かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ビートルズ:10のエレメンツ 70年代後半

2024年08月02日 | The Beatles


今日は、夜新宿へ。
途中、懐かしいガムランの音が。



本格的でびっくりしたが、山城組さんの催しだったらしい。
最初の2曲のみだっだが、最後は、ケチャで締めたらしい。
ちょうど、インドネシアの気候で、盛り上がったろう。
また、バリに行きたいな。



ビートルズ:10のエレメンツ、早くも第5回。
今回は、70年代後半だが、前回の70年代前半と比べて、中身スカスカ。
イメージ的には、3割ぐらい。

そもそもジョンがこの時期活動していない。
ポールは、夢の旅人の大ヒットは、あったが、アルバムは、比較的地味。
ジョージは、売れるのを諦めた?
F1にはまった?
慈愛の輝きで、いい作品は、作ったが。
スティーブウィンウッドの影響大とのこと。
リンゴも、アルコールの影響もあってか、いい作品には、恵まれなかった。
私も、大学受験から、大学前半の時期で、音楽どころではなくなっていたのと、ニューウェイブとか、パンクとか、好みじゃないジャンルの曲が席巻していて、そもそも関心が薄れていた。

今日の話も、世の中の音楽の好みが変化する中、4人の曲も、その波には乗らず、かと言って活動を辞めるわけでもなく、AOR的な音楽に、少しづつ変わって行った時期と評する。
そういった意味では、ジョージの慈愛の輝き、ポールの夢の旅人などは、成功例なのだろう。
一方、リンゴは、バッド・ボーイズなどという、不思議なアルバムを出していたが、マーケットには、受け入れられなかった。
ウィングスも、予定していた来日が、過去のドラッグの関係でビザが降りないで、中止になるなど不調。
曲作りは、コツコツやっていたが、デニー・レインの貢献も大きかったという。
残念ながら、亡くなられたが。
ポールは、バンドの中心にいないと我慢出来ず、ジミヘン、マイルスとのスーパーグループ構想もあったが、ぽしゃったとのこと。
そういえば、ポールがコンサートの途中水を飲まなくなっなのは、汗で髪を染めていた黒の毛染めが垂れて来たのがきっかけとのこと。
要するに、世の中の好みが変わっていると理解しつつ、それに流されず、自分らしさを失わない程度について行ったと言える。

この時期、ジョンは、プライベートで、来日しているが、あまり報道はされておらず、ただ結構動き回っていたので、目撃談は、多いとのこと。
当時の私は、夏は、軽井沢でテニス合宿だったので、知っていれば……
合宿抜け出して、会いに行くことは、無理だったね。

夢の旅人=青葉城恋歌説には、笑った。
ポールは、バグパイプが転調できないのを知らず曲を作ったため、不思議な音になったとのこと。
災い転じて福となす?
次回は、ジョンの最後の作品からスタートし、80年代を取り上げるそうだ。
会場にいけないので、アーカイブ視聴予定。
コメント
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