く~にゃん雑記帳

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<奈良市埋蔵文化財センター> 赤田横穴墓群で新たに8基!

2023年03月09日 | 考古・歴史

【合計24基に、速報展で陶棺や副葬品を公開】

 奈良盆地北西部では古墳時代後期から飛鳥時代にかけ、南側斜面に横穴を掘って遺体を埋葬する横穴墓が多く築造された。代表的な遺跡が奈良市西大寺赤田町にある「赤田横穴墓群」。これまでに16基が確認されていたが、2021年の発掘調査で新たに8基が見つかった。奈良市埋蔵文化財調査センター(大安寺西2丁目)は開催中の「令和4年度春季発掘調査速報展」で、接合・復元作業を完了した陶棺や副葬品などの出土品を公開している。3月31日まで。

 発掘調査は大和中央道建設に伴って実施したもの。新たに見つかった8基(17~24号墓)は従来の16基から西側に続く場所で見つかった。大和中央道建設に伴う発掘調査では2019年に赤田横穴墓群の北側に位置する秋篠町で、飛鳥時代の横穴墓4基が出土している。こちらは新しく「秋篠阿弥陀谷横穴墓群」と名付けられた。

 17号墓(6世紀後半)は全長9.3m以上で、床面は初葬時と追葬時の2面があった。初葬時の墓室からは全長2.12mの亀甲形陶棺(10行3列合計30本の脚付き)が出土(写真㊤)。未盗掘だったが、棺内に副葬されていたのは刀子1点だけだった。追葬時には木棺が安置されたとみられ、土師器の壷などの副葬品が見つかった。

 18号墓(7世紀中頃)からは円筒形陶棺(写真㊤)が蓋身を合わせ口にして横たわる状態で出土した。棺内から鹿角装刀子と鉄鏃各1点が見つかった。以前に赤田9号墓から出土した円筒形陶棺が縦置き型なのに対し、18号墓は横置き型になっているのが特徴。この横穴墓も追葬時には木棺が置かれていたとみられる。

 19号墓(7世紀中頃)には木棺の底板の一部(写真㊤)が残存していた。木棺は長さ1.67m、幅0.6m程度に復元できる。墓室入り口からは横穴墓築造時より古い6世紀前半~中頃のものと推定される朝顔形埴輪と頭部が欠けた人物埴輪(写真㊦)が出土した。いずれの埴輪も底部が欠失しており、近くの古墳から抜き取って再利用したとみられる。

 20号墓(7世紀前半)には木棺があったとみられ、須恵器長頸壷や土師器椀などが出土。21号墓(6世紀後半)には盗掘によって壊された亀甲形陶棺が出土し、土師器長胴甕を用いた蔵骨器も出土した。23号墓と24号墓(いずれも6世紀後半)にも木棺があったとみられ、土師器の甕、須恵器の台付長頸壷、提瓶などが副葬されていた。なお22号墓には墓室がなく埋葬されずに放棄された可能性が高い。(下の写真は20~24号墓から見つかった副葬品)

 今回の速報展では奈良時代の瓦窯1基が新たに見つかった「平城京南方遺跡」(北之庄町)についても出土物やパネルなどを使って紹介している。

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