仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

死に片足を突っ込んでいる男

2010-09-18 02:51:58 | テレビの龍韜
9月も追い込みに入り、秋学期に入る前に倒れそうな毎日が続いている。
今週は、27日(月)の初年次生研修会の準備をしつつ(知人のIさんのご紹介で、於岩稲荷を祀る陽運寺さんの副住職先生とお会いしました)、『上智史学』の編集、大学院入試、学科会議、学科長会議、教授会などの校務が満載。15日(水)の会議では、ある案件でまたまた瀬間正之さんにお世話になり、「北條君の文章を読んでいると、身を削って学問をやっている息苦しさを感じる。今後は『断る勇気』を持って、ゆっくりものごとにとりくんでほしい」とのお言葉を頂戴した。ご心配いただいていることをありがたく感じるとともに、最近の粗製濫造ぶり、ケアレスミスの増産ぶりを戒めていただいたようで、身の引き締まる思いがした。自戒の念のなかで研究室に戻り、10時近くまでかかって『歴史評論』の原稿を脱稿。締切をかなり超過してしまったものの、やはりゆっくり構想を練ることのできなかった憾みはある。レヴィ=ストロース、平野仁啓、斎藤正二、中村生雄各氏の業績を、環境史研究と接続するという当初の課題は一応達成?できたが、紙幅の関係もあり現状の整理としては不充分になってしまった。校正で、少し調整できるだろうか。あとは、中途半端になっている「修行」の論文を完成させねば。

ところで、今日17日(金)は、『熱海の捜査官』の最終回だった。前回、「おっと、これは向こう側へゆく話だったのか!」と身を乗り出したが、最近浅薄な印象で終わるドラマが多いなか、充実の結末をみることができた。星崎の常に話しかけているモトコさんが死者だとすれば、彼は「死に片足を突っ込んでいる男」ということになる。オダギリ・ジョーは『蟲師』でギンコを演じていたが、このキャラクター(もちろん実写版ではなく漫画、もしくはアニメ版)も「向こう側」に強烈な憧憬を抱きながら、生/死の境界で踏みとどまっている存在だった。ラストシーン、同じく「向こう側」に魅入られた少女 東雲麻衣と、黄泉津比良坂のようなトンネルをぬけてゆく彼を待っているのは、一体誰なのか。栗山千明演じる北島捜査官の、「私を置いていかないで…」という呟きは、遺されたジョバンニの孤独を吐露しているようでもあった。
枠組み自体は『ツイン・ピークス』だったけれども、テレビドラマとしては珍しく哲学的な深み=おかしみを漂わせる作品だった(もちろん、そのこと自体をパロディ化しているのは分かっているが…)。三木聡の常連俳優陣はもちろん、東雲を演じた三吉彩花の妖しい透明さ、いつの間にか濃密な芝居ができるようになった小島聖、芝居は決してうまくないが不思議な存在感のKIKIが印象に残った。萩原聖人も、岸田森、堀内正美を髣髴とさせるマッド・サイエンティストぶりだった。しかし、銀粉蝶演じる占い師の名前が、「卜部日美子(ウラベ・ヒミコ)」というのは凄いなあ。
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