あの日、あの時、自分は何をしていただろう。
2011.3.11 2:46PMに起きた東日本大震災のことは覚えている。
テニスに出かけるべく、階段でソックスを履こうとしていた。
が、20年前の阪神大震災となると、明確ではない。
出勤したら、クライアントの会長の実家が淡路島北部にあり、状況の情報収集で、仕事が中断されたことは覚えている。
幸い被害はなかったそうだが、神戸の営業所や周辺の状況が分からず、とても仕事どころではなかった。
今は、当然、何事もなかったように活気あふれる街になっているが、NHKTVニュースで、肉親、子どもをなくした方々が、心の傷を癒されない状況をレポートしていた。
「風化させてはならない」とは思うのだが、いまだに、ふるさと仙台や、周辺の地域へ足を運べないのは、一種のトラウマである。
いつ、何が起きてもおかしくない、それだけは肝に銘じておきたい。
爺は大震災の鎮魂の文とともに赤い花びらのシクラメンを掲げた。
爺の心の奥底を推し量ることはできないが、燃え上がる炎の向こうに美しかった街の息吹を「呼び戻せるなら・・・」としたのものではないだろうか。
関西にも東北にも幸いあれ!
素敵な想像の翼を広げましたね。
40年前のヒット曲のことを調べました。
歌詞が、プレスリーの曲に、北原白秋の詩をはめ込んだものとは知らなかった。
この当時、シクラメンには香りはなく、薄紫色もなかったそうです。それを、この曲に刺激され、花卉農家が香りも色も新たな、改良品種をつくりだしたというのですから、すごいですね。
言葉の魔術師、小椋佳。
奥さんの名前が佳穂里というのも、微妙です。
1月17日、東京新聞朝刊のフロントページに、「ともし続ける6434の光」とのタイトルと写真が掲載されていました。
阪神大震災の犠牲者の数と同じ本数の灯だそうです。
改めて合掌。