く~にゃん雑記帳

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<奈良市写真美術館> 没後30年入江泰吉「文楽」展

2022年05月15日 | 美術

【約80年前に撮影した入江の出世作】

 奈良市写真美術館(高畑町)は冠に「入江泰吉記念」と付くのが正式名。奈良市出身の写真家入江泰吉(1905~92)の没後、全作品約8万点が寄贈されたのを機に1992年に開館した。入江は戦後、大和路の風景や草花、仏像などを撮り続けたが、終戦前までは大阪で写真店を営んでいた。近くに「人形浄瑠璃文楽座」があった。知人の紹介でそこに通い続けて撮った「文楽」シリーズは彼の出世作となった。その「文楽」の代表作を一堂に紹介する〝回顧展〟が開かれている(6月26日まで)。

 入江が初めて文楽に興味を抱いたのは、知人の洋画家から文楽人形の撮影を頼まれたのがきっかけ。それを機に1939年から約5年間、四ツ橋にあった文楽座に足繁く通った。そこで入江が精魂を傾けて撮った写真が館内の壁面を埋め尽くしていた。『壷坂霊験記』のお里、『鬼一法眼三略巻』の武蔵坊弁慶、『伊達娘恋緋鹿子』の櫓のお七……。原寸大の人形のかしらのほか「文楽座」の外観や楽屋、人形部屋、練習中の人形遣いを撮った写真なども。展示作は総数400点以上に上る。文楽座は1945年3月の大阪大空襲で焼失した。それだけに入江の作品は当時を伝える歴史的資料としての価値も高い。

 作品の中には人形と遣い手を収めたものも少なくない。吉田文五郎が操る『妹背山婦女庭訓』のお三輪(写真㊧)や『艶容(あですがた)女舞衣』のお園、吉田栄三が操る『冥途の飛脚』の忠兵衛など。それらの愛憎の表情は人形遣いによってまさに息を吹き込まれたかのよう。文五郎は女形遣いの名手として人気を集め、戦後芸術院会員に推挙され文化功労者にも選ばれた。一方、栄三も座頭として長く活躍したが、終戦の年、疎開先の奈良で亡くなっている。「私が文楽に熱中していたころは三業(さんぎょう=太夫・三味線弾き・人形遣い)の名人がそろっていて、昭和の全盛時代であった」(『入江泰吉写真全集6 文楽回想』)。入江はそう振り返っている。

【ピアソンコレクション展「須田一政」同時開催】

 奈良市写真美術館では「禅フォトギャラリー」(東京・渋谷)代表マーク・ピアソン氏(英国出身)のフォト・コレクション展の第2弾として「須田一政」展を同時開催中。須田一政(1940~2019)は寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」の専属カメラマンとして活躍した後、フリーランスとなり国内各地を巡って庶民の日常風景をスナップ写真に収めた。土門拳賞、日本写真協会賞作家賞・国際賞など数々の賞を受賞している。

 今回は初期の作品『風姿花伝』をはじめ『民謡山河』『物草拾遺』『わが東京100』などの作品約220点を展示中。『風姿花伝』や『民謡山河』シリーズには山形・花笠まつり、浅草・三社祭、埼玉・秩父の夜祭り、富山・八尾のおわら風の盆など、各地の祭りの一こまを切り取った作品を多く含む。そこに登場するのはごく普通の人々の柔らかな表情。須田は「歌舞伎や謡曲とは異なり、祭りを伝承する人はまったくの一般人だ……祭りは生と死が織り成す汗にまみれた襷(たすき)によって過去と未来をつないでいる」と書き残している。寺山修司の若き日の写真も。「天井桟敷」を立ち上げて間もない頃だろうか。

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