仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

サブカルの帝国

2012-05-19 16:42:57 | テレビの龍韜
金曜は、通常特講「歴史学のアクチュアリティ」と院ゼミがあるが、今年も上南戦(南山大学とのスポーツ交流戦)が近付いており、昨日(18日)は授業のあいまに結団式なるものが行われた。課外活動を支援している立場でいうべきことではないのだが、こういう「共同体」意識が前面に押し出される行事は、どうも居心地が悪い(ふだん、それを積極的に相対化するような研究をしているのだから、当然だろう)。先週から、上南戦の調印式、オリエンテーションキャンプ担当教員・ヘルパーの懇親会、ホフマンホール運営の会議等々が立て続けに入っているので、ちょっと自分が自分でないような気になっている。ま、学生のためには誠心誠意働くべし。
ところで、結団式で形だけいただいたビール(コップに1センチほど)にクラクラしつつ、院ゼミも終えたが、終了後、発表者の深澤瞳さん・院生A君と交わした会話が面白かった。A君は日本近世史が専門だが、中国に関する知識も半端ではない。この日は『法苑珠林』観仏部から、壁に描かれた菩薩諸像が壁を塗り替えても湧出してくる、壁を壊しても目を瞑るとみえるというエピソードを採り上げたのだが、A君は、これが『三国志演義』に描かれる孫策の死のモチーフに関わりがあるのではないかというのだ。話はさらに進み、『閲微草堂筆記』や『子不語』を持ち出して「怪談のパラダイム」をめぐる意見交換へ。『子不語』をあらためて読んでみると、さすが史官袁枚、神仙や霊体になった過去の偉人との会話を通じて、正史の記述を批判するという物語を多く収めている。かかる歴史叙述のあり方は、いつ頃成立したのだろう。ちょうどいま特講で話をしている、storyからnarrativeへの転換にも関わる。近世の「ポストモダン」とでもいうべきか、今後も少し調べてゆきたい。

ところで、ここ最近はマジメな話題が多かったので、久しぶりにサブカルの話をしておきたい。情けないことに映画にはまったくゆけておらず、ゲームをやる時間的/精神的余裕もないので、あくまでマンガやテレビについてなのだが…。
最初はマンガ。単行本はそれなりの量を買い込むが、毎巻本当に楽しみにしているのは、『無限の住人』『刻刻』『ヒストリエ』『アオイホノオ』『アサギロ』『GANTZ』『ベルセルク』『3月のライオン』『テルマエ・ロマエ』『百鬼夜行抄』『昭和元禄落語心中』『乙嫁語り』など。それから、鶴田謙二の新作が出れば必ず買う。4~5月は、割合に豊作だろうか。
まず、鶴田謙二のエマノン・シリーズ最新刊、『さすらいエマノン』。梶尾真治の原作にはまったく興味がないので、鶴田作品だから購入しているようなもの(ベルヌを連想させる『冒険エレキテ島』も、途中で止めないで早く描いてね)。時空を超えてさまよい続けるひとりの少女が主人公なのだが、今回は、なぜ彼女がいつの時代にも少女のまま存在するのか、という種明かし。主人公の内面を描き込むためには必要な設定だと思うが、エマノン自身の魅力は確実に薄れてしまったように思う。しかし、かつてのNHK少年ドラマシリーズ、ジュブナイルSFの香りを漂わせる佳作であることは間違いない(例えば筒井康隆の、『七瀬ふたたび』みたいなイメージはある)。しかしこの絵の、粗雑さと精密さと複雑さと単純さの絶妙なバランスはどうだろう。筆舌に尽くしがたい。イイなー。
『乙嫁語り』第4巻。最初はアミル・カルルクの2人の物語かと思ったが、巻を追うごとに舞台は広がり、人類学者のヘンリーを狂言回しにキャラクターが拡大、群像劇の様相を呈してきた。日常を力いっぱいに生きる人々の背後で、ロシアの中央アジア侵攻という、歴史の大きなうねりがみえかくれし始めている。やがて訪れる惨禍のなかで、登場人物たちの人生が大きく狂い、また転回/展開してゆくのが想像できる。しかし森薫の、衣服やアクセサリー、調度品などを描く手腕は相変わらずすごい。それによって、物語のリアリティも際立つ。個人的には、ヘンリーの目線や葛藤について、もう少し扱ってほしい気もする。また、今回はちょっと定型的な「お涙頂戴」に話が流れるところがあったが、まあそれもこの作品のいいところかも知れない。
島本和彦の『アオイホノオ』。ぼくらよりちょっと上の世代だが、観ていたもの、考えていたことはほぼ共有している。ぼくが『少年サンデー』に投稿し、専用原稿用紙をもらってマンガ修行をしていた頃には、確か『月刊サンデー』の方で「風の戦士ダン」を連載していた。このあと『週刊サンデー』の方で、伝説的名作「炎の転校生」が開始される。8巻は、その原型となる最初の投稿作品ができるまで。いろいろ懐かしい。しかし、「傷をなめあう道化芝居」が分かった人間がどれだけいるかな。いや、これを愛読書にしている連中はみんな分かるか。戸田恵子もビッグになったもんだよ。ちなみに、このマンガに登場する山賀博之は、現在GAINAXが製作、『リンダリンダリンダ』の山下敦弘が手がける奇妙な短編ドラマ、『エアーズロック』に関わっている。併せて必見。
続いて、今季のドラマやアニメ。ちょっとクールが遅れてしまったけれど、最初に触れておきたいのは、フジテレビ『最後から二番目の恋』。ちょっと前までは、こういうオフ・ブロードウェイの会話劇のようなドラマが、けっこうあった。脚本、演出、俳優陣がみな絶妙で、「物語に引っ張られる」ことなく、肩の力を抜いてみられる久しぶりの作品だった。岡田恵和が以前に手がけた名作『彼女たちの時代』と、ちょっと雰囲気は違うけれど、深津絵里らの演じた当時のキャラクターが、ちゃんと大人になっていたのをみられたという感慨、安堵感のようなものがあった。ところで、今月号の『ユリイカ』を読んでいて初めて知ったのだが、この作品を手がけた演出家の宮本理江子は、山田太一の娘さんだそうだ。このひとの作品は大好きでかなり観ているだけに(『夏子の酒』『アフリカの夜』『彼女たちの時代』『優しい時間』『拝啓、父上様』『風のガーデン』、そして、昨年『鈴木先生』と並んでの最高作品『それでも、生きてゆく』)、恥ずかしいったらありゃしない。
4月に入ってはまったのは、韓国時代劇の『善徳女王』。これまでBSでは何度も放送していたようだが、地上波では初お目見え。専門としている時代にかぶるので観始めたが、暦を王の神権の根拠とする設定など、いろいろこちらの琴線に触れるものがある。とくに、現在問題とされているのは史書編纂、歴史の改竄で、目が放せない。日本の時代劇、大河ドラマでは、史書編纂というモチーフはほとんど重視されない。それが、韓国時代劇では頻繁に現れてくる。これはやはり歴史認識の相違なのだな、と溜息が出てしまう。折しも、質的に大健闘している大河ドラマ『平清盛』の視聴率が低迷し、バカな「時代劇評論家」が、「皆が見たいのは名場面。何度描かれても、その都度、花形役者がどう演じるのか、視聴者は胸を躍らせる。子供にも分かるような面白さも大事だ」などと語っているのを目にすると、日本の歴史ドラマが発展するわけはないなと絶望的な気分になる。『清盛』、がんばれ。
それから、まったく期待をしていなかったのだが、テレビ東京『クローバー』が意外によくできている。いわゆる『少年チャンピオン』系のマンガはまったく読まないタチなのだが、そのマッチョな展開になぜかはまり、毎週金曜日が待ち遠しくなってしまっている。こんな私に誰がした。しかし考えてみれば、監督にはあの入江悠が起用されているのだ。面白くないわけはない。侮っていてごめんなさい。
アニメーションでも、『エウレカセブンAO』『峰不二子という女』など、魅せる作品が多い。とくにノイタミナ枠は今回も実験的で、渡辺信一郎の『坂道のアポロン』、中村健治の『つり球』とも期待を裏切らない。前者はオーソドックスな作りだが、渡辺の相変わらずの音楽センスのよさが心地よい。オープニング、菅野よう子とYUKIのコラボレーションが聞けるとは思わなかった。中澤一登の作画・演出との相性も絶妙。エンディングは秦基博、オーガスタ・ファンとしては涙が出る。ちなみに渡辺は、今期『峰不二子という女』の音楽プロデューサーも務めているが、こちらも素晴らしい。後者は相変わらず独特のセンスだが、なぜか泣ける(中村の『化猫』『怪』は、未だにぼくのアニメ・ランキングのなかでは上位を占めている)。やはりオープニング・エンディングが秀逸で、とくにED、さよならポニーテールの歌う「空も飛べるはず」は、楽曲のよさを再認識した。毎回のラスト近く、前奏が流れ始めると、モモと2人、画面に合わせて思わず口ずさんでしまう。

こうして書いていると、まるで仕事を一切怠けてテレビにかじりついてばかりいるようだが、ちゃんと働いております。早く報告書を出せ、原稿を書け、というお叱りが聞こえてきそうなので、今日はこのへんで。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ねごと | TOP | グラウンド・ゼロ »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | テレビの龍韜