今回は伊藤雄之助さんを取り上げます。彼はフリーの俳優さんですから各社の、
名匠、黒澤明・市川崑・木下恵介・渋谷実・成瀬己喜男などの監督作品に数多く
出演し、それぞれに名脇役ぶりが話題になりました。
大映での出演本数は10本足らずですが、出ている作品はどれもこれも彼のユニ
ークな演技が目立つ作品ばかりで、特に「巨人と玩具」(増村保造監督)「しとやか
な獣」(川島雄三監督)「忍びの者」(山本薩夫監督)「華岡青洲の妻」(増村保造監
督)では強烈な印象を残しています。
伊藤雄之助さんは、大正8年(1919)東京の浅草生まれです。両親はともに舞台
の人で、彼も4歳8か月で沢村雄之助の芸名でデビュー、しかし関東大震災と父
の急死で舞台活動を一時断念し、お母さんの薦めで今度は教師を目指します。
しかし今度はお母さんが亡くなり、東宝専属で芸能界に復帰しますが、そこで口
には出せない程の苦労を味わうのです。
昭和15年に召集されて中国大陸で兵役に、途中から移動演劇隊に入れられて
中国から日本に戻って巡業時に終戦。義兄の佐伯清監督の推薦で東宝に復帰
し、それからもっぱら映画での活躍が開始されます。
昭和29年(1954)にフリーとなり各映画会社やテレビの露出が増えることになるの
です。彼のニックネームは「ゴテ雄」、演技に対しての執念はすさまじいものがあ
り、古い映画界の因習についてもズケズケ批判したことなどから、それが原因で
一部の会社や監督から敬遠された時期もあったようです。
昭和55年(1980l)療養のため出かけた伊東の温泉で容体が急変、3月11日に心
臓発作で帰らぬ人となりました。60歳、惜しまれる早死でした。
余談になりますが、若い頃の私は、撮影所の皆から高松英郎に似ていると言わ
れましたが、自分では高松ちゃんではなく、伊藤雄之助さんに似ていると思い続
けていたこともあり、彼が亡くなった後でも彼の作品を見るたびに、やっぱりこち
らの方が似ていると思ったのも、私なりの伊藤雄之助さんへの思い出話です。