【高倉健と小林正樹監督の特別コーナーも】
歴史的建造物が多く残り観光客の人気を集める門司港レトロ地区(北九州市門司区)。その西側に大型客船をイメージした巨大な建物「関門海峡ミュージアム」が立つ。通りを挟んで向かい側にあるのが「旧大連航路上屋」。約100年前の1929年に「門司税関1号上屋」として建てられた。その1階に入る映画・芸能資料館「松永文庫」でいま夏の企画展「平和を願う戦争映画資料展」(~10月1日)が開かれている。
このアール・デコ様式の建物を設計したのは国会議事堂などを手掛けた官庁建築家の大熊喜邦(よしくに)。国際旅客ターミナルとしてにぎわい、中でも大連航路の便数が一番多かったことから一般に「大連航路上屋(待合室)」と呼ばれた。松永文庫は門司出身の故松永武氏(1935~2018)が収集した映画のポスターやチラシ、写真、脚本、書籍・雑誌など約6万点を収蔵する。2009年に資料全てが北九州市に寄贈され、以来、不定期に企画展を開いてきた。
今回は戦争を描いた日本映画に焦点を絞り、映画ポスター約50点をはじめシナリオ、戦時下に発行された映画雑誌などを展示中。その中には『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』『日本のいちばん長い日』『私は貝になりたい』『ビルマの竪琴』などの名作も。これらはいずれも1950~60年代に公開され、その後再映画化もされている。『二十四の瞳』の高峰秀子、『私は貝になりたい』のフランキー堺、『ビルマの竪琴』の中井貴一らの名演技が目に浮かぶ。(下の写真は『私は貝になりたい』のヒットを受け当時理髪店に配られたという短冊状のちらし)
海軍飛行専修予備学生として出撃した青年たちの遺稿集を原作とする『雲ながるる果てに』をはじめ特攻隊を題材にした映画のポスターなども並ぶ。『月光の夏』『君を忘れない』『ザ・ウィンズ・オブ・ゴッド』『俺は、君のためにこそ死ににいく』『永遠の0(ゼロ)』……。原爆で白血病になった医師永井隆博士が幼いわが子に書き残した手記をもとにした『この子を残して』や『黒い雨』『TOMORROW 明日』『父と暮せば』『夕凪の街 桜の国』など、広島と長崎の原爆を取り上げた映画の資料類も展示されている。
今回は福岡県出身の名優高倉健(1931~2014)と、会場の建物とゆかりのある映画監督小林正樹(1916~96)の特別コーナーも。健さん関連では出演した戦争映画10作品を取り上げている。最後の主演作となった『あなたへ』(2012)のポスター前に置かれた黒い長椅子はその映画の中で健さんが実際に座ったものとのこと。その椅子に腰を下ろし記念写真を撮る来場者が相次いだ。映画は健さんが門司港の海岸を歩いていくシーンで終わる。その撮影衣装のまま松永文庫を訪ねてきた。自分の新聞記事が収められたスクラップブックにじっと見入っていたそうだ。
小林正樹監督の主要作品には五味川純平原作の『人間の條件』や『切腹』『東京裁判』などがある。それらの作品はカンヌなどの国際映画祭で高い評価を得た。この建物「旧大連航路上屋」とのつながりは応召した小林が満州(中国東北部)から南方へ移動の途中、門司港に寄航した1944年7月に遡る。小林は満州で軍務の合間を縫って『防人』と題した映画のシナリオを執筆。そのシナリオや日記を風呂敷に入れ、東京の実家の宛名を書いてこの建物内の洗面所に残していった。復員後、東京に戻ると、その風呂敷包みは無事届けられていた。ただ残念ながら『防人』が映画化されることはなかった。
展示会場内や入り口には古い大型のカーボン式映写機も展示中。映写技師の永吉洋介さんから松永文庫に数年前寄贈された。永吉さんは福岡県大野城市出身で、閉館が相次ぐ各地の映画館から映写機を譲り受けて保存してきた。日本の映画界の歴史を物語る映写機はいずれも圧倒的な存在感を放っていた。(写真㊧岡山県和気町にあった「富士映劇」から、㊨愛知県豊田市にあった「足助劇場」から)