【童謡「赤とんぼ」や淡口醤油で有名な詩情豊かな城下町】
兵庫県南西部に位置し〝播磨の小京都〟といわれるたつの市龍野。龍野藩5万3000石の城下町で、今も武家屋敷や町家など古い町並みが残る。龍野淡口(うすくち)醤油と童謡「赤とんぼ」の作詞者三木露風を生んだ〝童謡の里〟としても知られる。その龍野で国の重要伝統的建造物群保存地区への指定に向けた機運が盛り上がっている。
たつの市は歴史的な景観を保全するため、今年6月「たつの市龍野伝統的建造物群保存地区」を決定・告示した。対象地域は揖保川西側の町並み約15.9ヘクタール。今後地区内で建物の新築や増改築、新しい看板の設置、樹木の伐採など現状を変更する際には市への許可が必要になってくる。市は地域住民の合意と保存地区決定をもとに今後県と一緒に国に働きかけていく。「めざそう重要伝統的建造物群保存地区~未来へ残したい龍野の町並み」。商店の店頭などにはこんな文言と町並みの写真が印刷されたポスターがあちこちに貼られていた。
龍野のほぼ中心に位置し、シンボル的な存在となっているのが「うすくち龍野醤油資料館」。1932年に菊一醤油(のちのヒガシマル醤油)の本社事務所として建てられた洋風建築で、今は醤油に関する資料や醸造用具などの展示施設になっている。入館料はわずか10円。館内に直径40cmほどの〝合図太鼓〟が吊るされていた。明治初期のもので、仕事の開始などを告げるために打ち鳴らされたそうだ。モダンな洋風建築がもう一つ。1924年に龍野醤油同業組合が建てた組合事務所で、こちらは2年前に観光交流拠点「醤油の郷 大正ロマン館」として再オープンした。いずれの建物も国の登録有形文化財。
大正ロマン館の西側、龍野城の南側には三木露風の生家があり、近くの如来寺には露風の歌碑や遺愛の筆を埋めた筆塚も立つ。生家からさらに西に進むと郷土出身の文化人4人の文献や遺品を集めた「霞城館(かじょうかん)」がある。その4人は三木露風と詩人の内海青湖、歌人の矢野勘治、哲学者の三木清。露風の「赤とんぼ」は最初発表されたとき、出だしは「夕焼小焼の山の空 負はれて見たのはまぼろしか」だったそうだ。旧制第一高等学校の寮歌「嗚呼玉杯に」の作詞者矢野勘治のコーナーでは、鳩山一郎(のちの内閣総理大臣)入学時(明治33年=1900年)の痛快なエピソードが紹介されていた。男勝りの鳩山一郎の母春子が校長と面会、寮生活の不潔・不摂生などを列挙して一郎の自宅通学を申し出た。これに対し、校長は言うだけ言わせて「入寮をお嫌いなら他の学校を選びなさい」とただ一言――。
龍野城(別名霞城)は最初山城として鶏籠山(けいろうざん)の山頂に築かれ、その後山麓の平山城となった。現在の本丸御殿や隅櫓などは1970年代に再建された。周辺には建物自体が資料館になっている武家屋敷(主屋の築年は1837年頃)や家老門などがある。旧脇坂屋敷周辺には白壁の土塀が続き今も城下町の雰囲気が漂う。古い町並みの西側には県内有数の桜の名所で、文学の小径や童謡の小径などもある龍野公園が広がる。