く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<辛酉会書展> 35回目 書家25人の独創的な作品100点余

2015年05月09日 | 美術

【京都文化博物館で10日まで開催】

 京都を中心に活躍中の書家で構成する「辛酉会(しんゆうかい)」(佐藤煒水さん主宰)の第35回辛酉会書展が8日、京都文化博物館(京都市中京区)で始まった。1980年に会員7人で発足、第1回書展を開いた翌年81年の干支が「辛酉(かのととり)」に当たることから「辛酉会」と命名した。古代中国では辛酉の年には大きな社会変革「辛酉革命」が起き、新しい社会秩序が生まれる年といわれてきた。

 そんな干支にちなんで誕生した辛酉会は既存の書道団体や社中の枠を越えて、各新聞社展所属の作家や在野の書道団体の主宰者・会員などで幅広く横断的に構成しているのが特徴。年1回の書展は公募展や社中展ではなかなか見られない革新的・実験的な作品発表の場としても注目を集めている。

   

 本館5階の広い展示会場には会員25人の作品が3~5点ずつほど並ぶ。来場者の足を止めていたのが小筆凰外さんの作品群。「風神雷神」は縦104cm×横135cmの作品(上の写真は実物の10分の1の大きさ)で、その力感あふれた書は俵屋宗達をはじめ多くの絵師が描いた躍動的な風神雷神図を連想させる。「花」と題した作品は世界的なヒット曲、喜納昌吉の「花」の歌詞「泣きなさい 笑いなさい……」を、2mを超える横長の紙面を生かし「花」の文字に乗せて伸びやかに表現している。

    

 宮澤華さんは書と水墨画がセットになった2つの作品「シェルブールの雨傘」と「霧たちのぼる」を出品。宮澤さんは過去に全国水墨画協会会長賞や雪舟絵手紙展雪舟大賞などを受賞している。上田悠雲さんの「刻」は部首りっとうの右側を長く伸ばして、その横に道元禅師の言葉「いたづらに過ごす月日の多けれど道を求むる時ぞ少なき」を添える。山根青坡さんの「轍 さみどりの風吹き出でて……」は360×180cmの大作で、力強く大きな「轍」の一文字が印象的。

 会場向かいでは「生活の中の『書と表具』展」も同時に開催している。辛酉会を主宰する佐藤煒水さんと京表具の伝統工芸士、井上俊彦さん(井上光薫堂)のコラボ作品を展示中。住環境の洋風化に伴う床の間離れなどに対応して、狭い空間でも安らぎを与える書画を展示してもらおうと、小ぶりな床の間風の作品や掛け軸などを展示している。

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<ツリガネズイセン(釣鐘水仙)> 青いベル形の花を穂状に10~20輪

2015年05月08日 | 花の四季

【ヨーロッパ原産、明治末期に日本へ】

 ユリ科(またはキジカクシ科)ヒアシンソイデス属の球根植物。ヒアシンスやシラーに近い仲間で、属名も「ヒアシンスに似た」を意味する。日本には明治時代末期に入ってきた。和名「釣鐘水仙」はその名の通り、細長い剣状の葉っぱがスイセンに似て、釣鐘状の花を付けることから。属名から「ヒアシンソイデス」とも呼ばれる。

 よく栽培されているのは「ヒアシンソイデス・ヒスパニカ」。イベリア半島西部~アフリカ北西部原産で、直立した高さ30~50cmの茎の上部に筒状ベル形の花を10輪ほど、多いときには約20輪も付ける。花色は青色が基本だが、白や紫、ピンクなどもある。花期は4月から5月にかけて。

 かつてシラー属に分類されていたこともあって、今も「シラー・ヒスパニカ」と呼ばれたり、「シラー・カンパニュラータ」という名前で流通したりしている。カンパニュラータは「小さな鐘」のこと。スペインに多く自生することから「スパニッシュ・ブルーベル」という別名もある。

 これに対し「ヒアシンソイデス・ノンスクリプタ」は「イングリッシュ・ブルーベル」と呼ばれる。英国を中心に北西ヨーロッパに分布しており、草丈が20~30cmとやや低い、芳香を放つ、花が片側に集中して咲く――といった特徴を持つ。英国では野生生物保護法で保護植物に指定されており、野生種の採取・売買が禁止されている。

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<唐古・鍵考古学ミュージアム> 「たわらもと2015発掘速報展」

2015年05月07日 | 考古・歴史

【24cm超の石剣、犬の頭骨、ほぼ完全な形のヒョウタン……】

 唐古・鍵考古学ミュージアム(奈良県田原本町)で「たわらもと2015発掘速報展」が開かれている。弥生時代を代表する環濠集落、唐古・鍵遺跡から新たに出土した打製石剣や犬の頭骨、木製品、土器、種子類などのほか、十六面・薬王寺遺跡、羽子田遺跡、佐味遺跡などの出土品も展示中。24日まで。

 

 石剣(写真㊧)は弥生時代中期後半のもので長さ24.3cm、最大幅3.6cm。唐古・鍵遺跡の北西端から出土した。弥生時代のものとしては県内最大級という。中期中頃の犬の頭骨やカモ類の胸骨、中期後半の木製品や種子類、原形をとどめた様々な葉っぱなども見つかった。さらに未熟な状態のヒョウタンがほぼ完全な形で出土した(同㊨)。

 同遺跡北西端では弥生時代中期前半の方形周溝墓2基を発掘、後期末ごろの土器類も大量に出土した。その結果、弥生前期末~中期初頭にかけ用水路から墓域となり、さらに中期中頃には3本の環濠が掘削されて集落を取り巻く環濠帯に変わっていく集落縁辺の土地利用の変遷過程が確認できた。

  

 唐古・鍵遺跡の南西に位置する十六面・薬王寺遺跡からは弥生末期~古墳時代前期後半の井戸が20基以上見つかった。直径は1m未満の小規模なものが多いが、底からほぼ完全な形の壷や甕などが出土した。一辺が3m前後もある大形の井戸も出土、土器類とともに玉素材の碧玉や滑石、淡緑灰色の石グリーンタフなどが多数見つかった(上の写真㊧)。

 十六面・薬王寺遺跡からは小さな穴の中から、紐でくくられた9世紀後半の銭貨11枚と土師器皿6枚(同㊥)が収められた平安時代の地鎮遺構も出土した。銭貨には土地神を鎮めるための供物や土地神に支払う土地使用料としての意味合いが含まれていたとみられる。羽子田遺跡では1号墳の周濠上層部から平安時代の須恵器三耳壷(さんじこ、同㊨))が出土した。高さ36.5cmで、肩部に2つ、胴部下側に1つの耳を持つ変わった形。9世紀頃に播磨周辺で焼かれたとみられる。

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<イペ> アマゾン川流域など中南米原産、ブラジルの〝国花〟にも

2015年05月06日 | 花の四季

【神戸の「旧移住センター」周辺に植樹、沖縄には「イッペー通り」も】

 ノウゼンカズラ科タベブイア属の落葉性中高木。アマゾン川流域を中心に中南米に分布し、大きいものは樹高が30m以上に達する。花の色は白や黄、赤紫など。黄花の「イペ・アマレーロ」はブラジルの国花にもなっているそうだ。「アマレーロ」はポルトガル語で黄色。満開になると、木全体が鮮やかな黄花で覆われ遠くからも人目を惹きつける。

 タベブイア属の樹木は花の形が長さ7~10cmのラッパ状。そのため英名では「トランペット・ツリー」と呼ばれる。黄花の場合は「ゴールデン・トランペット・ツリー」。和名には「コガネノウゼン(黄金凌霄)」と名付けられている。赤紫の花を付ける「紫イペ」は樹皮に様々な薬効成分を含み、古代インカ帝国の時代から薬用として用いられてきた。木材は強度と耐久性に優れ、ウッドデッキや枕木などに広く活用される。

 日本にとってイペは中南米移住者との関わりが深い。海外移住の拠点となった神戸港から1号船の笠戸丸が781人を乗せて出航したのは1908年(明治41年)。以来63年間にわたって約25万人がブラジルを中心とする中南米に渡った。ブラジル移住100周年の2008年、記念事業の一環として「旧神戸移住センター(現海外移住と文化の交流センター)」から、みなと公園に至る鯉川筋にイペが植樹された。毎春この時期になると、かつて移住者の方々がたどった道沿いに約30本の黄色いイペが咲き誇る。

 多くの移住者を送り出した沖縄にも公園や道路沿いに多く植えられている。戦後、移住者が沖縄に帰る際に種子を持ち帰ったのが栽培の始まりという。イペは沖縄で「イッペー」と呼ばれる。沖縄市の中央パークアベニューの裏通りは黄花イペの並木が続き、通称「イッペー通り」と呼ばれている。2011年度には沖縄県の「花と緑の名所100選」に選ばれた。『イッペーの花―小説・ブラジル日本移民の「勝ち組」事件』。元サンパウロ新聞記者だった札幌在住の紺谷充彦さんが執筆し昨夏発売されたこの本が、移民たちの歴史の1コマを生々しく描いた作品として注目を集めている。

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<BOOK> 「ラオス 山の村に図書館ができた」

2015年05月05日 | BOOK

【安井清子著、福音館書店発行】

 著者安井さんは東京都出身で「ラオス山の子ども文庫基金」代表を務める。ラオスでの子ども図書館づくりは今から30年前の1985年、NGOのスタッフとしてタイのラオス難民キャンプでモン族の子どもたちのための図書館活動に携わったのがきっかけ。モン族はラオスの山岳民族。安井さんは長老から贈られた「パヌン・リー」というモン族の名前を持つ。そのこと1つをとっても、安井さんがいかに現地の住民の中に溶け込み慕われてきたかを示す。

     

 2001年夏、ベトナムとの国境近くにあるゲオバトゥ村を再訪したとき、テレビ番組の撮影スタッフの1人、武内太郎さんと初めて出会った。だが、太郎さんは翌年10月、パキスタンでNHK特別番組の取材中、車が崖から転落し亡くなってしまう。享年28。ニュースで事故を知った安井さんはゲオバトゥ村取材時に撮った太郎さんの写真をアルバムにして仙台在住のご両親に送った。

 それが安井さんと太郎さんの母親桂子さんの交流の始まりだった。大学の図書館に勤めていた桂子さんは安井さんの活動内容を知ると「ゲオバトゥ村に図書館を建てられないか」と提案する。こうして「たろうの図書館」と名付けた子どものための図書館づくりが実現に向かって動き出した。

 2005年11月、安井さんは桂子さんを現地の建設予定地に案内する。桂子さんは地元住民の歓迎の席でこう挨拶した。「息子が初めての海外で来たのがこの村だったのですが、家に帰ってきた時『いい村だったよ。あんな村だったら、年とったら住んでもいいな』と言っていました……安井さんに会って話しているうちに、ここに図書館を建てたら、太郎がそこで生きていてくれるような気がしてきたのです」。

 そして村人総出による共同作業で建設が始まった。完成したのは2007年2月。オープニングにはもちろん桂子さんも出席した。安井さんはモン語とラオス語で、多くの出会いと協力があってできたこの図書館には2つの目的があると村人たちに話した。目的の1つは子どもたちに絵本やお話を通して新しい世界を広げてほしいということ、もう1つはモン族の文化や大切なものを次世代に伝えるために役立ててほしということ。

 2012年、電気のなかったゲオバトゥ村にようやく電気がつながった。「たろうの図書館」はすっかり村の風景に溶け込み、学校の昼休みや放課後には子どもたちでにぎわっているという。昨年春には図書館の隣に村のコミュニティーセンターも完成した。本書には図書館の建設風景や村人の日常の様子を撮った写真も満載。土壁に使うワラを運ぶ子どもたち、石運びを手伝ってくれた小学生、絵本が入った箱を運ぶ男の子……。そのキラキラと輝く子どもたちの笑顔が印象的だ。

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<クレマチス> 「テッセン」とも 人気の高い〝ツル性植物の女王〟

2015年05月04日 | 花の四季

【多彩な花色・花容、一重・八重・万重咲きも】

 キンポウゲ科のツル性多年植物。クレマチス属(センニンソウ属)は北半球の温帯地域に300種ほど分布、日本にもカザグルマ(風車)やセンニンソウ、ハンショウヅルなど約20種が自生する。一般にクレマチスといえば、日本のカザグルマや中国原産のテッセンに欧米原産のものを交配した園芸品種群を指す。ただ日本ではクレマチス全体を総称してテッセン(鉄線・鉄仙)とも呼んでいる。

 クレマチスの語源はブドウなどの「ツル」を意味するギリシャ語「klema(クレマ)」。テッセンの名前もツルが針金のように丈夫なことによる。花びらのように見えるのは萼(がく)が色づいたもので、本来の花弁は見当たらない。花の色は白や紫、黄、紅色、暗赤色など多彩、咲き方も一重や八重、さらに幾重にも重なった万重(まんじゅ)咲きと様々で、見栄えがするうえ開花期も長い。このためツル性植物の〝女王〟とまでいわれている。

 

 クレマチスの萼片は4枚、6枚、8枚など基本的に偶数枚数。日本原産のカザグルマは花の形や色(白または紫)が中国産のテッセンとよく似るが、カザグルマの萼が8枚なのに対し、テッセンは6枚という違いがある。テッセンは中国から江戸前期の寛文年間(1661~73年)に渡来したといわれ、カザグルマとともに絵画や蒔絵、織物などのデザインに多く採用された。

 

 19世紀後半、英国ではクレマチスの栽培ブームが過熱し、水代わりに紅茶を与えると美しい花が咲くと信じられていたという。クレマチスは全草に中毒成分のプロトアネモニンやサポニンを含む。このため葉などの汁は皮膚かぶれを引き起こす恐れも。フランスでは路上生活者が哀れみを誘うため、わざと汁を肌に付け、ただれを作ったことから「乞食草(こじきそう)」と呼ばれていたそうだ。「てつせんは花火の花のたぐひかな」(北村季吟)。

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<奈良県天理市> 「豊田トンド山古墳」(仮称)の発掘調査現地説明会

2015年05月03日 | 考古・歴史

【未知の巨石積み大型横穴式石室、豪族物部氏の有力者の墓か】

 奈良県天理市豊田町の丘陵地でこのほど見つかった大型横穴式石室の現地説明会が2日行われた。この古墳は標高114.5mの丘陵の頂上部に築かれており、規模は直径30mほどの円墳(未確定)。築造時期は出土した須恵器などの特徴から7世紀前半とみられる。周辺の円墳に比べると規模が大きく、高台に単独で築かれているのが特徴。

 

 この高台は当時の有力豪族物部氏の氏神といわれる石上(いそのかみ)神宮や拠点だったとみられる布留遺跡を見下ろす場所に立地する。調査を担当した天理市教育委員会文化財課の石田大輔さんは「墳丘や石室の規模からみても、布留遺跡と密接に関わる有力な首長層の墓である可能性が高い」と説明していた。市教委では地名に詳しい地元住民の話を基に仮称「豊田トンド山古墳」と名づけ、近く県教委に申請する。

 

 この古墳は都市計画道路(別所丹波市線)事業に伴う発掘調査で見つかった。北東側一帯には古墳時代後期の大規模な群集墳として知られる石上・豊田古墳群が広がる。古墳群の中で有名なのは石上大塚古墳、ウワナリ塚古墳という2基の大型前方後円墳や方墳のハミ塚古墳。ほかに200基ほどの小規模な円墳が密集する。今回見つかった古墳は同古墳群の中では最終段階に造営されたものとみられ、墳丘規模は石上大塚、ウワナリ塚、ハミ塚古墳に次ぐ。

     

 見つかった石室は南南西の方向に開口し、最大で一辺約3mに及ぶ巨石を積み上げて壁面を構成する。ただ天井石と側壁の一部は失われ、石室内も盗掘を受けていた。石室は床面で全長約9.4m。埋葬空間である玄室は奥壁の幅約2.0m、高さ約2.6m、側壁の長さ約4.9m。床面には長径30cmほどの石がびっしり敷き詰められていた。玄室内を中心に細かく破砕された二上山の凝灰岩が多数出土しており、凝灰岩製の石棺が安置されていたとみられる。

 

 玄室奥壁下段の石材はベンガラで赤く彩色されていた。また玄室手前の羨道床面にもベンガラで赤く変色している部分があった。付近から鉄釘が多数出土していることから、羨道部分に木棺が追葬・安置されていた可能性も考えられる。石室内は盗掘されていたものの、須恵器や土師器、鉄鏃、太刀の破片などが出土した(上の写真㊧)。石室手前からは石を割るための矢穴(やあな)を開けられた大きな石材で見つかった。天井石や側壁上部の石材が後世、加工されて他の用途に流用されていたことを示す。

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<ツタンカーメンのエンドウ豆> 「3000年の眠りを破って発芽」って、本当?

2015年05月02日 | 花の四季

【花は可愛いスイートピー風、莢は濃い紫色、豆は緑色】

 話題の「ツタンカーメンのエンドウ豆」。昨年10月頃に種蒔きすると、しばらくして発芽。年が明けて暖かくなるにつれぐんぐん成長し、4月に入ると高さが2mを超えるほどに育った。莢の中の豆を食べる実エンドウの1種。花は可愛いピンクと赤紫色のツートンカラーで、赤花系のキヌサヤやスナップエンドウとさほど違いはなさそう。変わっているのは濃い紫の莢の色だが、中身は普通の緑色の豆だった。

 「エジプト王家のツタンカーメンの墓から豪華な副葬品とともに発見されたエンドウ豆。そのタネが3000年の眠りを破って発芽し、人々を驚かせた」。種子が入った袋の裏側に「品種の特長」をこう記していた。ツタンカーメンといえば、わずか18歳で没した古代エジプト第18王朝のファラオ。ミイラが被っていた豪華な「黄金のマスク」で知られる。

 「王家の谷」で未盗掘のツタンカーメンの墓を発見・発掘したのは英国の考古学者ハワード・カーター。100年近く前の1922年のことだった。このエンドウの種子はその際に見つかったといわれ、その後、栽培に成功して英国から米国へ。そして日本では1960年代以降、小学校などで評判になって各地に広まった。静岡県藤枝市には「ツタンカーメンのえんどう豆研究会」というグループも発足、この豆を使った和菓子や草木染ハンカチなどの商品化に取り組んでいる。

 エンドウ豆の原産地はエチオピアから中近東、中央アジアにかけての地域。エジプトの王墓から見つかっても不自然ではない。日本でも2000年前の古代ハスといわれる「大賀ハス」の種子の発見・出芽例もある。エンドウ豆の〝来歴〟にもロマンがあふれている。信じたい気持ちは強い。だが、こんなちっぽけなエンドウ豆の種子が果たして3000年間も生きたまま休眠するということがあり得るのだろうか? エジプト考古学の第一人者吉村作治先生はどうも否定的なようだが……。

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<ハンカチノキ> 大きな白い2枚の苞がそよ風にひらひらと

2015年05月01日 | 花の四季

【中国原産、白鳩になぞらえ「ハトノキ」とも】

 中国南西部原産のヌマミズキ科ダヴィディア属の落葉中高木。1属1種の珍しい樹木で〝植物界のパンダ〟とも。中国名は「珙桐(きょうとう)」、英名は「ハンカチーフツリー」または「ドーヴツリー」。和名は英名を直訳して「ハンカチノキ」や「ハトノキ(鳩木)」と呼ばれている。

 花期は4月後半から6月にかけて。球形の頭状花序を包むように白くて大きな2枚の苞(ほう)が垂れ下がって風にひらひらと舞う。その花姿を白いハンカチや群れ飛ぶ白い鳩になぞらえた。苞は最初緑色だが、開花に合わせて真っ白に変化する。大小2枚の組み合わせで横幅は20cmほども。薄い半透明でまるで羽化直後のセミの羽のよう。葉脈が透き通って見えた。

 属名のダヴィディアはフランス人の宣教師・生物学者のアルマン・ダヴィッド神父にちなむ。中国で布教活動の傍ら、奥地を探検旅行中だった1869年にこの樹木に遭遇し、ヨーロッパに初めて紹介した。神父はジャイアントパンダやキンシコウ(金絲猴)の存在を世界に紹介した人物としても知られる。

 東京・小石川植物園のハンカチノキは1958年ごろに種から育てられた国内最古参という。例年ゴールデンウイーク前後に見頃を迎える。文京区の礫川(れきせん)公園のものは文豪幸田露伴の娘で作家の幸田文ゆかりの木。同植物園の知人から贈られたものだが、開花までに20年近くを要し、文は花を見ることなく他界したという。その後2002年に文の娘で随筆家の青木玉さんから文京区に寄贈された。「ハンカチの木の花絹の艶もてる」(宮平静子)。

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