く~にゃん雑記帳

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<福山城博物館> 「福山藩の誕生―初代勝成から五代勝岑まで」

2019年07月21日 | 考古・歴史

【大和郡山から福山入封400年を記念して特別展】

 山陽新幹線の福山駅のすぐ目の前に位置する福山城。これほど駅に近い城は他にないだろう。福山藩の初代藩主は徳川幕府から西国鎮護の命を受け、1619年に大和郡山から入封した譜代大名の水野勝成。今年はちょうど入封(にゅうほう)400年の節目に当たる。福山城博物館でそれを記念した特別展「福山藩の誕生―初代勝成から五代勝岑(かつみね)まで」が始まった。

 初代勝成は入封翌年の1620年に築城を開始、京都・伏見城などからの移築もあって僅か2年余りで5層6階建ての大城郭を築いた。その威容は全国8大名城の一つに数えられていたが、終戦直前の1945年8月8日の福山空襲で天守閣を焼失。その後、1966年に市制50周年事業として復元された。現在は博物館として利用されている。築城時の姿を今に残す「伏見櫓」と「筋鉄(すじがね)御門」は伏見城からの移築といわれ、いずれも重要文化財に指定されている。

 

 福山藩の歴代藩主は5代続いた水野家の後、廃藩置県まで松平家1代、阿部家10代と続いた。今回の特別展ではそのうち城郭や城下町を整備して現在の福山の基礎を築いた水野家5代の足跡を文書や絵図、工芸品などで辿るもの。館内に入ると、常設展示スペースに水野勝成が徳川家康と並んだ蝋人形2体が飾られていた。勝成の父忠重の姉は家康の生母。また勝成の妹は家康の養女として肥後熊本藩初代藩主加藤清正の継室となっている。

 

 勝成の遺愛品の中に「小尉(こじょう)」と呼ばれる能面があった。家康から拝領したもので、伏見城の能舞台で実際に使ったそうだ。『勝成事跡』と呼ばれるものの写しも展示中。1641年に徳川家光の命を受け水野家の勲功を自ら書き上げ献上したもので、桶狭間の戦いから大坂の陣に至る本人の活躍ぶりを詳細に記す。福山の城下町には早くから上水道が敷設された。それを物語る「福山町割水道図」や町人屋敷内から出土した水道木管なども展示している。

 書状の中に「生類憐みの令遵守の請書」があった。庄屋や村民が連名で遵守を誓った証文で、徳川綱吉が制定した生類憐みの令が末端まで行き渡っていたことを示す。また老中連署奉書「肥後船預かりのこと」(1632年)からは、熊本城2代城主加藤忠広の改易で領地没収となった加藤家が所有していた船を、福山藩が預かって管理していたことが分かる。水野勝成は熊本城受け取りに赴いた際、加藤清正没後清浄院と名乗っていた妹を福山に連れ帰ったという。勝成ゆかりの馬具や軍配、福山城の古地図、5代勝岑の子ども用甲冑「紺糸威童具足」、水野家が備後一ノ宮の吉備津神社に奉納した吊り灯篭や矢を入れる靱(うつぼ)なども展示されている。9月1日まで。

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