名前と顔が一致しないかも知れませんが、青山良彦さんです。
大映映画をよく見られていた方は忘れられない顔の一人だと思いますし、大映
が駄目になる最後までいた一人なので私的に言うと戦友です。昭和37年に大映
演技研究所に16期生として入りましたが、同期には倉石功がいます。
チョイ役での出演は昭和39年の「この道赤信号」で、本格的なデビューは翌年の
「十七才は一度だけ」以後、二十数本に出演、大映の最後あたりの作品にも出て
います。
いい素質をもった俳優さんだと思いますが、強い意志がやや欠けるのか、俳優と
して周囲の期待に応えられなかったきらいがあります。
彼はもともとが日本舞踊の家に生れ、自分自身も花柳嶽という名取でありますし、
お父さんは二代目花柳壽楽さん、人間国宝です。お兄さんも二代目花柳錦之輔
ですから、花柳流の中核を形成する一家であり、先代家元・花柳寿輔さん(女性)
が亡くなって以来、家元相続のゴタゴタ騒動に彼の名前が出てきたのも不思議で
はないのです。しかも勝新太郎に可愛がられて昭和41年頃から2年間、勝ちゃん
の付き人のようにしていたことがあり、勝ちゃんのいい面も大いに吸収したのでし
ょうが、一寸ばかり我儘なところや自分の思いを強引に通すことなども勝ちゃん
ら学んだとすれば、花柳流の家元相続問題に彼までもが登場して、事が複雑に
なったと聞いたことも成程と頷けるのですが・・・。
彼は昭和18年生れですから今年で72歳、もっと頑張ってもらいたい、活躍してほ
しい一人です。