goo blog サービス終了のお知らせ 

ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2022-3-30(水)知多四国(新舞子~大野) 🌤️

2022年03月31日 07時13分38秒 | 知多四国
室温は、14.5。
朝のうちは寒くて、何枚も重ね着したり、タイツを穿く。

今日は次男の嫁のお母さんと娘と友人の4人で、4ヶ月ぶりに知多四国新舞子から大野まで6ヵ所のお寺を回ってきました‼️

8時23分に永和駅で乗って、名古屋駅で名鉄のホームで友人と待ち合わせて、9時3分の中部国際空港行き特急に乗って、新舞子で下車。

新舞子駅で、「歩いて巡拝知多四国 14巡拝コース」の地図を貰って、駅前から歩き始めました。

歩きだすとお天気がよくって、上着を脱ぎ、また暑くなってベストも脱いで歩きました。

地図を見ながら、メガネをかけた弘法大師で有名な71番所「大智院」目指して2.4キロ歩きました。

遠くにサクラ、庭にはレンギョウ土手にはレンゲソウが咲いて花盛りです。


歩道には地域の人が植えたのかスイセン、ストック、キンセンカ、タンポポ等がキレイに植えてありました。どこも花がイッパイ‼️春ですね。


方向も分からないのに地図を見ながら、娘が先頭に歩いてくれたので、跡を付いて行くと、やっと「大智院」の看板が見えてきました。

10時半頃には71番所「大智院」に到着。

入り口に1,000年以上の「八百姫お手植えの樟(くすのき)」が複雑な形になっていた。

メガネをかけた弘法大師で有名で、奥の方でライトアップされて、小さな弘法大師が安置されていました。

ひたすら県道の歩道を歩くと、遠くに大野城が見えてきました。

老人ホームの横を曲がると、11時半頃に66番所の「中之坊寺」に到着。

太い木を丸太のように切って、椅子がわりにしてありました。
住職はいなくて、自分で判子を押して、貯金箱のような穴に100円を入れて御朱印しました。

大野城に昇る道が分からないので、娘が先に歩いて、細い道を登って行くと、保育園に出て、団地を抜けると、やっと城山公園に出る。

最後の城門をくぐると、丁度12時に大野城に到着。

小さなお城だけれど、信長の姪のお江が大野城主佐治一成に嫁ぐ。

ここで昼休憩。

お握りやコロッケ、ブロッコリーなどを分け合い、食後のドリップコーヒーにいちご大福等おやつを食べるとお腹がイッパイ。

お城がの伊勢湾の風景がとても素晴らしい。こんな景色を見ながらお江は暮らしていたんだなあと感慨深いものになった。



13時に出発して、大野城をぐるりの回って、155号線に出て、北に向けてモクモク歩いて、小倉の交差点を左に回って、狭い道路をクネクネ歩いて、67番所の「三光院」に到着。

藤原期に作られた世観世菩薩は秘仏だそうですが、住職が忙しそうで御朱印を押すとサッサと車で出掛けていった。

267号線を渡り、矢田川の橋を渡り、堤防を歩くと、カモや鵜や鳥達が暖かいのか日向ぼっこをしていました。

70番所「地蔵寺」の看板を昇ると、庭の広い落ち着いた「地蔵寺」に到着

桜が満開であった。
井戸から上がった「大草の地蔵」があるそうです。

ここから大草城が近いが、足も痛くなってきたので、今回は取り止めにして、通過することになりました。

15分ほど歩くと、名鉄線路近くに69番所「慈光寺」に到着。

「願い石」から大師像を覗くと大願成就すると云われている。
「コロナが収束しますように」お願いしました。

最後は名鉄の踏み切りを渡って、商店街を歩くと、狭い通路から入ると、68番所「宝蔵寺」に到着。

火防大師といわれ、消えずの燈明をしているようです。

今日の知多四国の14巡拝は終了し、よく歩きました。

大野駅を15時の準急に乗車して、次回は5月中旬に私が第1巡拝コースを歩くと満願になる1番所から4番所まで歩くことを決めて、それぞれに帰っていきました。

今日の知多四国は、21,182歩でした。(久し振りによく歩きました)





コメント

2021年11月10日(水)、知多四国 野間 ⛅

2021年11月11日 06時53分47秒 | 知多四国
今日は次男の嫁のお母さんと友人と知多四国(野間)に行きました。

永和駅を8時38分に乗り、名古屋駅で9時11分の内海行きに乗り、一路野間へ。

野間崎灯台にも行きたいというので、まず県道277号線を歩いていくと、大きなクロガネモチにギッシリと赤い実をつけていました。

タヌキが大好きなメンバーが庭仕事をしていた地主の了承を得て、写真を撮らせてもらいました。


海辺に出ると、冷たく、強く風が吹く中歩いていると、黄色の建物が目に入り、「ぐっさん家のビーチハウス」じゃないかと見に行きました。


コンテナの黄色のビーチハウスに何故か緑色のカッパが背中に「野間太郎 父ちゃんかっぱと申します」書かれて立っていました。

海岸沿いに歩いていくと、小野浦ホテルの温泉の横でお茶休憩。

入江に入ると、風も弱くなって、野間崎灯台が見えてきました。

「誓いの鐘」の前で記念写真。

12時15分に、48番所の良参寺にやっと到着。
弘法大師は「御助大師」と呼ばれている。

山越えの旧道に行こうとしたが、人が入っていないようで木が倒れていたので、県道を歩くことにする。

12時30分過ぎに「食と健康の館」で珈琲を買って、昼食休憩する。

13時10分に出発し、県道沿いを歩きながら、13時40分に49番所の「吉祥寺」に到着。

「細目の昆沙門さん」と呼ばれる行基作の秘仏があるそうです。可愛い六地蔵が展示してありました。

県道に戻って、歩いていると手作りのキッチンカーが「畑カフェ」に置いてあった。

野間大坊の看板の所を右に廻って歩くと、14時20分に53番所の「安養院」に到着。

織田信長の三男「信孝」自刃の最後を見届けた寺。

樹齢650年の県内一の大ソテツにビックリ。

そのまま真っ直ぐ歩いていくと、14時45分に51番所の野間大坊の大きなお寺が見えた。

源頼朝が父義朝の菩提を弔うための開運延命地蔵菩薩が本尊となっている。

縁のある武将印が売られていた。

直ぐ隣に50番所の「大御堂寺」は、源頼朝の父義朝が、湯殿で殺された時に「木太刀があれば、殺されることはなかった」と悔しがったこともあり、今でも木太刀を奉納してされている。

天武天皇時代に開創され、行基に再興されたという由緒あるお寺で、豊臣秀吉、徳川家康らの庇護を受けている。

15時を過ぎて、時間がなくなって来たので、野間駅に向かい、丁度来た普通列車で帰ってきました。

今日の万歩計は、23,056歩でした。(久し振りに2万歩以上歩きました)










コメント

2020年2月15日(土)、知多四国 11 ☁️

2020年02月16日 05時38分08秒 | 知多四国
今日も3人で名鉄名古屋駅に9時に集合して、「歩いて巡拝知多四国」第11回コースに参加。

9時11分の内海行き特急に乗って、阿久比駅で下車。

鉄橋を上って、しばらく行くと、菜の花が一面に咲いていた。

新しい家々が立ち並んで、新しい町が出来ていた。

クニャクニャ曲がりながら、3キロ程歩くと、第13番札所「安楽寺」に到着。

大銀杏が山門にあり、立派なお寺だった。

そのまま川沿いを行くと、直ぐに第14札所の「興昌寺」に到着。
門前の行者堂には、知多四国霊場を開創した「岡部半蔵」の像が祭られていた。

それから坂部駅を通り、1.6キロ
歩くと、徳川家康の生母「於大の方」の菩提寺の第15番札所「洞雲院」に到着。

やはり家康の生母の菩提寺であるだけに立派なお寺であった。

そのあと坂部城跡地に行って、昼食にしようと思ったが、どういうわけか通り過ぎてしまった。

それから2.3キロ歩いて、富士屋や松月堂のお菓子屋を横目に、
第17番札所「観音寺」に到着。

小さなお寺だったので食事をする場所がなくって、すぐ近くの第16番札所「平泉寺」まで足を伸ばす。

1時過ぎて、お腹がペコペコ。
お握りの美味しかったこと。

お互いにポテトサラダや茹で玉子や栗饅頭など交換しながら、ゆっくりと食事をするが、お腹が空いているので、何を食べても美味しかったこと。

阿久比駅までは、1.3キロで喫茶店があったら入ろうと探したが、全く見当たらない。

ゴール受付を終えて、近くのマックで珈琲とフライドポテトで一息つく。

100円の珈琲の美味しかったこと。

駅周辺に喫茶店がないのも珍しい‼️

今日は9.5キロのコースで5つのお寺を回ったが、意外に早く回ることが出来て、2時には帰りの電車に乗ることが出来た。

次回3月28日も一緒に参加することを約束して、別れる。

今日の万歩計は、27,320歩でした。(よく歩きました。帰ってきてからもピアゴまで自転車で買い物に行ったので、歩数が増えました)





コメント

2020年1月18日(土)、知多四国 🌤️

2020年01月19日 03時52分20秒 | 知多四国
名鉄の「歩いて巡拝知多四国」に友人と嫁のお母さんの三人で、名古屋駅で待ち合わせて参加。

特急で内海まで行き、バスで(外)浄土寺まで行く。

甲羅に「奉大海龍大神」の文字を背負った亀が祀られ、「お亀さん」の名で親しまれている。

暖かい日になって、歩いていると上着を脱ぐくらい暑くなった。

3.7㎞の道程をひたすら歩いて、第35番札所成願寺に到着。

山道を行き、急な階段を登ると、聖崎公園に到着。

12時を過ぎていたので、ここでお弁当タイム。

展望台に登ると、日間賀島や佐久島が見える。

「上陸大師」の像が海にあり、弘法大師がここから知多半島に足を踏み入れた場所である。

1㎞歩くと、「第30番札所 医王寺」並びに「第32番所 宝乗寺」「第31番所 利生院」と続いていた。

道路を挟んで、「第33番札所 北室院」「第34番札所 性慶院」と5つのお寺を一気に回ることができた。

ここは仁王門があり、立派なお寺だった。

しばらく行くと、緩やかであるが、長い上り坂があり、上を見るとグッタリするので、ひたすら下を向いて上る。

途中で田んぼの中で、カメラを持った一団があった。一緒に歩いてインタビュー等を受ける。

東海テレビで知多半島を歩いて「はじめまして」という番組の収録をしているところだった。

知多四国の番組を3月21日か28日の午前中に放映するということであった。楽しみである。

やっと最後の「第29番札所 正法寺」に到着。


東海テレビの最古参のアナウンサーの高井一さんがキチンといい声で読経して、お参りをしていた。

途中で「河津桜」の花が一輪暖かさに誘われて咲いていた。

「鯛祭りひろば」で珈琲を飲んだり、お土産を買って、最終のバスで内海駅まで行く。

15時55分の鵜沼行き電車に乗って帰路に着く。

嫁のお母さんは初めての参加で、一気に10㎞の道程を歩いたので、随分疲れたことでしょう。今日はゆっくりお休みください。

初めてのテレビの収録に立ち会えた記念すべき「知多四国」の旅となりました。

今日の万歩計は、23,778歩でした。(よく歩きました)








コメント

2019年12月7日(土)、知多四国 ☁️

2019年12月08日 05時03分16秒 | 知多四国
曇り空が心配な中、娘と友人の3人で「知多四国」に出発。

内海で下りると、二人の男性と一緒に、海っ子バスに乗って、中須で下りて、まず直ぐ近くの40番所の「影向寺(ようごうじ)」とても読めないお寺である。




改築前の鬼瓦や手洗いで屋根瓦に🙈、🙉、🙊、知猿の4つの猿が載っていた。

海岸沿いの道路をしばらく歩くと、とげぬき地蔵のある洗い観音の「宝珠寺」に寄る。

御朱印を頂いて、住職から1万枚の写経を納めに見えた方がいて、毎日一枚写経をしても、30年かかる凄い人に感動。






2.8㌔歩いて、海岸に面した41番所の海を守る「西方寺」に到着。



娘の案内で42番所の厄除け大師の「天龍寺」。




入り口にぜんきゅうさんの作品が飾ってあった。

尾張高野山宗総本山の葵のご紋の43番所の「岩屋寺」には、2台のバスでお参りをする団体に出会う。



尾張藩主の病を治して、葵のご紋の使用を認められたとのこと。

山道を登って、番外の「奥の院」へ。
知多四国の唯一の修行所で、岩窟の所に建てられている。三重の塔の赤が映える。



娘のリードで2.5㌔の緩やかな坂を登りながら、「つくだ煮街道」に寄って休憩。

最後の28番所の「栄寿寺」に到着。落武者が切り開いた静かな山の麓にあるお寺。


ここからバス停まで娘を先頭にバス停まで5人が2.8㌔延々と歩く。

娘が右にいってしまうので、迷っていると、バスが来てしまったが、走ってくる人を待ってもらってやっとバスで河和駅まで。

後開催のコースを歩くのは初めてだったが、結局5人が完歩しただけだった。

友人と1月18日に知多四国にいく約束をして別れました。

名古屋駅のイルミネーションやミッドランドスクエアの展望台で夜景を楽しむ。





地下の居酒屋で、久し振りに娘と二人のクリスマス会を楽しむ。

今日の万歩計は、27,429歩でした。(それにしてもよく歩きました)








コメント