。とても疑問です。
普天間第二小の校庭に米軍ヘリの窓枠が落ちた事故から、1年が過ぎました。
学校上空をヘリや戦闘機が飛ぶ状況は変わらず、校庭には避難シェルターがつくられました。不安な思いで子どもを見送り、「今日は無事に帰って来たか」とほっとする日々。まるで戦時下です。
政府の言う通り“辺野古”をつくっても、あと10年以上かかる。「固定化」を主張する政治家たちはこの現実をどう考えるのか。
口先だけの「固定化阻止」「危険性除去」などいりません。玉城デニー知事ともっと歩調を合わせて、党派を超えて“辺野古”に関係なく普天間基地をなくす努力を見せてほしい。県民投票を通じて県民全体で議論し、県民の意思をしっかりと確かめたい。盛り上がらないといけない時に、水を差す政治家には怒りしかないです。普天間基地の被害を受けている者として、なんとしても投票したい。


民主主義侵す市長は恥
県議・県民投票「うるま市連絡会」共同代表 山内 末子さん


一部の議会、自治体で県民投票実施のための予算を執行させない動きに、県民の批判が急速に高まっています。市長や県民投票に反対する市議を応援している人たちから、「これは恥ずべき行為だ」「市長や市議のリコールまで考えたらどうか」との声が、寄せられるくらいです。
先月23日に結成した「うるま市連絡会」では、まず市議会の再議での予算の可決に向け、市政与党の議員の担当を決めて、地域住民と一緒になって議員を説得しているところです。
投票権を行政の長や議会が侵すことは、民主主義にあるまじき行為です。市長は行政の長として、地方自治法にのっとってしっかりと判断をしてほしい。
県民投票を求める運動は、「『辺野古』県民投票の会」の27歳の元山仁士郎代表など、若い人たちの感性から始まりました。これこそ住民自治の始まりだし、国と地方の対等な関係の保障と、本当の意味での「法治国家」につなげていく一歩になります。
県民投票で沖縄の確定的な民意、あるべき姿を自ら改めて示すことが、辺野古新基地建設の問題での日米両政府の再協議につながると思います。両政府は示される民意にしっかりと応えるべきです。


「政争の具」にしないで
「辺野古」県民投票の会 普久原(ふくはら) 朝日(あさひ)さん(24)


市民が意思表示する民主主義的な手続きに格差があってはいけません。市長や市議には、政府や政党とのしがらみはあると思いますが、県民投票の実施を政争の具にすることは、絶対あってはいけません。
県民投票条例の直接請求署名を集めた時、議論を通じて辺野古の埋め立てに賛成の人も「沖縄のことは自分たちで決めないといけないね」と考え、署名してくれました。投票権を奪うことは、考える機会も奪い、このような辺野古に賛成の人に対しても大変失礼な話です。住む自治体によって沖縄の未来を考えさせてもらえないなんて、あり得ない。これは人権問題です。
もっとみんなで基地問題を話し合える沖縄になってほしい。県民投票を実施するか、しないかを争うことで、辺野古の埋め立てについて中身の議論をする時間が、刻一刻と失われています。もったいないことです。
宣野湾市の友人が、「他の市町村で投票できないのか」と心配しています。市長は「市議会が県民投票予算を否決したから、県民投票の事務を実施しない」といいますが、「あなたは議員のための市長なのか、市民のための市長ではないのか」と言いたい。そこを間違えないでほしい。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年1月7日付掲載


「辺野古の新基地に賛成だから」「賛成の議員が多いので忖度して」、辺野古の埋め立てを問う県民投票を拒否・保留。
新基地に賛成なら、堂々と県民投票に臨めばいいのに。有権者の側は新基地に賛成の人も県民投票OKと言っている。
投票権を奪うのは問題だ。


【参考】
県民投票を拒否・保留している市の有権者数(2018年9月)
宮古島:43,878、石垣:38,740、糸満:47,763、宜野湾:76,616、沖縄:110,434、うるま:97,212、合計で414,643。
沖縄の全有権者の約35%余りになります。

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