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ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2017年2月5日(日)、母の一周忌

2017年02月05日 20時02分58秒 | 冠婚葬祭

    娘の運転で孫娘と3人で、母の一周忌に豊田まで出かけました。

割にスムーズに豊田に一番に到着。

兄弟を始め、従兄弟など40人が集まる。

   11時になると、住職のお経が始まり、途中で次男の孫娘がバアちゃんとこまでやってきて、一緒に手を合わせていると、お経が終わると「アーアー疲れた」ですって。

    お参りが終わると、2台のお迎えのバスに乗り、食事会場に到着。

手押し車や杖の人たちで、乗り降りが大変だったが、何とか全員が揃って乾杯。

特に従兄弟同士は、みんな年をとって、お互いに会える機会が少なくなっているだけに、母のおかげ会えるのがとても嬉しい。

  この集まりを計画してくれた弟達に感謝。

弟宅に戻って、母が残していた写真をみんなで見ていると、父の会社関係や召集の時の写真があって、あっちこっちで叔父や叔母の懐しい写真に感動の声が上がっていた。

   次回の3回忌にまたみんなと会えるといいなあ。

   今日の万歩計は、2,493歩でした。

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2016年12月29日(木)、妹の友人の死

2016年12月30日 01時57分59秒 | 冠婚葬祭

   8時過ぎに、新聞の訃報欄を見ていると、長崎の妹の友人の名前が掲載されているではありませんか。

  ビックリして、妹に電話すると、香典を誂えて欲しいとのこと。

葬儀が9時30分に始まるというので、あわてて用意して、出掛ける。

  カーナビで何とか到着したものの、駐車場が遠くて、10分程遅れてしまった。  

  友人は、妹のおさなじみで、盆正月はもちろん時に触れ、絵手紙が我が家にも近況を知らせがてら、送られてきました。

   時には、年金組合の機関紙にも、時々近況が掲載されていた。

妹が娘の結婚式に名古屋に来た時、中部空港で出会って、一緒に食事をしたことが思い出された。

   12月号の年金組合の新聞に、夫の死を掲載したばかりであった。

  今年はなんて最後最後まで、久しい人を何人も送る年であろうか。

2月に母を送り、7月に夫の職場の先輩。8月は夫の後輩、9月には夫婦共有の友人と私の短大時代の友人。

11月は夫の兄、12月には、夫と妹の友人と7人もあの世に送った。

いままでこんなにも久しい人を送ったことはなかった。訃報欄を見るのが怖いくらいである。

   私も70歳になって、そういう年齢になったことてしょうか。

みんなの分元気に長生きしなければと決意を新たにする。

   今日の万歩計は、3,058歩でした。

 

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2016年12月17日(土)、弔問続く

2016年12月20日 05時51分57秒 | 冠婚葬祭

 毎日好きなコーヒー、ご飯、水を供えて、立派な枕花を飾ってもらい、立派な祭壇になりました。

 朝から次々に弔問に来てくれる人が続いて、対応に忙しい。

 やっぱり訪ねてくれるのはうれしいものですね。

名古屋大須の「春香堂」の3種類のお香を持ってくれたので、交互にいろんな香りを楽しみながら、夫の成仏を祈っています。

   長崎のや友人からも香典や夫の中学校の写真が送られてきた。

中1にはメガネははめていなかったが、中3には、丸メガネをはめていた。

とっても似合って、格好よかった。また惚れなおしてしまった。

やはり幼なじみはいいですね。うらやましい限りです。

 今日の万歩計は、2,091歩でした。

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2016年12月15日(木)、お別れ会

2016年12月19日 08時02分48秒 | 冠婚葬祭

 昨夜は7人が泊まり込み、次男の友人たちが、夜代る代る会葬に来てくれた。

私は疲れて、9時過ぎには、眠ってしまったので、誰が来てくれたか全くわかっていない。

 次男の友人たちは、毎年5月の連休とお盆の年2回、御在所の武平峠を滋賀県側に降りた河原で、

20~30人位集まって、バーベキューをするのが恒例になって、飯盒でご飯の炊き方や火のつけ方など

夫が教えて、今も毎年続けているメンバーたちです。

  今日は喪服は着物の着付けを早めに準備していたが、帯がうまく結べず、夫の妹が日本舞踊をしていたので、帯を結んでもらう。

しかし、草履を間違えて持ってきたので、足の指が入らず、ちょっと足に引っ掛けるだけになってしまいました。(きっと夫もお前のやりそうなことだと笑っていることでしょう)

 1時間以上も前にみなと医療生協の元同僚も来てくれて、増し刷りをした「自分史 古希を迎えて」を一生懸命読んでくれていました。

11時半には、準備した椅子が満席なり、大勢の人が弔問に来てくれました。

今日は娘も挨拶をして、「簡単ですが、お父さんありがとう」と写真に向かって挨拶をすると、娘の気持ちが痛いほどわかって涙があふれてきました。

 参列者のみなさんに折り鶴やメッセージを書いてもらった色紙に棺に入れ、参列したすべての人が、花を棺に入れると、蓋が閉まらないくらいになりました。

もう夫ともう会えないんだと思うと、涙があふれて止まらない。

 「お父さんと結婚して45年幸せをありがとう!!」

 火葬が済むまで食事をしていると、兄たちが「いい別れ会だった。娘の挨拶が一番よかった」と褒めてもらいました。きっとお父さんも喜んでいることでしょう。

 火葬が済んで、遺骨を小さな骨壺に入れると、骨密度が36%だけだっただけに、ボロボロで形のないものでした。

喉仏が期待していただけにとても残念でした。

 帰りにいつも夫が通っていた喫茶店でコーヒを飲んで帰りました。

 今日の万歩計は、2,297歩でした。

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2016年12月14日(水)、通夜

2016年12月19日 05時16分13秒 | 冠婚葬祭

 今日が友引だということで、今日通夜、明日お別れ会になったお陰で、夫とゆっくり過ごすことができました。

まずコーヒーを入れて、お父さんの好きなコーヒーだよ。朝食は喫茶店やコンビニのモーニングだったので、久しぶりのご飯でした。

まるで眠っているような顔の夫に、声かけても、答えてくれないのが、とても悲しかった。

 葬儀屋が朝昼晩と、線香とロウソクを見に来て、供花などの追加がないか声をかけてくれる。

近所の人たちが、代わる代わるに、焼香に来てくれて、夫の顔を見てくれた。

 次男は、夫のCDから、18曲選んで、お別れ会のバックミュージックを作ってくれた。

長男は喪主として、葬儀屋との打ち合わせをしっかりやってくれた。

 午後からは、京都、豊田の弟が早めに来てくれて、バタバタしていると、17時過ぎなると、葬儀屋に霊柩車で夫を入れて、

私にも乗ってほしいとのことで、着物用の草履を探したりして、バタバタして乗り込んで、近所の人に見送られて、愛西市総合斎苑に向かう。

 途中夫の好きだった喫茶店の前を通って、しばらく止まってくれた。

  式場に着くと、祭壇の横に兄弟の枕花がたくさん飾られ、あまりにも花がいっぱいでビックリする。

19時の開始まで、まず、受付をお願いした3人が早めに来てくれた。

 次々に親族、友人、近所の人たちが参列して、挨拶するだけでてんてこ舞いであった。

19時きっちりの始まり、まず実行委員長の挨拶。夫の人生をまとめて話してもらい、次に私のあいさつだったが、カバンの中の原稿が見つからず、

あわてて立ち上がって話し始めると、息子が手渡してくれて、最後に「45年の結婚生活の幸せをありがとう!」と夫の遺影に向かって声をかけて終わる。

 次に次男の挨拶「明日だけだと思っていたので、用意していなかった」と言いながら、夫との音楽が好きになった経緯を話した。

最後は、長男が参列された皆さんへのお礼と父への思いは、挨拶状に書いてあるので、お読みくださいと結ぶ。

 30分くらいで終わると、たくさんの人が残って、夫に対面してくれた。

夫の好きなコーヒー、お菓子では長崎茂木の一口香やビスコや長崎の友人から送られたみかんがいっぱい飾られていた。

 長崎の妹の夫からブリザーブドフラワーの電報が送られた。

 みなと医療生協の蟹江や愛西市の理事や職員も会葬してくれました。

私たちの仲人夫婦、港湾労働者仲間、永和台の近所の人、愛西市の仲間、近隣の仲間たちなどたくさんの人たちが会葬に来ていただき、夫も喜んでいることでしょう。

 今日の万歩計は、2,210歩でした。 

 

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