仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

宝誌という予言メディアと東アジア世界

2013-07-05 18:03:41 | 議論の豹韜
今日は、学内共同研究「東アジアをめぐるネットワークの歴史的・空間的考察」をご一緒している、国際教養学科のオカ・ベティーナ先生とミーティング。いつものことながら、貴重な(高価な)研究成果をご恵賜いただき、サバティカルにもかかわらず、自分の研究の進展していないことが恥ずかしくなる。
ところで、先週の法苑珠林研究会(今年度のみ、院ゼミを研究会形式で行っているもの)では、6/11に寺院縁起研究会(成城大学民俗学研究所の共同研究)で報告した宝誌ネタを、少し史料を補足して発表してみた。中国における宝誌伝の展開を跡づけてみると、後世一般化する「面貌が割れて菩薩の真形が現れる」像容は11~12世紀まで現れず、延暦期に戒明が将来した大安寺宝誌像は、美術史的に通説となっている割面像ではなく、高僧伝に基づく色黒・痩躯で帽子を被り、錫杖を持った表象である可能性が高いというものだ(ただし、唯一の記録である『延暦僧録』には、「志公十一面観世音菩薩真身」とあるので、十一面観音像なのかもしれない。このあたり、『梁高僧伝』にあるような放光菩薩を宝誌と伝承している事例があるのか、中国の作例を博捜して考えてみなければならない)。ほかに宝誌と讖緯との関わり、先行研究でほとんど注目されていない「志公薬方」といった文献にも注目した。参加している院生の多くは仏教史が専門ではないため、あまり生産的な意見交換はできなかったが(それじゃいかんのだけどね)、「宝誌」という梁代に成立した「予言メディア」が、個々の時代の需要に応じ正当化のツールとして使用されてゆくことは明確になった。とくに、佐野誠子さんがいうように、宋朝の成立を正当化する言説として、讖緯説を多く繰り出していた道教に対抗すべく、仏教のなかで宝誌の予言が重要視されてゆく点は重要だろう。日本中世における未来記の流行が宝誌を震源のひとつとしているのは、宋の言説が遼や金によって圧迫され、列島へ波及したからだろう。すなわち、小峯和明氏らが展開している未来記の問題は、やはり極めて東アジア的、東部ユーラシア的な歴史事象といいうるわけだ。オカ先生からは、モンゴル帝国が西アジア、西欧社会に及ぼした影響をネットワーク論で考察する壮大な研究の話を伺ったが、こちらもネットワーク論を駆使して具体的な追究ができそうである。共同研究の成果は2015年に論集化される予定なので、それまでゆっくり考えてゆきたい。
ちなみに、色黒・痩躯の旧宝誌表象は、敦煌や四川など中国各地に彫刻・絵画の形で残っているが、日本では、西往寺像で有名な割面表象しか残っていない。奈良末~平安初期の大安寺宝誌像がそれに当たるとすれば、確実に旧像容も将来されていたわけだが、その後どうなってしまったかは謎である(松本信道さんは、塔が火災に遭った際に失われたと推測している)。しかし最近、宝誌とはまったく別の像でよく似た姿形のものが、中世以降の列島に存在することに気がついた。修験道の役行者像である。やはり、痩躯で頭巾を被り錫杖を持っており、その類似性には目を見張るものがある。両者の関係に言及した研究は存在するのだろうか? 未だ憶測に過ぎないが、少し掘り下げてみる必要はありそうだ。
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