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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (80) 田村高廣さん

2015年09月07日 | 日記

     

 

  

  

      ここ5週間は大映時代の親友・故・林万夫の遺稿「わがいとしのカツライス」

     を掲載しました。また元に戻って大映にいた俳優さんたちの話に戻りますが、

     中田康子さんや長谷川一夫先生もまだ未アップであり、もう暫くは続けるつも

     りです。

     今回は田村高廣さんですが、「兵隊やくざ」では勝ちゃんと名コンビだと絶賛

     され、大映の話題作に多く出演しているため、大映の俳優だったと思い込ん

     でおられる方もおられると思うので、そのあたりをご紹介したいと思います。

 

     彼は巨星俳優といわれた「阪妻」板東妻三郎の長男として昭和3年に京都で

     生まれました。弟が田村正和、田村亮で異母弟に水上保広がいます。

     弟たちは学校を出てすぐ当然のように芸能界入りをしていますが、彼だけは

     俳優志望ではなかったらしく同志社大学を出て会社務めをはじめます。

     昭和28年に当時松竹に在籍していたお父さんが亡くなり、それをキッカケに

     木下恵介監督の強い要請で松竹入りをするのです。木下恵介監督のもと「二

     十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」「笛吹川」などに出演しますが、昭和38

     年に松竹を退社して各社に出演するようになります。そこで出演した大映「兵

     隊やくざ」は、勝ちゃんが新しいシリーズを模索していたというだけではなく、

     監督が増村保造だったこともあり日本映画の兵隊物の傑作の一つとして話題

     になりました。境遇も性格の違った二人のコンビの面白さが評判となり、監督

     は何人か変わったもののシリーズは8本に及び、そのほか「清作の妻」「忍び

     の者」「白い巨塔」「眠狂四郎もの」など、20本に近い大映作品に出演してい

     ます。

 

     本人もそうですが、弟たちも映画・テレビで活躍をしていますが、お父さんの

     「阪妻」に容姿が一番似ていたのが高廣さんで、周囲からは幾度か2代目・板

     東妻三郎を襲名したらどうかの薦めがあったようですが、もともと真面目で何

     事も超慎重だった本人は最後まで首を縦に振らなかったのです。

     大映が倒産寸前に出した「悪名一番勝負」が大映では最後になりましたが、そ

     の後も映画・テレビで重厚な俳優さんとして活躍して名声を残しました。平成

     18年に脳梗塞のため77歳で急死、いま生きていたら87歳です。

 

 

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