仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

第2回四谷会談準備:『The Eye』再編集

2007-09-12 05:44:00 | ※ 四谷会談
10日(月)未明、夏休み2本目に取り組んでいた原稿「『栄花物語』の通過儀礼」がようやく終わった。締め切りが8月10日、出版社から催促が来てあらためて約束したのが8月末だったので、予定より1ヶ月遅れたというべきか、それとも10日間遅れたというべきか。今まで扱ったことのない領域だったので苦労したが、とりあえずは提出できたのでよかった。あとは編者の意見を反映させて、初校あたりで手直しができればいいだろう。

自宅向かいにあるファミリーマートで速達のメール便を送り、一息入れてから寝る間もなく明日の「四谷会談」の準備へ(その開催の様子はすでにもろさんどゐさんが書いているが、ぼくの実録はまた次回)。会場である上智の麻疹騒ぎなどで開催が延び延びになっていたので、実に4ヶ月ぶり。忙しい方々に集まっていただいているので、まっとうな研究会というより、ときには懇話会程度でもいいかと思っている〈ゆるい〉会である(しかし議論はコアにしていたい)。今回は懸案であったお岩稲荷参拝と、〈怪〉に関する意見交換がテーマ。他のメンバーがネタを持ってきてくれるかどうか分からなかったので、とりあえず話の種をと、最近「講義に使えるのでは」と思っている映画を再編集して持ってゆくことにした。

その題材とは、双子のパン兄弟の監督作『THE EYE』(2002年、香港・タイ・イギリス・シンガポール合作)。ホラー映画というより、かつてのオカルトのジャンルだろう。公開当時、「角膜移植手術を受けた主人公の目に、ドナーがみた衝撃の場面が…」云々、というトンデモ医学的宣伝文句にまったく食指が動かなかったのだが、最近偶然テレビで観てその完成度の高さに驚いた。『コンセント』などよりかなり出来のよい〈成巫譚〉なのである。2才のときに失明した主人公の女性マンは、ずっと触覚と聴覚によって構築された認識世界で生活してきたが、20歳になって受けた角膜移植手術で、ついに視覚世界を手に入れる。新しい感覚に戸惑いながらも喜びを覚えるマンだが、視覚・触覚・聴覚を脳が一致させてゆくには時間がかかり、そのズレは彼女に不安を抱かせる。そしてさらに、(視覚世界が確立するまではっきりと自覚はできなかったが)彼女の目には、他の人にはみえないモノが映るようなのだ…。そう、その何かこそが死者なのだが、マンが怪現象に悩まされ混乱しつつ、「自分は死者がみえるのだ」と自覚してゆく過程が、まさにシャーマンとして覚醒してゆく成巫儀礼と読み解けるのである。いや、読み解けるというより、はっきりとそう意識して描かれているというべきだろう(日本のこの手の映画が現実感に乏しく失敗に終わってしまうのは、シャーマニズム的世界が日常的感覚の周縁に追いやられているからなのだろう)。演出は緻密かつ論理的、俳優の演技もしっかりしていて秀逸な作品である。ただし、マンがドナーの謎を解き明かすためにタイへ向かい、ラストに大事故に遭遇する後半部分は、あまりいただけない。あんなスペクタクルにしなくても、もっとそれらしい終わり方があったのではないか? ちなみに、霊の描き方は中田秀夫、死神?の描き方は黒沢清の影響を受けている気がする。

…というわけで、今回は前半部分のみを成巫譚的に再構成し、持ってゆくことにした。作業が終わったときには夜が明けており、1時間ほど仮眠をとって出発。電車のなかでは眠い目をこすり、高田衛『お岩と伊右衛門―「四谷怪談」の深層―』を読み直し、参詣の予習をした。う~ん、江戸古地図を用意しておくべきだった…と気づいたが(『タモリ倶楽部』になってしまうか)後の祭り。そのうち『江戸東京重ね地図』を入手して、ちゃんとした「江戸怪談伝承地フィールドワーク(という名の散歩)」を企画しよう。
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