23日(火)、成城大学で『日本書紀』を考える会の例会。今年は、3月に刊行された『アリーナ』聖徳太子特集の合評会を続けているが、この日の対象はぼくの論文を法政大学のドクターの永田一さんが、榊原史子さんの論文を脊古真哉さんが、藤井由紀子さんの論文を吉田一彦さんが論評した。体調の快復した増尾伸一郎さん(なんとこの日が誕生日)、サバティカルなのに大学に呼び戻されている瀬間正之さん、とってもご無沙汰している(8年ぶり?)蔵中しのぶさんにお会いできたのは嬉しかった。
ぼくの論文(といっていいのか?)は、崇仏論争の主要史料を『法苑珠林』十悪篇邪見部に求めた前稿を、中国の〈祟〉をめぐる言説史のなかに置き直したもの。苛酷なスケジュールのなかでなんとかまとめて提出したもので、校正も行き届かなかったためにさまざまな反省点がある。永田さんが丁寧にみてくれたので、問題点が浮き彫りになってよかった。神仏の関係のあり方について、崇仏論争記事を根拠に「仏は神として崇められていた」という理解を組み立てることはできないと警鐘を鳴らしたが、この点に関しては曽根正人さんと深く議論することができた。祟りを生み出す卜部の問題については、篠川賢さんにコメントをいただいた。それにしても、中臣氏を中国的史官の役割を担うものとして編成された氏族とする見方は、日本史では理解されないのだろうか。中国古代史専攻の方には、「まさにそのとおり!」といってもらえたのだが。3月に出る予定の『国立歴史民俗博物館研究報告』にも書いたが、『家伝』の研究会でももう少しプッシュしてみるか。
それにしても、懇親会の席でいろいろな方と議論していると、大山誠一さんの管掌するこの会のメンバーが、それぞれにかなり異なった見解を持っているのが浮き彫りになる。『日本書紀』の仏教関係記事についても、道慈が書いたと考えているのはごく少数に過ぎないようだ。ぼくはどの論文でも明言を避けているように、正直「誰でもいい」と思っている(そんなこと書いちゃいけないか)。重視している論点、興味の対象がそこにはないということだ。ちょっと苦戦している様子の『家伝』研究会について、「大織冠伝」の研究可能性について少しばかり悲観的な発言をし(もう新しい何かを見つけるのは難しいんじゃないか)、篠川さんから「けしからん!」とお叱りを受けたが、それも同じ意味においてである。『書紀』や『家伝』を読んでいると、その向こう側にある漢籍の海にどんどんはまり込んでいってしまう。困ったことに、いまはそれがいちばん楽しいようだ。
※ 写真は、早稲田の森和さんから教えていただいた『二年律令與奏谳書』。このなかに含まれる「史律」が、卜官と史官との関係を考えるうえで極めて重要。ちなみに昨日、森さんの親類がウチの檀家の方だったと知って、また世間の狭さに驚愕した。
ぼくの論文(といっていいのか?)は、崇仏論争の主要史料を『法苑珠林』十悪篇邪見部に求めた前稿を、中国の〈祟〉をめぐる言説史のなかに置き直したもの。苛酷なスケジュールのなかでなんとかまとめて提出したもので、校正も行き届かなかったためにさまざまな反省点がある。永田さんが丁寧にみてくれたので、問題点が浮き彫りになってよかった。神仏の関係のあり方について、崇仏論争記事を根拠に「仏は神として崇められていた」という理解を組み立てることはできないと警鐘を鳴らしたが、この点に関しては曽根正人さんと深く議論することができた。祟りを生み出す卜部の問題については、篠川賢さんにコメントをいただいた。それにしても、中臣氏を中国的史官の役割を担うものとして編成された氏族とする見方は、日本史では理解されないのだろうか。中国古代史専攻の方には、「まさにそのとおり!」といってもらえたのだが。3月に出る予定の『国立歴史民俗博物館研究報告』にも書いたが、『家伝』の研究会でももう少しプッシュしてみるか。
それにしても、懇親会の席でいろいろな方と議論していると、大山誠一さんの管掌するこの会のメンバーが、それぞれにかなり異なった見解を持っているのが浮き彫りになる。『日本書紀』の仏教関係記事についても、道慈が書いたと考えているのはごく少数に過ぎないようだ。ぼくはどの論文でも明言を避けているように、正直「誰でもいい」と思っている(そんなこと書いちゃいけないか)。重視している論点、興味の対象がそこにはないということだ。ちょっと苦戦している様子の『家伝』研究会について、「大織冠伝」の研究可能性について少しばかり悲観的な発言をし(もう新しい何かを見つけるのは難しいんじゃないか)、篠川さんから「けしからん!」とお叱りを受けたが、それも同じ意味においてである。『書紀』や『家伝』を読んでいると、その向こう側にある漢籍の海にどんどんはまり込んでいってしまう。困ったことに、いまはそれがいちばん楽しいようだ。
※ 写真は、早稲田の森和さんから教えていただいた『二年律令與奏谳書』。このなかに含まれる「史律」が、卜官と史官との関係を考えるうえで極めて重要。ちなみに昨日、森さんの親類がウチの檀家の方だったと知って、また世間の狭さに驚愕した。
蔵中しのぶさんのお名前が出てきたので、ちょっと顔出ししました。彼女とは奈良女子大でごいっしょした仲です。二十代の頃、研究や生き方についてぐだぐだ話をしていたことを懐かしく思い出しました。昔から、神戸ギャルらしく、ミニスカートの似合う方でしたね。
こうした「媼の昔語り」が出来る年ごろになりつつあるのも、何となく味わい深さを感じます。
ところで、来年か再来年、「歴史と文学」をめぐる徹底討論会をやりたいと考えています。本当はもっといろいろな分野とセッションしたいのですが、とりあえずは、もっとも「利害」が近い歴史学から。
理系ともやりたいと考えています。ぜひその時はお力をお貸しください。
もちろん、fーMAKIもこきつかうつもり(笑)。どうぞよろしくお願い申し上げます。
いただいた玉稿に御礼もお伝えせず...。全部拝読してからちゃんとお手紙を差し上げよう!と考えているうち、結局不義理ばかりの悪循環に陥ってしまっている今日この頃です。本当に申し訳ありません。セッション、お手伝いできることがありましたら何でもいたします。どうぞ、f-MAKI氏とともにこきつかってください。
ところでこのブログ、田中さんがお読みになって果たして面白いところがあるのでしょうか。エッセイとして味わい深い「夏への扉、再び」を拝読していると、書き手と同様に浅薄なこの内容を何とかしなくては、と痛感いたします(ま、こんなものしか書けないのですが)。
今日、京都は雪景色だったそうですね。どうぞお身体にお気を付けて。
はい、徹底討論、ぜひ私も協力させてください。