く~にゃん雑記帳

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<高取町市尾の古墳> 国指定史跡の「墓山」と「宮塚」

2022年10月11日 | 考古・歴史

【墓山古墳の被葬者は豪族巨勢男人?】

 大和盆地南部に位置する奈良県高取町は県内有数の古墳密集地域として知られる。古墳の数は700基を超え、県内では天理市、御所市、桜井市に次いで4番目。“古墳密度”は高松塚やキトラ、石舞台などで有名な北隣の明日香村を抑えて1位という。その高取町で最大の古墳が「市尾墓山古墳」。近くには同じく国の史跡に指定されている「市尾宮塚古墳」もある。その二つの前方後円墳を初めて訪ねた。

 近鉄吉野線市尾駅を降り立つと、駅前に地元民手作りの小さな「はにわ公園」(今年4月完成)があった。その上、奥の方に緩やかな2つのこぶを持つ墓山古墳の墳丘が見えた。古墳まで徒歩で5~6分の距離。墳丘は長さ70m、高さ10mで、モミジの大木が1本シンボルツリーのように立っていた。後円部の横穴式石室まで上り階段があるが、入り口は固く閉じられていた。カビ対策のため5年ほど前から石室の公開を中止しているという。ただ墳丘は登ることができ、前方部の丘の上から北西側に二上山を望むことができた。

 石棺はその二上山周辺から運ばれた凝灰岩製で、蓋の長さが約2.7mもある県下最大級の刳り抜き式家形石棺。内面には赤色顔料が鮮明に残っているという。石室からは副葬品のガラス玉や鉄刀、鉄鏃、馬具の鞍金具や杏葉、須恵器や土師器などが出土した。墳丘表面には朝顔形や円筒の埴輪が並べられ、周溝からは木製の鳥・笠・盾なども見つかった。

 古墳の築造時期は6世紀初頭。被葬者はこの地域の有力な豪族だった巨勢氏の首長とみられ、大伴金村らと共に継体天皇を擁立した大臣の巨勢男人(こせのおひと)が有力視されている。石室から出土した副葬品は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)に展示中。博物館では「横穴式古墳のはじまり」と題したコーナーで市尾墓山古墳を例に挙げ「家形石棺を納めるために長方形の石室がつくられた」と解説、図解の「大和の大型横穴式石室の変遷」などでも取り上げ、石棺の大きな写真パネルも展示されている。

 市尾宮塚古墳は飛鳥と紀伊を結ぶ古代の官道「巨勢路(紀路)」沿いの天満神社の境内にあった。墳丘は長さ44mで、高さは後円部が7m、前方部が4.5m。こちらの横穴式石室は入り口に近づくと照明ランプが点灯するよう設定されており、柵越しに内部を見学できた。玄室に納められている家形石棺は墓山同様、内外に赤色顔料が塗布され、石室内からはトンボ玉や水晶切子玉、金銅装の大刀、馬具、鈴、須恵器などが出土した。築造時期は墓山よりやや遅い6世紀中頃。被葬者はこちらも豪族巨勢氏の首長とみられている。

 現在の高取町一帯は古代、渡来人氏族の勢力圏だったともいわれる。100基余の円墳や方墳が密集する「与楽(ようらく)古墳群」は国指定史跡。その中の代表的な古墳「与楽カンジョ古墳」(一辺36mの方墳)や「与楽鑵子塚(かんすづか)古墳」(直径28mの円墳)は東漢氏(やまとのあやうじ)一族の首長墓ではないかといわれている。

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