く~にゃん雑記帳

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<双葉の里> 大横綱双葉山の生涯を辿る記念館

2018年08月06日 | スポーツ

【隣接する生誕の地には忠実に復元した生家】

 「相撲の神様」「昭和の角聖」と称される大横綱双葉山(1912~68、本名穐吉=あきよし=定次)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現在の宇佐市下庄)で生まれた。周防灘に注ぐ伊呂波川の河口近く。5歳の頃右目を失明し、さらに11歳のときには回船業を営む父親の手伝いをしていて右手をウィンチに挟まれ小指の一部を失う。だが、この2つのハンディを現役時代周りの人に語ることはなかった。そして1年2場所の時代に優勝12回(うち全勝8回)、前人未到の69連勝という偉業を成し遂げた。

 生地のそばに双葉山の生涯や記録、相撲道に対する思いなどを、多くの写真や資料などで紹介する記念館「双葉の里」がある。JR日豊本線天津駅から海側へ徒歩20分あまり。1999年に開館し、生誕100年に当たる2011年に資料展示室などをリニューアルした。施設の前には「超六十連勝力士碑」が立つ。双葉山のほか63連勝の白鵬、2代目谷風の名前と手形が刻まれており、11年に白鵬を迎えて除幕式を開いた。施設前左手には漫画家やくみつるさんの企画による双葉山と行司の顔出しパネルも。

 

 資料展示室の入り口には高さ約3mの巨大な双葉山像がそびえ立つ。京都教育大学名誉教授の山崎正義氏が制作したポリエステル樹脂製で、宇佐市総合運動場に建立されているブロンズ像の原型とのこと。館内には横長の大きな年表、愛用していた銀製のコップなどの遺品、化粧回しや明け荷、安芸ノ海に70連勝を阻まれた当時の新聞、入門からの全成績、名言集などが展示され、映像コーナーもある。名言として有名なのは「われ未だ木鶏たりえず」。他に「後の先」「勝負師は寡黙であれ」など。双葉山は生涯一度も「待った」をしなかったという。親方時代も「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」を指導理念とし、「心技体」ではなく「心気体」を強調していたそうだ。

 

 この「双葉の里」は今やパワースポットとしても人気を集めている。すぐ裏手に双葉山が生まれ育った生家があった。双葉山没後、夫人の澄子さんが遺志を継いで生家を改装し長く地元の公民館として使われていたが、1999年の生誕80周年の節目に生家の間取りを忠実に復元した。木造茅葺き、広さ約45㎡で、間取りは7.5畳、3畳、板の間、土間などの質素な造り。双葉山は父親が事業に失敗し、借金返済のため中学進学をあきらめた。ただ父の仕事を手伝う中で、後に無類の二枚腰といわれる強靭な足腰とバランス感覚を身に付けたといわれる。

 

 その生家から10分ほど歩いた河口に漁業航海の守り神、金刀比羅宮が鎮座する。その境内の一角に金文字で「横綱双葉山之碑」と刻まれた大きな石碑が立ち、そばには赤屋根で覆われた土俵もあった。最寄り駅天津駅の近くにも「生誕の地」を表す巨大な広告塔などが立つ。双葉山の偉大さを改めて痛感すると同時に、英雄を生んだ地として地元の誇りの大きさも実感することができた。

  

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