【ふるさとミュージアム山城で12月8日まで】
「茶の木人形」はその名の通り、茶の木を素材に主に茶摘女(ちゃつみめ)をモチーフとした木彫りの人形。江戸時代に始まり宇治土産として人気を集め、一時は将軍や大名、皇室に納められるほどたった。だが、今では地元でさえその存在があまり知られていないという。その古今の「茶の人形」を一堂に集めた展示会が京都府木津川市のふるさとミュージアム山城(府立山城郷土資料館)で開かれている。題して特別展「宇治茶の郷(さと)のたからもの―茶の木人形と永谷家の製茶機械」(12月8日まで)。
「茶の木人形」は茶の古木を活用して一刀彫りし彩色したもの。茶木はあまり大きく育たず、材質が硬くて加工が難しいのが特徴。このため人形の大きさも大半が3~10cmほどと小さい。一方、茶木の代わりに楠や椿、桜など他の素材で茶摘女を彫ったものもある。これらは区別するため「茶摘人形」と呼ばれており、双方を合わせて「宇治人形」と呼ぶこともある(上の写真㊧の左端の大きな人形が「茶摘人形」)。
「茶の木人形」を始めたのは江戸初期の茶人・金森宗和(1584~1656)とも、江戸後期の宇治茶師・上林清泉(1808~70)ともいわれる。清泉自筆の「宇治人形由緒書」には宗和が宇治人形を考案したと記す。ただ宗和が茶木を素材に製作したという利休像が天寧寺(京都市)に伝わっているものの、茶摘女を彫った「茶の木人形」はこれまでに見つかっていない。
特別展では「茶の木人形」を中心に約150体が展示されている。その多くは宇治市在住の人形研究者・田中正流(まさる)氏と「茶の木人形」に魅せられ自らも制作に取り組む仏師・大岩広生(こうしょう)氏の収蔵品(下の写真㊨は田中氏の作品)。展示作品には姉様被りに赤い前垂れ、茶花柄の着物姿のものが多い。清泉の作品はふくよかな瓜実顔が特徴で、紅をさした口元がにっこり微笑みを見せる。上の写真㊧の清泉の人形はおなかが上下2つに分かれ〝香合わせ〟用になっている。
展示会企画担当者によると「茶の木人形」の一部には背面に紐を通す穴が開いており、江戸時代から明治時代にかけて〝根付〟としても活用されていたという。今でいう携帯用のストラップ。清泉作の人形にも懐紙入れに結ばれた人形があった。清泉の次男・上林楽之軒(1836~1909)の作品は茶摘女のほか利休や大黒様、達磨大師などバラエティーに富む。
大正から昭和の初め、人形づくりは農家の副業としても奨励され、1927年(昭和2年)には宇治で土産品製作講習会が開かれた。その講習会に参加し後に人形の知名度アップに貢献したのが桂楽峯(1894~1965)。1933年(同8年)には自作の人形が京都御所で昭和天皇の天覧に供した。出展依頼を受けた楽峯は「斎戒沐浴して一室を修祓し、数百年を経た茶の古木を利用して3体を製作した」という。天皇はその直後、50体をお買い上げになった。その時の「御買上通知状」やその人形(予備製作品)=上の写真㊧=なども展示されている。