【別名「タデアイ」、原産地は中国~インドシナ半島】
タデ科の1年草で、原産地は中国南部~インドシナ半島。日本には6世紀ごろ、中国から渡来したという。葉から藍染めの染料インディゴを取るために古くから栽培されてきた。インディゴを取る植物には他にマメ科のインドアイ、キツネノマゴ科のリュウキュウアイ、アブラナ科のウォード(タイセイ)などがある。これらと区別するため「タデアイ(蓼藍)」と呼ばれることもある。
9~10月ごろ、紅色または白の小花を穂状に付ける。染料にするには花が咲く前に葉を刈り取って藍玉に加工。これに灰汁などを混入し繊維を漬けて染色する。師匠より弟子のほうが優れているたとえに「青は藍より出でて藍よりも青し」。この諺のように、藍で染めると元の染料の藍よりも濃い青に染め上がっていく。
アイは古くからベニハナやアカネなどとともに貴重な染料として使われてきた。正倉院にも御物として藍染めの「縹縷(はなだのる)」や布類などが納められている。縹縷は東大寺の大仏開眼(752年)のために用いた筆に結び付けられた長いロープ状のもの。参列者が大仏の功徳にあずかろうと手に持った。
平安時代の延喜式(927年)にも藍に関する記述が見られ、武蔵や相模、信濃などの国は藍染めの布を「調」として納めたという。江戸中期には木綿の導入とともにアイの需要が急増。中でも阿波徳島では藩が栽培を奨励したこともあって一大産地となり、最盛期の栽培面積は約2万ヘクタールにも達した。藍染めは武士の裃(かみしも)から庶民の衣類、店の暖簾まで幅広く普及し、明治初めに来日した外国人からは「ジャパンブルー」とも呼ばれた。
だがインドからの藍玉の輸入やドイツで開発された人工藍の流入によって、天然藍の需要はその後、急速に減少していく。アイの花はかつて徳島の県花にもなっていたが、1974年には特産のスダチに取って代わられた。ただ、最近では天然藍が合成藍に比べ色が美しく耐水性にも優れていることなどから再び見直されている。「嶋原の外も染るや藍畠」(服部嵐雪)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます