今日が友引だということで、今日通夜、明日お別れ会になったお陰で、夫とゆっくり過ごすことができました。
まずコーヒーを入れて、お父さんの好きなコーヒーだよ。朝食は喫茶店やコンビニのモーニングだったので、久しぶりのご飯でした。
まるで眠っているような顔の夫に、声かけても、答えてくれないのが、とても悲しかった。
葬儀屋が朝昼晩と、線香とロウソクを見に来て、供花などの追加がないか声をかけてくれる。
近所の人たちが、代わる代わるに、焼香に来てくれて、夫の顔を見てくれた。
次男は、夫のCDから、18曲選んで、お別れ会のバックミュージックを作ってくれた。
長男は喪主として、葬儀屋との打ち合わせをしっかりやってくれた。
午後からは、京都、豊田の弟が早めに来てくれて、バタバタしていると、17時過ぎなると、葬儀屋に霊柩車で夫を入れて、
私にも乗ってほしいとのことで、着物用の草履を探したりして、バタバタして乗り込んで、近所の人に見送られて、愛西市総合斎苑に向かう。
途中夫の好きだった喫茶店の前を通って、しばらく止まってくれた。
式場に着くと、祭壇の横に兄弟の枕花がたくさん飾られ、あまりにも花がいっぱいでビックリする。


19時の開始まで、まず、受付をお願いした3人が早めに来てくれた。
次々に親族、友人、近所の人たちが参列して、挨拶するだけでてんてこ舞いであった。
19時きっちりの始まり、まず実行委員長の挨拶。夫の人生をまとめて話してもらい、次に私のあいさつだったが、カバンの中の原稿が見つからず、
あわてて立ち上がって話し始めると、息子が手渡してくれて、最後に「45年の結婚生活の幸せをありがとう!」と夫の遺影に向かって声をかけて終わる。
次に次男の挨拶「明日だけだと思っていたので、用意していなかった」と言いながら、夫との音楽が好きになった経緯を話した。
最後は、長男が参列された皆さんへのお礼と父への思いは、挨拶状に書いてあるので、お読みくださいと結ぶ。
30分くらいで終わると、たくさんの人が残って、夫に対面してくれた。
夫の好きなコーヒー、お菓子では長崎茂木の一口香やビスコや長崎の友人から送られたみかんがいっぱい飾られていた。

長崎の妹の夫からブリザーブドフラワーの電報が送られた。

みなと医療生協の蟹江や愛西市の理事や職員も会葬してくれました。
私たちの仲人夫婦、港湾労働者仲間、永和台の近所の人、愛西市の仲間、近隣の仲間たちなどたくさんの人たちが会葬に来ていただき、夫も喜んでいることでしょう。
今日の万歩計は、2,210歩でした。