kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

何が何でもという気持ち

2022-03-13 | 陸上競技

記憶があいまいになっています。それに伴い相変わらずblogの更新が滞っています。まーそれなりに書きたいとは思っていますが。またも理由がわからずこの2日間のアクセスが激増しています。なぜでしょうか。ぼちぼち書いているという感じにしかなっていませんが。

 

前の記事の続きという感じではありませんが。高校入試が実施されました。その日は練習は実施できず。前の日までにある程度やっているので対応できるかなという感じでした。入試の翌日の水曜日は15時半からの練習開始。バタバタしていて最初はグランドには行けませんでしたが。そしてその日の記憶は曖昧。土曜日に練習会でケガをした選手に対して気功をしていたような。あやふや。

 

木曜日は13時半から。朝から練習をしてもよかったとは思うのですが色々なことを考慮してということで。この日に選手が私のところに来るようになっていました。直接約束をしたわけではありませんが。その話は聞いていました。が、他の選手の治療をしようということになっていたのでグランドにいました。まーこの「治療をする」と約束をしていた選手も「98時50分に来ます」と約束をしていたのですが9時になっても来なかったので待つのをやめて職員室に戻ったのですが。呼びに来ないので9時30分くらいに再び行くと座って待っていました。いや、誰のために時間を作っているのか。何が何でも治療をしようと思えば遅れてくるということは考えられません。この甘さは致命的だと思っています。私に対してもかなり失礼だと思いますし。この部分が変わらない限りは何も変わらないだろうなと思いますね。

 

上述の「私のところに来る」と聞いていた選手、来ません。他の方から「職員室の前に来ていた」と聞いたので長距離のマネージャーに頼んで迎えに行ってもらうことに。が、すでにいなかったということでした。わざわざこちらから探すということはしません。別に私が用事があるわけではないので。そう考えると治療に関しても「時間を守らない」という時点でもうやる必要はなかったかなとも思います。甘やかしているのかもしれない。「覚悟」なんてものを持っていないので約束も守れないのかもしれないなと今は感じています。

 

結局、2時間くらい治療をしました。で、12時くらいに「私を探している選手」が職員室に来る。「他の人に聞いたので」ということでした。私が待っていたというのを聞いたようです。まー別に待ってはいませんが。本人のほうから「話をしないといけないこと」があるのです。それなのに「職員室にいない」という部分で終わっていました。厳しく指摘しました。「誰が話をするのか」という部分。私はどちらでもいい。聞く必要もないし。それでも「話をする」ことでしか進めない。そういう状況であれば「何が何でも」という気持ちになるべきだと思います。

 

本人には話をしました。また、この日の練習の初めにも話をしました。「何が何でも」という気持ちはどういうことか。私が「職員室にいない」という事実。別に「職員室にいる」という約束をしたわけではないですから。それでも「絶対に話をする」と決めているのであれば「何が何でも」探す必要がある。それなりに探したのかもしれません。が、グランドには間違いなく来なかった。それで本当に「探した」といえるのか。可能性のある場所を全て探したか。車はありますから間違いなく学内にはいます。車自体を見に行ったのか。本当に「何が何でも」という気持ちを持てたか。

 

これは他のことにもつながります。「怪我をした」というのであれば「何が何でも」治す。そのうち治るだろうという感じではなくて「どんな手段を使っても治す」という気持ちがあるか。技術が身につかなければ「何が何でも身に付ける」ということを考えて時間を過ごせるか。結局はやっていない。それなのに「強くなりたい」と言葉にする。変化がないというのは間違いなく「考え方」が変わらないからだと思います。実際はもっと厳しく話をしました。私だけではなくkd先生も話をされました。何度このような話をしたのか。

 

実際、この日の練習開始にはミーティングをしていました。その中で女子の報告は「怪我をしないようにケアをする」という話をしてきました。いやいや、「怪我をしない」というのが「目標」なのか。指摘すると「練習に参加してして強くなる」という返答。もう致命的だと思います。「試合で結果を出す」という根底がない。結果を出すために「練習をする」のです。継続した練習をするために「怪我をしない」のです。考え方の「根本」が間違っているので「何が何でも」にならない。男子はかなり練習が積めています。昨シーズンとは全く違う結果を出せる選手も複数名出ると思います。それだけのことをやっています。まだ足りない部分はありますが。

 

北九州まで病院に連れていく、空き時間には治療をする。補強も選手に合ったものを考える。そうやってやっていても結局は「自分たちがどうしたいのか」がなければどうにもなりません。本人たち次第なのです。これも繰り返し繰り返し言い続けています。もう3月に入っているのにこんな話をしているというのはどうなのか。「甘え」があると思いますし、「本気度」がどうか。自分たちの基準での「やっている」というのと「本当に必要な努力」なのかは別問題です。

 

前も「このままでは戦えない」という話をしています。それから1週間経過しても「変化」は見られないのです。「何が何でも」という部分が足りないのは他の部分にもつながるからです。考え方自体が「甘い」ままでは絶対に結果には届きません。約束の時間をも守れない。これも「他の人の時間を奪っている」という認識があるか。誰のための他の人が時間を使っているのか。すべてはつながっていると思っています。グランドだけで何かをしてもそれ以外の時間はきちんとできないというのであれば結局はこんな感じになると思っています。

 

もどかしさはあります。やってくれている選手もいます。「自分の中の枠」を壊せない限りは変化はない。それだけは確かです。kd先生が「練習を見ていても面白くない」と選手に話されていました。指導する側がそう感じるということはどういう意味か。感じ取ってもらいたいとは思いますが。一つ一つ言葉にして伝えていくこと。これが今は必要だと思っています。「考えなさい」では絶対にできないなと。

 

もどかしいなと。悔しい気持ちもあります。伝え続けていきたい。本当にそう思います。


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