昨日は、早稲田大学で、環境/文化研究会の11月例会が行われました。
出席者は、石津輝真さん、亀谷弘明さん、工藤健一さん、久米舞子さん、榊佳子さん、武田比呂男さん、土居浩さん、藤井弘章さん、三品泰子さん、宮瀧交二さん、山口えりさん、私の12名。平日の夜にもかかわらず盛況で、文学・民俗学・地理学・歴史学と、広がりのある集会になりました。
報告は工藤健一さんで、「斎藤正二『日本的自然観の研究』を読む」。
以前、斎藤英喜さんと武田比呂男さん主宰で行われていた宗教言説研究会の方式を踏襲し、こちらの会でも、研究史および方法論に関する報告と、個別実証的な報告の2本の柱を立てています。今回は前者の流れで、会発足時から問題とされていた〈環境史研究の埋もれた巨人〉、斎藤正二さんの業績の紹介です。前回、武田さんがご自身の師匠でもあるもう一人の巨人、平野仁啓さんを担当してくださったので、会のメンバーそれぞれが、ようやくお二人の活躍を共通認識として持てるようになったわけです。
斎藤さんの仕事については、ここであらためて書くこともありませんが、とにかく広い分野をカバーした文化史研究が眼目です。代表的著書、『日本的自然観の研究』の新しさは、70年代の刊行にもかかわらず、方法論が極めて構築主義的なところでしょうか。近代に構築された日本的自然美礼賛のイデオロギー(いまでいう〈エコ・ナショナリズム〉。志賀や芳賀を扱っているところが、モーリス=スズキより偉い?)を解体するため、古代における類書を通じた中国的自然表現の受容・学習を問題とする。日本人は、古代以来、天皇制と中国的言説を軸に構築されてきた言語フィルターを通して景観をみてきたのであり、これまでいちども、自然環境と直接的交感を持ってはこなかったというわけです。使用している史料の限定性、場当たり的な理論の用い方、経験主義的な感覚にはとうぜん問題もあるものの、その視角と結論はいまなお鮮烈です。早すぎたカルスタ、カノン論、という感じでしょうか。
平野さんが最新の理論を用いながら自然観の変遷を体系的に論じてゆくのに対して、斎藤さんはもっぱら自然礼賛を解体すべく、関心のある方向だけに突き進む。芸道のうえに現れる〈美〉への執着から、対象も和歌や生け花などへ収斂されてゆく。だから、関係論的な平野さんの叙述に対し、非常に個別具体的な印象を与えるわけです。イデオロギーを扱っているのに実存重視だし、それでいて構造主義とかなんとかいっている。まったく不思議な人です。
斎藤さんの業績について、あらためて考える機会をいただきました。工藤さんに感謝。会としても、これからもっと彼の業績を読み込んでいかねば。南方熊楠、柳田国男、折口信夫、宮本常一、和辻哲郎、今西錦司、梅棹忠夫、広松渉……と、まだまだ取り組まねばならない巨人がひしめいていますし、これからが大変です。
その後、藤井さんから、12月から始動しそうな関西例会の報告をいただき、いよいよ活動が全国化してゆく気配を感じました。3月の和歌山での合同合宿も、大まかな枠組みは決定。清水町の棚田を見学しつつの研究集会となりそうです。また、環境研究の文献情報を集積するデータベースを、ブログ形式で構築することとなり、どこに作るのが適当か調査を始めました。これはもう、今月中に始動させたいですね。
最後の飲み会では、相変わらずのオタクなネタで盛り上がりました。方法論といいこの会といい、討論が終わると学問的な話題はあまり出ない。いいのか悪いのか……。
出席者は、石津輝真さん、亀谷弘明さん、工藤健一さん、久米舞子さん、榊佳子さん、武田比呂男さん、土居浩さん、藤井弘章さん、三品泰子さん、宮瀧交二さん、山口えりさん、私の12名。平日の夜にもかかわらず盛況で、文学・民俗学・地理学・歴史学と、広がりのある集会になりました。
報告は工藤健一さんで、「斎藤正二『日本的自然観の研究』を読む」。
以前、斎藤英喜さんと武田比呂男さん主宰で行われていた宗教言説研究会の方式を踏襲し、こちらの会でも、研究史および方法論に関する報告と、個別実証的な報告の2本の柱を立てています。今回は前者の流れで、会発足時から問題とされていた〈環境史研究の埋もれた巨人〉、斎藤正二さんの業績の紹介です。前回、武田さんがご自身の師匠でもあるもう一人の巨人、平野仁啓さんを担当してくださったので、会のメンバーそれぞれが、ようやくお二人の活躍を共通認識として持てるようになったわけです。
斎藤さんの仕事については、ここであらためて書くこともありませんが、とにかく広い分野をカバーした文化史研究が眼目です。代表的著書、『日本的自然観の研究』の新しさは、70年代の刊行にもかかわらず、方法論が極めて構築主義的なところでしょうか。近代に構築された日本的自然美礼賛のイデオロギー(いまでいう〈エコ・ナショナリズム〉。志賀や芳賀を扱っているところが、モーリス=スズキより偉い?)を解体するため、古代における類書を通じた中国的自然表現の受容・学習を問題とする。日本人は、古代以来、天皇制と中国的言説を軸に構築されてきた言語フィルターを通して景観をみてきたのであり、これまでいちども、自然環境と直接的交感を持ってはこなかったというわけです。使用している史料の限定性、場当たり的な理論の用い方、経験主義的な感覚にはとうぜん問題もあるものの、その視角と結論はいまなお鮮烈です。早すぎたカルスタ、カノン論、という感じでしょうか。
平野さんが最新の理論を用いながら自然観の変遷を体系的に論じてゆくのに対して、斎藤さんはもっぱら自然礼賛を解体すべく、関心のある方向だけに突き進む。芸道のうえに現れる〈美〉への執着から、対象も和歌や生け花などへ収斂されてゆく。だから、関係論的な平野さんの叙述に対し、非常に個別具体的な印象を与えるわけです。イデオロギーを扱っているのに実存重視だし、それでいて構造主義とかなんとかいっている。まったく不思議な人です。
斎藤さんの業績について、あらためて考える機会をいただきました。工藤さんに感謝。会としても、これからもっと彼の業績を読み込んでいかねば。南方熊楠、柳田国男、折口信夫、宮本常一、和辻哲郎、今西錦司、梅棹忠夫、広松渉……と、まだまだ取り組まねばならない巨人がひしめいていますし、これからが大変です。
その後、藤井さんから、12月から始動しそうな関西例会の報告をいただき、いよいよ活動が全国化してゆく気配を感じました。3月の和歌山での合同合宿も、大まかな枠組みは決定。清水町の棚田を見学しつつの研究集会となりそうです。また、環境研究の文献情報を集積するデータベースを、ブログ形式で構築することとなり、どこに作るのが適当か調査を始めました。これはもう、今月中に始動させたいですね。
最後の飲み会では、相変わらずのオタクなネタで盛り上がりました。方法論といいこの会といい、討論が終わると学問的な話題はあまり出ない。いいのか悪いのか……。
ところではてなグループの使い方http://g.hatena.ne.jp/helpについては私もまだよくわかりません(苦笑)。とりあえずメンバには皆idを取得してもらわねばならないようですが。お手伝いできることあれば何なりと申し付け下さいませ。でわでわ。