仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ちょっと総括:今期のドラマ、アニメについて

2008-12-22 07:07:47 | テレビの龍韜
一気に年末。これから出勤して原典講読、コミカレを終えれば、大学も仕事納めである。しかし前にも書いたが、今週は研究会や生涯学習の講義、ゼミのフィールドワークなどが入っており落ち着かない。年賀状や大掃除は27日以降だろうが、そうすると冬期休暇は1週間程度しかなく、とても論文2本・エッセイ1本を書き上げる余裕などないように思える。しかし、1月には20日厳守の原稿があり、2月にもわざわざ〆切を延ばしてもらった原稿がある。卒論やレポートの採点も必須作業なので、かなり無理をしなければ乗り切れまい。こうなってくると、年賀状を書くのがいちばん億劫である(しかし、いつも最初に愚痴を書いてるな)。

ところで今期のドラマ。『チーム・バチスタの栄光』『七瀬ふたたび』『ブラッディ・マンデイ』などを楽しみに観てきたが、やはりいちばん印象に残ったのは『風のガーデン』だった。ぼく自身が倉本聰フリークであることにもよるが、やはり、放映直前に癌で逝った緒方拳の演技が澄み渡って重い。物語自体、中井貴一演じる主人公が癌に冒され、家族にみとられながら最期を迎えてゆくというものである。緒方拳はその父親役で、どのような気持ちで芝居をしていたのかと考えると胸が締め付けられるようだった。しかし、倉本聰の目線は年を追って優しく穏やかになってゆく感じがする。『昨日、悲別で』『ライスカレー』のような青春群像劇もまた観たい。
『ブラッディ』は、最近流行のアメリカ・ドラマ路線を狙ったのだろうが、その目論見はある程度成功したように思う。日本のテレビドラマはこの種の作品が本当に苦手で、映画でも名作といえるものはあまりない。今回は志の高さを示した。三浦春馬の知的な熱演もよかった。
3月まで続く『だんだん』はキャラクター設定がしっかりしており、そのためにかえって、特定の人物を「嫌なやつだな」と感じることが多くなってきた。観る側に葛藤が生じるのはドラマとしてよく出来ている証拠だが、音楽プロデューサーの石橋という青年、主人公のひとりで舞妓を捨てたのぞみの言動が妙に鼻につく。ストーリーも彼らの思惑どおりに展開してゆくので気に入らない。歌を歌うことはプロでなければ価値がないものなのか、充分に議論されないままに置き去りにされる問題も多く、このまま双子デュオという形でデビューしていくのがよいのか首を傾げてしまう。

アニメーションは原作のあるものがほとんどだったが、(意外なことに)技術的にも水準が高かったのは『屍姫 赫』『喰霊 零』。ともに設定自体は使い古されているうえに不自然なものの、幸運なアニメ化がなされたということだろう。前者は死に対するメンタル面を丁寧に描き、後者は初回の構成から視聴者の予測を裏切り続けた。マングローブの『ミチコとハッチン』は、放映時間が不定期なのでちゃんと観られていないのだが、独自の路線を疾走していて好感が持てる(この組み合わせ自体、アメリカ西部ということ以外に共通点はないのだが、『バグダッド・カフェ』と『キル・ビル』を合わせたような印象)。『カウボーイ・ビバップ』『サムライ・チャンプルー』で音楽センスの高さを見せつけた渡辺信一郎は、今回は演出を退き音楽プロデューサーに回っている。昨今のアニメ界で、梶浦由記と菅野よう子に頼らず屹立した音楽世界を構築できるのは、彼と小林治だけであろう。上半期の作品だが、その小林の『魔法遣いに大切なこと 夏のソラ』も秀逸だった。題材としてはまったく異質な印象があったが、小林の乾いたリアルな演出で、原作のわざとらしい(安っぽい?)センチメンタリズムが払拭されていた。あとはやはり『ガンダム00』か。さすが黒田洋介というべき強靱な出来で、戦争なるものの可否、そのなかで翻弄される人物群像、そして人類の革新といったガンダム的テーマが過不足なく盛り込まれている。シリーズ中最も完成された作品であり、どう結末が付けられるか楽しみだ。
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