このブログを開設して今年の12月になると満5年となります。ブログをスター
トして半年経ったころに大映の思い出話を書くようになり、最初は永田雅一社
長でした。
色々書いている内に、もと大映の関係者からお便りをいただくようになり、ブロ
グにお父さんのことが出ていたと北原義郎さんのお嬢さんから連絡をいただい
て嬉しかったのですが、お母さんは亡くなっていたと三木裕子さん・松尾親代
さんの娘さんからご連絡をいただいて愕然としたりもしました。この前はご近
所のもと大映の人が亡くなったと知らされて調べると東京撮影所の宣伝課長
だった山口彰久氏でした。もう一つ、人を介してもと宣伝課員(私の先輩)の消
息を訪ねてきたのが市田ひろみさんです。私は前にも書きましたが、俳優の売
出しには関わり、あれだけ撮影所に行っていて同じ大映なのに最後まで会わ
なかった人が結構いて市田ひろみさんもその一人でした。
大阪出身の彼女は高校時代には陸上競技の選手としてインターハイに出たこ
ともあるスポーツ・ウーマン。短大卒業後に一度就職したのですが、当時から
かなり目立っていたようで大映にスカウトされ、まず演技研究所(第10期生)
に入りましたが、同期には田宮二郎・叶順子がいます。
日本人にしてはバタ臭い顔立ちで少し似ていることもあって和製ソフィア・ロー
レンと言われたこともあり、ヒロインや準主役にも抜擢されました。
正直言って当時はお世辞にも演技が上手いとは思えなかったのですが、それ
でも50本に近い作品に出演しています。
そんな彼女でしたが大映が衰退するのと同時に大映から消えました。その後
の彼女は、お母さんが京都で開いていた美容室でまず修行してポジションを
確保、服飾評論家、大学講師などをやる傍らで、テレビではコマーシャルや
ドラマでは憎めない関西のおばちゃん役などで好感度を上げました。
同時期に大映で活躍した若尾ちゃんが1933年生れの今年82歳、市田さん
は1932年生れですから83歳。ともに現役で活躍されているのは、持って生
まれた才覚に努力、それに人柄のなせる業だと思いますが、お二人ともまだ
まだ活躍されることをOBの一人として心から祈っています。