仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

寝ないで考える:歴史叙述としての大学教育

2008-10-01 02:50:43 | 議論の豹韜
28日(日)の卒論合宿から始まって、29日(月)、30日(火)、そしてもうすぐ来る1日(水)の朝と、3日間で5時間ほどしか寝ていない。おまけに連日8時間に及ぼうかという会議の連続で、明日も1限の講義のあと、11:00~18:00、18:00~19:00+αと会議が入っている。とうぜん、帰宅は午前様である。そして、帰ってからも仕事の継続。「残業」などという概念のない業界であることを実感する。

明日からは授業も始まるので、往き帰りの電車内での睡眠を惜しんで準備。今日は左の文献を読んだ。我々の歴史研究も授業実践も、多様かつ広範囲にわたる歴史叙述の一環であることが明記されている。この間の『歴史評論』の連載にも書いたように、もちろん、マンガやゲームの世界も含めてである。やはり、現場の教育に立脚したこのような書物の方が、歴史叙述に関する問題意識も高い。教科書に対する「無名性」「匿名性」批判など、かつての方法論懇話会のベクトルと非常に重なり合う。しかし、教科書的記述はポストモダンの極北に位置するので、批判するのは非常に容易である。教科書をバッサリ斬って、返す刀で自分の実践を見つめなおさなければ意味がない。問題意識が近現代史に偏重しているのもお決まりの作法だ。この議論を前近代史へ広げられないようでは、こちらの方こそ「想像力の貧困」という批判を免れないだろう。

明朝1限の「全学共通日本史」は、こんなことを考えながらスタートを切る。18:00~の会議も「初年次教育検討小委員会」なので、歴史叙述としての大学教育のあり方について悩み続ける一日になりそうだ。(場合によっては書きかけ)
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