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東京新聞3月11日付け一面。
「涙の3.11 祈りの日」のタイトルで、この写真が掲載されていた。
言葉にできないものが込み上げてきた。
「仙台市若林区荒浜。真っ白に雪が積もった海岸では、太平洋から迫る波に向かい、僧侶が一時間近く祈りをささげていた=嶋邦夫撮影」
その写真の下に、自らも被災体験した仙台市在住の伊集院静が「…祈り続ける人たちのことをもう少しわかって欲しい。…この震災がまだまだ続いていることを…」と思いをつづっている。
昨年同日同時、東京・杉並の自宅の階段で、テニスコートに行くべく、ソックスをはこうとしていた。
激しい揺れにもかかわらず、幸い、家にはほとんど被害はなかった。
今日、同じ時間に同じ姿勢で、ソックスをはいた。
なにごとも起きなかった。
故郷のある北の方向に向かって、手を合わせ黙祷した。
「忘れてはならない」
その声が何処からか聞こえてくるような気がした。
「涙の3.11 祈りの日」のタイトルで、この写真が掲載されていた。
言葉にできないものが込み上げてきた。
「仙台市若林区荒浜。真っ白に雪が積もった海岸では、太平洋から迫る波に向かい、僧侶が一時間近く祈りをささげていた=嶋邦夫撮影」
その写真の下に、自らも被災体験した仙台市在住の伊集院静が「…祈り続ける人たちのことをもう少しわかって欲しい。…この震災がまだまだ続いていることを…」と思いをつづっている。
昨年同日同時、東京・杉並の自宅の階段で、テニスコートに行くべく、ソックスをはこうとしていた。
激しい揺れにもかかわらず、幸い、家にはほとんど被害はなかった。
今日、同じ時間に同じ姿勢で、ソックスをはいた。
なにごとも起きなかった。
故郷のある北の方向に向かって、手を合わせ黙祷した。
「忘れてはならない」
その声が何処からか聞こえてくるような気がした。
1年という通過点を過ぎました・・まだまだ終わっていませんね・・・
能天気なプログを書く気にならず、
こんなものになりました。
あらためて今年が復興元年、と言えるかもしれません。
阪神淡路大震災は、自分のなかで風化してしまいました。東京新聞の写真を見て、一年経った今回の被災地の現状を、あらためて、ここからがスタートなんだと思い知らされました。
マスコミにはあまり報道されませんが、長野県栄村の地震による被害、千葉県旭市の津波被害。
当初の災害の呼称ではなく、東日本大震災と変更されたことがわかるような気がします。
しかし、東北はわかるけど、東日本ってどの地域をさすのか理解できない。
ま、JR東日本、NTT東日本とは言うけれど…
新聞を手に取った時、
言葉にならないものがこみ上げてきました。
この光景を目にしたカメラマンはもっと、心を動かされたのだと思います。
でなければ、この僧侶を前にして、一時間も居られない。
古新聞として捨てる気にならず、そっととってあります。