く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<奈良県天理市> 「豊田トンド山古墳」(仮称)の発掘調査現地説明会

2015年05月03日 | 考古・歴史

【未知の巨石積み大型横穴式石室、豪族物部氏の有力者の墓か】

 奈良県天理市豊田町の丘陵地でこのほど見つかった大型横穴式石室の現地説明会が2日行われた。この古墳は標高114.5mの丘陵の頂上部に築かれており、規模は直径30mほどの円墳(未確定)。築造時期は出土した須恵器などの特徴から7世紀前半とみられる。周辺の円墳に比べると規模が大きく、高台に単独で築かれているのが特徴。

 

 この高台は当時の有力豪族物部氏の氏神といわれる石上(いそのかみ)神宮や拠点だったとみられる布留遺跡を見下ろす場所に立地する。調査を担当した天理市教育委員会文化財課の石田大輔さんは「墳丘や石室の規模からみても、布留遺跡と密接に関わる有力な首長層の墓である可能性が高い」と説明していた。市教委では地名に詳しい地元住民の話を基に仮称「豊田トンド山古墳」と名づけ、近く県教委に申請する。

 

 この古墳は都市計画道路(別所丹波市線)事業に伴う発掘調査で見つかった。北東側一帯には古墳時代後期の大規模な群集墳として知られる石上・豊田古墳群が広がる。古墳群の中で有名なのは石上大塚古墳、ウワナリ塚古墳という2基の大型前方後円墳や方墳のハミ塚古墳。ほかに200基ほどの小規模な円墳が密集する。今回見つかった古墳は同古墳群の中では最終段階に造営されたものとみられ、墳丘規模は石上大塚、ウワナリ塚、ハミ塚古墳に次ぐ。

     

 見つかった石室は南南西の方向に開口し、最大で一辺約3mに及ぶ巨石を積み上げて壁面を構成する。ただ天井石と側壁の一部は失われ、石室内も盗掘を受けていた。石室は床面で全長約9.4m。埋葬空間である玄室は奥壁の幅約2.0m、高さ約2.6m、側壁の長さ約4.9m。床面には長径30cmほどの石がびっしり敷き詰められていた。玄室内を中心に細かく破砕された二上山の凝灰岩が多数出土しており、凝灰岩製の石棺が安置されていたとみられる。

 

 玄室奥壁下段の石材はベンガラで赤く彩色されていた。また玄室手前の羨道床面にもベンガラで赤く変色している部分があった。付近から鉄釘が多数出土していることから、羨道部分に木棺が追葬・安置されていた可能性も考えられる。石室内は盗掘されていたものの、須恵器や土師器、鉄鏃、太刀の破片などが出土した(上の写真㊧)。石室手前からは石を割るための矢穴(やあな)を開けられた大きな石材で見つかった。天井石や側壁上部の石材が後世、加工されて他の用途に流用されていたことを示す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする