仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

藤原京造営の環境史:飛鳥周辺への環境負荷

2008-07-23 16:52:12 | 議論の豹韜
春学期に行った講義のうち、特講の件はついこの間も書いたが、「日本史概説」でもかつての自分の主張を裏付ける証拠が幾つかみつかり、あらためて論文を書いてみようという気になった。2000年の延喜式研究会大会で、「藤原京造営に至る環境改変の正当化」という報告を行ったのだが、評価はそれなりによかったものの、なぜか文章化できないままに今日まで来てしまっている(恐らく、この学会で大会報告して機関誌に書かないでいるのはぼくだけだろう)。今期の概説は、飛鳥から藤原京への展開を政治情勢と環境問題を絡ませながら論じたもので、この報告が文脈の核をなしていたのだ。最新の発掘情報の整理、網羅的な史料の読み直しを行うことで、以前よりもかなり蓋然性の高い見解が導き出せたと思う。とくに、造宮と歌との関係、藤原京造営前後の飛鳥周辺の環境については、収穫が大きかった(前者は、今秋の上智史学会大会で報告予定である。ただし、ほかに日本史の発表者がいないので、部会として成立しないかも知れない)。

ところで、上記の2冊の書籍のうち、林部均『飛鳥の宮と藤原京』(吉川弘文館、2008年)は、最新の研究成果を整理するうえで非常に役立った。いい本である。末尾に、都城をめぐる環境史の重要性について述べられている点も注目される(担当の編集者は、研究仲間でもあるI氏。彼からの示唆があったのかも知れない)。
 藤原宮の造営のための森林伐採はかなり激しかったようで、田上山は現在もその森林は復旧していないという。乱開発の典型である。洪水や土砂流出などの災害を引き起こしたものと推定される。(250頁)
今でこそみずみずしい木々に覆われ、豊かな自然に恵まれた飛鳥ではあるが、飛鳥時代、とくに斉明による飛鳥の整備、天武による飛鳥・藤原地域の整備以降は、飛鳥を含めて周辺の丘陵や山には樹木は、すでに伐採されてなく、地肌が露出する殺風景な景観が広がっていたのではないだろうか。(250頁)
後の引用は、すでにぼくが8年前の学会報告で指摘し、5年前に論文にも書いたことである(「伐採抵抗伝承・伐採儀礼・神殺し」『環境と心性の文化史』下、勉誠出版、2003年、80~81頁)。今回、橿考研で日々飛鳥と向き合う研究者から、同じ内容の見解が語られたことは励みになる。しかし、林部氏の環境史的興味は、まだあまり深まっていないのかも知れない。前の方の引用は、古代史研究者がおかしやすいイージー・ミスである。この地域が林業地帯として長期にわたり伐採を受け、また近世、草肥を得るために草山化・はげ山化されてきたことは、水本邦彦氏らの研究によって実証されている(『万葉集』の「藤原宮の御井の歌」に歌われる「耳成の青菅山」には、近世の草山・柴山のイメージがだぶる)。現在の姿は、藤原宮造営の環境負荷によるものではない。今後の林部氏の環境史的アプローチに期待したい。

あとのもう1冊は、今日購入した上野誠『大和三山の古代』(講談社現代新書、2008年)。香具山の森に関するアプローチもある。楽しみな本だ。
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