【煌びやかな“名誉の屏風”、応挙の襖絵で空間再現!】
神戸市立博物館で開館40周年の記念特別展「よみがえる川崎美術館―川崎正蔵が守り伝えた美への招待」が開かれている。川崎美術館の創設者は川崎造船所(現川崎重工業)や神戸新聞社などを創業した川崎正蔵(1837~1912)。神戸市布引に1890年(明治23年)国内初の私設美術館として開館した。だが昭和初期の金融恐慌などでコレクションは残念ながら散逸してしまう。国宝・重要文化財を含むそれらの名品の数々が約100年の時を越えて神戸に“里帰り”してきた。12月4日まで。
川崎正蔵が美術品を収集した背景には明治維新による西洋文化の流入、廃仏毀釈や文化財の流出への危機感があった。収集分野は多岐にわたる。それを示すのが没後3回忌の1914年に刊行されたコレクションの名品図録『長春閣鑑賞』(長春閣は1899年、美術館の隣に建てられた)。386点の作品が①仏画・やまと絵・肉筆浮世絵②狩野派・水墨画③円山・四条派④中国絵画⑤仏像・漆器⑥陶磁器・青銅器――に分けて6冊に掲載されている。コレクションはその後散逸したが、国内外に約300点が現存しているそうだ。
展示品の中でとりわけ目を引くものに煌びやかな金地屏風がある。伝狩野孝信筆の『桐鳳凰図屏風』(林原美術館蔵)は8曲1双で重要美術品(下の写真)。かつては豊臣秀吉が聚楽第を造ったとき狩野永徳に描かせたと考えられていたが、今では永徳の次男孝信の作ではないかといわれている。
狩野信孝筆の8曲1双『牧馬図屏風』(個人蔵)は海外からの初の里帰り公開。満開の桜と青々とした松などの木の下で多くの馬が遊ぶ光景が生き生きと描かれている。乳を飲む子馬も含め全部で23頭。これらの屏風は1902年の明治天皇の神戸行幸で御用立てられた屏風5点のうち2点で“名誉の屏風”と呼ばれている。いずれの作品も制作から約400年経つが、とてもそうとは思えない新鮮な輝きを放つ。雲谷派筆の6曲1双『韃靼人狩猟図屏風』(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)も今回が初公開。
もう一つの見どころが川崎美術館を彩った円山応挙の襖絵『月夜浮舟図・江頭月夜図』『海辺老松図』『江岸楊柳図』『雪景山水図』(いずれも東京国立博物館蔵)の計32面。これらを立体的に展示して館内の空間を再現した。また当時の「陳列品目録」を手掛かりに同じ部屋に飾られていた中国絵画を一堂に集めて展示した。現在は明の第5代皇帝宣宗筆『麝香猫図』(個人蔵)や『蓮に鶺鴒・葦に翡翠図』(MAO美術館蔵)などを展示中だが、会期後半には南宋画の名品として国宝に指定されている直翁筆『六祖狭担図』(大東急記念文庫蔵)や重文の伝夏珪筆『風雨山水図』(根津美術館蔵)などもお目見えする予定。
川崎正蔵は美術品収集の傍ら、尾張の七宝の名工・梶佐太郎(1859~1923)を神戸に招き中国・明代の古七宝焼を基に「宝玉七宝」の制作を支援するなどパトロンとしての役割も果たした。パリ万博(1900年)出品の梶の香炉と花瓶は名誉大賞を受賞し、その後皇室に献上された。だが、それらの作品は1945年の東京大空襲で焼失したという。会場には『菊唐草文七宝香炉』(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)、『牡丹唐草文鐶付七宝花瓶』(名古屋市博物館蔵)など15点が並ぶ。深い青色の美しさにしばし見入ってしまった。
展示作品番号最後の「112」は伝顔輝(14世紀の中国・元時代)筆の重文『寒山拾得図(2幅)』(東京国立博物館蔵、上の写真=部分)。中国・唐代の高僧、寒山と拾得が暗闇の中で大きな口を開け不敵な笑みを浮かべる。足利義政が所蔵した東山御物といわれ、織田信長、石山本願寺などを経て川崎正蔵が1880年代半ばに入手した。命の次に大切なものとして愛蔵した作品といわれる。
このほかにも名品が多く並ぶ。桃山時代の6曲1双『桜下蹴鞠図屏風』(文化庁蔵)、土佐光起筆『源義経・周茂叔・陶淵明図』(個人蔵)、鳥文斎栄之筆『円窓九美人図』(MOA美術館)、伝雪舟筆『墨梅図』(東京国立博物館)、円山応挙の『呂洞賓図』『猛虎渓走図』(個人臓)、呉春筆『三十六歌仙偃息(えんそく)図巻』(逸翁美術館)……。後期には中国人物画の名品として国宝に指定されている伝銭舜挙筆『宮女図(伝桓野王図)』(個人蔵)なども展示される予定だ。