定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

夢多かりしあの頃に・・・

2015年03月12日 17時40分47秒 | お仕事関係
午後3時前。霞が関での午後の協議は、部下から担当者への耳打ちにより突然中断した。
仕事が早めに終わったら、飛行機最終便までの空き時間、新橋か浜松町あたりで大学時代の友人との再会を予定していた。

しかし、協議中断の合間に、協議が長引きそうな予感がしたため、彼にお断りの連絡メールを既に入れてしまった。

担当者の急用の理由により、協議の再開は無かった。

わざわざ貴重な仕事の時間を割いてまで会ってくれようとしていた後輩に、今更「やっぱり時間が出来ました。」と連絡を入れるのは憚られた。

・・・・・

19:15羽田発松山行きの最終便までどのように時間調整をすれば良いのか全くノープラン。

とりあえずSuikaで地下鉄の改札口を越え、丸ノ内線に。

その時は、東京駅で山の手線か京浜東北線に乗り変え、浜松町からモノレールに乗り換えて空港への直行を考えていた。

日帰り用回数券のため、17:15発の1便早いに乗り換えることが出来る。


しかし、私は、(恐らく学生時代の習慣がフラッシュバックしてしまったのかもしれない)、刹那、反対側の荻窪行きに乗ってしまった。


丸の内線は、四谷で一度地上に出る。あの頃と同じ、上智大学キャンパスのテニスコートがまぶしい。

新宿御苑前で下車した。

学生時代の下宿の最寄り駅である。

200円を支払って新宿御苑に入る。

下宿から歩いて5分程の至近距離にありながら、女学生との縁が無かった学生時代は、一度も入ったことが無かった。

広い園内の緑地では、高齢者の夫婦や若いカップルが平日の昼下がりを楽しんでいた。


新宿御苑を出て、次の行動を考えた。

新宿四季の道を越えて、新宿駅からあえて外回りの山の手線に乗り、高田馬場→池袋→上野→東京→浜松町のコースで空港に行けば、ゆったりと最終便の飛行機に間に合う。

しかし、少し心を病み、「自主退職」の4文字ばかりが常に頭をよぎっている私は、飛行機出発の時間を全く無視し、東京医科大学前→栄通り→抜弁天→総務省統計局→戸山公園→夏目坂・・・というコースを彷徨してしまうこととなった。

抜弁天前にある自分の下宿を訪ねた。

ちょうど取り壊しをしている最中で、大家さんの勉強部屋を改造した下宿は既に消滅しており、西側に隣接している畳屋の風景がむき出しになっていた。

(もしも気が向けば、続きはサラ旅で・・・)